第47話
エヴォカリ王国の王太子であるレクネンにとって母である王妃は、面立ちも似ているし、血の繋がりは確かにあるのだろうと思うのだが、赤の他人に毛が生えた程度の交流しか取る事がない人でもあった。
国王に代わって国政を担う事が多い王妃は多忙を極め、ゆっくりと息子と向き合おうとしてもその時間がなかなか捻出する事が出来なかったのかもしれない。
赤子の時から王子の世話は乳母に任せ、王太子教育が始まれば、王子の様子や就学状況が書き上げられた報告書に目を通す程度。
レクネンが美しい蝶と戯れている姿を見ても、
「貴方は本当に仕方がないわねぇ」
と言ってため息をつくだけ。
婚約者候補筆頭であるイングリッドに対して冷たい態度で接した時には、
「貴方のその態度でどれだけイングリッド嬢が傷ついていると思うのです?いい加減、子供っぽい態度はおやめなさい!」
そこでようやっと王妃は王子と向き合い、苦言を呈して来るのだった。
同じ王宮の敷地内で暮らしているというのに、近くに居ても遥かに遠い存在だった。たった一人の王子だというのに、王も王妃も視界にすら入れていないのではないかと思ってしまう。
そんな遠い存在だった王妃(はは)から最後通牒を突きつけられた時に現れたのがハリエットで、
「推しの為だったらファンは何だって出来るのです!」
まっすぐに自分を見つめる彼女の存在にどれだけ救われた事だろうか。
ハリエットはレクネンの事を推しと言いながら、王子や王太子という枠組みでレクネンを見ようとはしない。
王子というよりは、自分の子供でも見るような、慈愛に満ちた眼差しでレクネンを見つめて、
「きちんとご飯が食べられて、殿下はとっても偉いですわね!」
と、しょうもない事でも大袈裟なほどに褒めてくるのだった。
赤子のルーリを拾ってきたレクネンは自分に出来る限りの事はしようと考え、オムツ替えにも挑戦したのだが、
「あらあら!横から漏れてしまったけれど、今度は、ここをこうしてオムツをつければ何の問題もないんですのよ?」
と言って、嫌な顔一つ見せずに正解を教えてくれる。
考えてみれば生まれてこの方、無条件で褒められた事など一度としてない。母に一度も撫でられた事のない頭を平気で撫でて、
「なんて殿下は偉いんでしょう!オムツ替えの天才かもしれませんわね!」
きちんとオムツが当てられただけで、大喜びをするような奴なのだ。
初めて人を殺した夜は、皆が寝静まった後であってもレクネンの元まで訪れて、激しく嘔吐をするレクネンの背中をいつまでも撫で続けてくれたのがハリエットだった。
琥珀色の瞳をまっすぐに向けて、愛情をまっすぐと与えてくれる。いつでもレクネンの姿を見つけてくれて、いつでもレクネンの存在を認めてくれる。
親から与えられなかった所為で、ぽっかりと心の中に穴が空いていたレクネンだったけれど、そのぽっかりと空いた穴を一気に塞いでくれたのがハリエットだった。
だから、ハリエットさえ居ればそれでいい。血の繋がりだけという存在の父母など、心底どうでも良かったりするのだった。
「殿下・・王妃を避難させた後に決行すると言いましたよね?何故、王妃の宮まで第二師団を連れ込んだのです?王妃様に何かあればどうするおつもりだったのですか!」
すっかりレクネンのお目付役が板についたイエルド・カルネウス伯爵が怒りの声を上げていた。
レクネンが王宮に戻り、王子が王妃に帰城の挨拶の為に王妃宮を訪れる。そのタイミングを見計らって暗殺が行われるということで、宰相を含め、多くの役人が対応に駆り出される中、第二師団を引き連れたレクネンがまんまと敵の策に乗ると見せかけて、王宮に潜り込んだ敵の殲滅を図る事にしたのだった。
椅子の上で失神している王妃を庇う形でレクネンは立ってはいたが、王妃のドレスの至る所に血飛沫が飛び散っていた。
椅子の上に座るのがハリエットであれば、絶対にこんな事にはなっていないだろう。
王子にとって、たとえ王妃が死んでしまったところで、仕方がなかったで終わることが出来る。そこまで母親の存在が成り下がってしまっているのだ。
「イグルド、王宮に潜り込んだネズミがここに一挙に集まるというのなら、そこで仕留めてしまうのが一番手間もかからずに済む。そこに王妃が居たという事実が貴族どもの緊張感にも繋がるだろう?」
血糊がついた剣を振るって自分の袖下で無造作に拭いとると、鞘に収めながら周囲を一周見渡すようにレクネンは視線を向けた。
悪意を判断する際に、王子の瞳には金冠が現れる。
ホッとため息を吐き出した王子は、母親の方は振り返りもせずに、
「それで?明日には貴族会議をやるんだよね?早く終わらせてオーグレーン侯爵邸に帰りたいんだけど」
レクネンは苛立ちを隠しもせずにイエルドを睨みつけた。
麻薬の輸送拠点となるベルゲンとハーマルを急襲した時もそうだった。
レクネン王子はハリエット欠乏症を起こすと、早く全てを終わらせて、さっさとハリエットの元まで帰ろうとする。
このままでいけば、
「どうせ叔父上が王位を継ぐのだから問題なかろう?」
などと言ってマグナス国王陛下を殺しに行きかねない状態だ。
「わかりました、侯爵邸に戻ったハリエット嬢を王子の離宮に呼び寄せましょう」
普段から疎遠な関係だと言っても、一応は王太子である。陛下への謁見を申請するのは簡単だし、王の執務室を襲撃できる立ち位置に居るわけだ。やろうと思ったらやりかねないレクネンを放置するくらいだったら、猛獣使い(ハリエット)を呼んだ方がマシだとイエルドは咄嗟に考えた。
「明日、フィリッパとの婚約が発表されるのに、ハリエットを王宮に連れてきたらおかしな事になると言ったのはお前だよな?」
「あの時はあの時です、私が今、ハリエット嬢を呼んでも良いと判断いたしたのです」
「王宮に潜り込んだ敵はあらかた殺したから安全だという判断なのだな?」
死体が無数に転がる王妃のサロンの中で、嬉しそうに笑うレクネンは血まみれ状態だ。
他人の悪意が見えるようになったレクネンに躊躇は一切ない。
もしもイエルド・カルネウスの胸や全身に悪意の渦が発生したとしたならば、王子は何の躊躇もなくイエルドを殺すだろう。
おそらく躊躇するのはハリエット・オーグレーンだけ、王子にとってハリエット以外はどうでも良い存在に成り下がっているのだ。
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