第48話

アハティアラ公爵家の公爵夫人であるフレドリカはダリヤの花ように鮮やかで気品が漂う貴婦人に成長した。


 元は田舎の村に住むアネモネのような素朴な花だったのだが、この男に見出されてからというもの、美というものを強く意識するようになったのだ。


「帝国とエヴォカリ王国の国境線上に八万の兵士を用意する事になった」


愛する人は、カフスボタンを止めながらベッドの上でくつろぐフレドリカの方へと視線を向ける。


「エヴォカリも兵士を用意し始めたようではあるが、所詮は寄せ集めの兵士が四万程度が集まるに過ぎない」


「遂に帝国が王国を征服するのね!」


 王国を占領するためにフレドリカが祖国を離れて二十年、ごく僅かな魅了の魔力を持つフレドリカはシェルマン男爵家の庶子として王国に潜り込むことになり、市井でマグナス王と運命的な出会いを果たすことになる。


 二人は結ばれる事はなかったが、修道院行きが決まったフレドリカを引き止めたのが、横恋慕し続けていたアハティアラ公爵という事になる。


 アハティアラ公爵には一族が決めた正夫人が存在したが、その夫人に毒を盛って殺したのがこの目の前の男という事になる。


 愛する男の為にフレドリカは公爵の後妻となり、社交会では常に悪態を吐かれながらも自分の娘を王国の王妃とするためにここまで耐えてきたのだ。


「ねえ、王国が崩壊したら私は祖国に帰れるのかしら?」

「君の好きなようにすればいいよ?」

「私の娘はアリヴィアン殿下と結婚して、王国の王妃となるのよね?」

「もしかしたら私たちの娘は王妃ではなく皇妃となるのかもしれないよ?」


 アリヴィアン皇子が皇帝となれば、その妻となるフィリッパは皇妃となる。

 それはフレドリカが夢にまで見た光景なのは言うまでもない。


「今のところ何か問題はないか?」

「娘のフィリッパもマグナス王の寵愛を受けているし、問題ないわ」

「レクネン王子の方はどうだ?」

「ああ、フィリッパを振った男の事よね?」


 フレドリカはくすくすと笑いだす。


「王子はイングリッドの気を引くために、フィリッパを当て馬として使っていたのよ。王子はイングリッドにご執心のようだけど、そうはさせないわ。マグナス王は王子の婚約者をフィリッパに決定するため、貴族院による全体会議を開くおつもりよ」


 貴族院の全体会議はすべての貴族の参加が求められるもので、大きな決定が下される際に行われる事となる。


「それじゃあ、クーデターは貴族院会議に合わせて行うかな?」


 帝都を移動した本隊が国境の部隊と合流するにも時間はそれなりに掛かる事となる。貴族院が開かれる時期に合わせて国境線での戦闘を開始する。


 帝国を迎え撃つために王国軍は動く事になるのだろうから、空となった王都に多くの貴族が集まるのを好機として民衆を扇動する。


「ねえ、イグナート、私たちの娘はとても良い働きをしているのよ」

「ああ、わかっている」


 イグナートはピンクブロンドの髪色に翡翠色の瞳をしている、アハティアラ公爵と同じ色を持ちながら、顔立ちは帝国人のそれだった。

 大きく一つ頷くと、イグナートは蜜愛の匂いが残る豪奢な部屋を後にしたのだった。



 イグナートは帝国の間諜だ、帝国と王国を行き来して三十年以上にもなるという。

 田舎に住むただの小娘だったフレドリカを見出したのもイグナート、いつでもフレドリカはイグナートの庇護下にあり、それは公爵夫人となった後も変わらず続いていたはずだった。


 そのイグナートからの連絡が途絶えて二十日、前もって連絡もなくこれほど連絡を途絶えさせるのは初めてだった為、フレドリカは嫌な予感に苛まれることになったのだ。


 フィリッパは美しいドレスに身を包み、毎日のように王宮に参内している。その姿を見て夫は機嫌が良いし、遂に貴族院の会議を開くための招集もかけられる事になった。


 すでに帝国との国境線では戦いが始まっているはずなのに、王都にまで情報が流れてこない。本当に戦いが始まっているのかと疑問に思うほど、王都は平和を謳歌していた。


「お母様!見てください!このドレス綺麗でしょう?私、似合っているかしら?」


 娘のフィリッパはイグナートに良く似ている。

 美しいドレスを着てスカートを膨らませながらくるくる回る娘を見ていると、愛する人と連絡が取れない事に対しても不安が薄れていくようだった。


「私の愛するお姫様たち、親族たちが集まったようだからそろそろホールの方へ移動をしようか」


 アハティアラ公爵はイグナートと同じ瞳と同じ髪色をしている。

 似ていると言えばイグナートに似ている公爵の顔を見上げると、思わずフレドリカの口元に笑みが浮かぶ。


「ダーリン、親族の方々のご様子はどうでした?」


「私の親しくしている者たちは仕事が忙しいようで到着が遅れるようなのだが、それならそれで問題ない。イングリッドを伯爵家へ養子にだして、正式にフィリッパを公爵家の嫡女とする。その手続きに親族どもも文句の一つも言わないだろう」 


「貴族会議の前にお呼び立てをするような形になって、皆様のご負担が大きくはなっていないかしら?」

「田舎者どものご負担やらご機嫌やらを気にする必要は何一つない」


 公爵はフレドリカの額にキスを落とした。


「集まった親族の心配までするなんて、君は本当に優しい人だね」

「まあ、そんな事は当たり前の事ではございませんか?」


 帝国が国境に八万の兵士を引き連れてやって来ているという事は、アハティアラ公爵の領土の一歩手前まで帝国兵が押し寄せて来ているという事になる。


 今までは帝国が進撃してきても、王国軍を率いた王弟エルランドが打ち倒しに出ていたから問題なかったものの、今回ばかりはかなり厳しい戦いになるだろう。


 公爵領に麻薬の精製工場を作ったのも、公爵の腹心の部下がうまいこと働いてくれたからであって、一族の大半の者はその事を知らない状態だ。

 麻薬の精製工場についてもそうだが、帝国兵に対しても無頓着。

 このような状況で王都まで呼び寄せられた親族たちの顔色すら気にしないのだからこそ、今までうまい具合に利用出来たのだ。


「フィリッパ、笑顔よ!笑顔!」


 今日を乗り切ってしまえば、明日には貴族院会議でフィリッパがレクネン王子の婚約者として決定する事になる。


「田舎者の貴族など歯牙にかけるほどのものではない」


 フレドリカは口の中でそう呟くと、花開くような笑みを浮かべて、美しいフィリッパの髪を整えてあげたのだった。

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