第52話
ここまで溺愛と執着を受けながら、何故、ハリエットはそれに気が付かないのかと、イエルドは地団駄を踏みたい気持ちになった。
間違いなく猛獣と化した王子を制御できるのはハリエットだけ、幸いにも侯爵家の令嬢であり、寄子の貴族家に問題はあったものの、オーグレーン侯爵家は立派にリカバリーを果たしている。
今回に限って言えば、派手に動いて悪そのもの領主たちを破滅に追い込んだレクネン殿下と、下々の者にまずは麻薬を治療する解毒剤を行き渡らせて、野垂れ死が確実だった孤児の救済に出たハリエットのコンビは南部で絶大な支持を得る結果となっている。
王都での福祉事業と衛生事業については右に出る者はおらず、オーグレーン侯爵家は下々の者たちから大変人気がある。
そんなハリエットがレクネン王子よりも二歳歳上だからといって文句を言い出す令嬢が今の王都にはいないだろう。
なにしろ実績が違うのだ、侯爵令嬢という事で身分的にも問題ないし、何処の馬の骨かも分からないフィリッパ嬢を持ち出されるよりはよっぽどマシな選択という事になる。
「殿下は貴女への依存が酷すぎて、今すぐにでも貴女と一緒に領地へ帰って冒険者をやるだなんて言い出すんです。貴女が何処かへ行くと言うのなら、地の果てまでも追って行きますよ。そもそも、本日私自身が侯爵邸を伺ったのも、貴女様にお願いに上がる為なのですから」
「お願いってなんですか?」
「ハリエット様、お願いですから、殿下に対して『私!王妃様になりた〜い!』とおねだりして下さい!」
「はい?」
「殿下は次の王位はエルランド様が継げば良い、自分は廃嫡決定だと今でも思い込んでいるのです。ですが、現状、エルランド様には対帝国戦を考えて自由な立ち位置でいて欲しい。国王が王国軍を率いて戦闘に参加するのは可能ですが、外敵はエルランド様、内憂はレクネン殿下が対応する形でこの難曲を乗り越えたいのです」
「えええ?」
「そうする為にはハリエット様のおねだり攻撃が必須なのです!」
「いやいやいやいや、私のおねだりに何の価値があるというのですか?無いですよ!効果なんか何も無いですよ!美人を連れて行ったほうがマシですって!」
イエルドは特大のため息を吐き出すと言い出した。
「それでは一度、騙されたと思ってやってみてくれませんか?それで殿下が何の反応も示さなかった場合は、私はハリエット様のどんなお願いだって聞く覚悟が出来ています」
なんだか凄い覚悟で言っているようだけれど、ハリエットがおねだりするだけで、
「次の王位は私が継ぐ!」
なんて、レクネン王子が言い出すわけがない。
「わかりました、一度おねだりすればいいんですよね?二度とか三度とか無理ですよ?たった一度、試しにやってみて、何の効果もなければ諦めて下さいよ?」
「もしも殿下が靡かなければ、私はどんな願いも聞き入れます。貴女が諦めろと言えば絶対に諦めますとも」
伯爵が何を考えているか良く分からないが、レクネン殿下とハリエットの間にあるのは友情に他ならず、イエルドの思うような展開になる事などないだろう。
「仕方ないですね〜」
ようやっと侯爵邸に腰を落ち着けたと言うのに、イエルド・カルネウスに促されて王宮に上がる事になったハリエットは、満面の笑顔で出迎えてくれたレクネン王子に対して、ちょっと引くほど甘えた様子で、
「殿下〜!ハリエット、殿下のお嫁さんになって将来的には王妃様になりたいな〜!」
と言った後、
「なんちって」
という言葉は飲み込んだ。
ハリエットの両手を握っていたレクネンはハリエットを引き寄せて抱きしめると、耳元で囁くようにして、
「ハリエット、それって誰かに言わされているの?」
と、殺気立った声をあげたからだ。
「私はハリエットが行く場所であれば何処にでも行く、ハリエットが領地を望むのなら領地へ、子供の福祉と教育を考えて王妃となりたいのなら、私は玉座へと向かおう。だがしかし、君が不本意に決めようとしているのなら私は頷く事は出来ない」
ハリエットの体を離したレクネンは、真剣な眼差しで、
「今すぐ君が決定しなければならない事など何一つ存在しない、もしも、君に何かを強制するような輩が現れたとなれば、私が全てを排除しよう」
そう言うと、殺気だった様子でイエルド・カルネウスを睨みつける。
顔を一瞬だけ真っ青にしたイエルドは、ほら見た事かと言った様子で視線をハリエットに送ったけれど、顔を真っ赤にしたハリエットは視線を足元から上に上げる事が出来なかった。
ハリエットにとって推しは至上で尊く、見守るだけで心は天国に到達状態となっていたのだ。それが、今みたいに抱きしめられて、まずはハリエットが第一だと言われてしまえば理解しないわけにはいかない。
「殿下にとって私は一番なのですか?」
「何を当たり前の事を・・・」
レクネンはチッと舌打ちをした。
「私は君が居ればどうでもいい、父王や王妃(はは)の存在ですら塵芥と同じなのだからな」
「それもそれでどうなんでしょう・・・」
ハリエットが困り果てた様子で項垂れると、エスコートするように手を差し出したレクネンが言い出した。
「何にしても来てくれて嬉しいよ、ハリエットが来てくれなかったら父を殺してでも王宮を出てやろうかと思っていたからね」
父王が死ねば、強制的に叔父が王位に就く事になるだろうと思い込んでいる殿下はかなり過激で危ない奴に急成長したらしい。
「殿下!冗談でも言って良いことと悪いことがあるんですよ!」
「わかってる、冗談だよ」
「本当に冗談なのかしら?私、そういう冗談が大嫌いなんですよ!」
これは再教育が必要という事かしら?
後を振り返るとイエルドが無言のまま『そうなんです、あとはよろしく』と言った様子で黙礼をしている。
「殿下、私は殿下が大好きですよ?」
「私もハリエットが大好きだ」
そこでようやっとほっとした様子でレクネンはため息を吐き出すと、ハリエットの頬にキスを落として、エスコートするように歩きだしたのだった。
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