第29話
悪役令嬢は死んだ。
本当に死んだかどうかは別として、色々と精神的に追い詰められていたイングリッドは、毒を盛られた際に、精神的な何かが死んだのだろうとエルランドは思う。
「でもさあ、そんな風に考えれば悪い事ばっかりじゃないんじゃないかな?」
「確かにそうですよね」
イングリッドの言葉に、ハリエットは何度も頷いた。
ハリエットは完全にモブキャラに転生をした。ゲーム中にハリエット・オーグレーンという令嬢は出てこないし、ヒロインの邪魔もしない。殿下の婚約者候補として集められた令嬢のうちの一人として、画面後方にぼんやりとしたシルエットで佇んでいる程度のキャラなのだ。
ハリエットは完全なるモブだ、だけどオーグレーン侯爵家はゲームの中では重要なポジションで登場する事になる。いつでもヒロインの邪魔をする悪い奴で、最後には没落が決定、それがオーグレーンの役割という事になる。
まるで転生した悪役令嬢が運命を覆すために、世の中の為になるような努力をするように、ハリエットは実家が没落の危機に陥らないようにと努力に努力を重ねた所がある。
一体、何件のトイレを街中に設置した事だろうか。
一体、何件の農家と契約をして、屑野菜を教会宛に送るように手配しただろうか。
ハリエットが肥溜めを肥料にするため、何処に糞尿を集めるか、どうやってそこまで運ぶか、その方法を悩んでいる間に、フィリッパ(ヒロイン)は呑気にお菓子を食べていたのに違いない。
「良くある展開でいけば!滅びるのはフィリッパ(ヒロイン)という事になりますよね!」
ハリエットがイングリッドの両手を掴んで見つめると、イングリッドはその美しい顔にニヤリと、底意地の悪い笑みを浮かべたのだった。
ゲームの内容を用紙に書き記し、打ち合わせを終えて、スキップしながら帰っていくハリエットをイングリッドとエルランドが見送っていると、エルランドの側近であるウルリック・ルイマンが慌てた様子でこちらの方へと駆け寄って来た。
どうせ軍事機密とか何とかなんだろうと考えたイングリッドが、その場から離れようとすると、耳打ちされたエルランドは驚愕に目を見開いた後、ワナワナと震え出した為、思わずその場から動かずに、針のように視線を鋭くするエルランドの精悍な顔を見上げた。
「では、私はすぐに部隊を編成して進発する事に致します!」
ウルリックは敬礼をすると、回れ右をして走り出す。
ウルリック・ルイマンは常に前線に立つ第六師団の師団長だという話は聞いている。第六師団が動く=戦争が起こるという事を意味していた。
「それで?どしたん?」
「帝国の本隊が動き出したらしい」
帝国の帝都近郊に駐屯する本隊と呼ばれる部隊はその数八万と言われている。帝都の守りもある為、この八万を全て動かす事はないだろうけれど、大部隊がエヴォカリ王国を目指して動き出した事になるらしい。
「それじゃあさ、帝国が動き出したって事は、王都でクーデターが起こるって事になるよね?」
イングリッドは、ハリエットが知る限りのゲームの展開が書かれた紙をめくりながら言い出した。
「騎士団長の息子ルートでそういうのがあったじゃん、帝国が国境線を脅かしている間に、王都に潜り込んだ帝国の間諜が市民を煽動してクーデターを起こすってやつ」
クーデターを扇動するのは冒険者ギルドに潜入した帝国人たちで、下町を中心に暴動を広げ、怒り狂った市民は貴族街にまで突入。
「途中で引き返してきた騎士団長の息子が負傷者の治療をしていたヒロインを助けて、王宮に火をつけようとしていた裏切り者(オーグレーン侯爵)を捕まえるんだよね?騎士団長の息子は確実に命令違反をしているんだけど、王都もヒロインも助けて英雄になるっていうんだけど、騎士団長の息子って30オーバーの妻子持ちだよね〜?」
「ないな〜・・それはないわーー」
エルランドは冷静になって考えた。
今現在、騎士団と呼ばれるのは祭事や儀式で王族の警護にあたる儀仗部隊の事であり、団長という名前はついているものの、六十名程度しかいないお飾りのような部隊なのだ。儀仗部隊に王都は絶対に守れないし、妻子持ちの騎士団長とヒロインの間に愛も生まれない。
「そもそもさ、王都で市民が暴動する理由って、数年前に怒った疾病の蔓延によって多くの民が王都で死んだからなんでしょう?」
イングリッドは紙の束をめくりながら言い出した。
「オーグレーン侯爵家が娘を王妃にする為にって言って、山ほどトイレを作ったし、下水と排水の処理をきちんと行うようにしたお陰で、疫病が蔓延していないんだけど」
確かに疫病は蔓延していない。知識の塔が缶詰を開発したため、王都には幾つも工場が出来たため、雇用も創出されているし、市民の生活も目に見える形で向上しているのだ。例えクーデターを起こそうとしても、ならず者が暴れる程度で終わるかもしれない。
「問題の冒険者ギルドを潰しておけばいいんじゃないの?」
「それもありだな」
「あとさ、対帝国戦についてはアイデアがあるんだけど」
アハティアラ公爵家は建国の時代から王家に仕える名家であり、守りの要と言われ、その領地は帝国との国境近くに広がっている。麻薬の精製工場を作っているだけあって、帝国もアハティアラ公爵領はすでに自国に取り込んだつもりでいるだろう。
一通りの話を聞いたあと、エルランドは即座にそのアイデアは採用するべきだと判断した。
「危なかったな、ゲームの知識があるかないかで大違いだ。ハリエット嬢には感謝しないとだな」
ゲームの内容を網羅した書面をエルランドが握りしめると、イングリッドは小さく肩をすくめてみせた。
「フィリッパが異世界転生しました系だとしたら、あっちもあっちで、これと同じ程度の情報を手に入れているって事だろう?だったら、裏の裏の裏をかいていかなくちゃ」
悪そうな顔で言い出すイングリッドを見下ろしたエルランドは、思わずため息を吐き出した。前世、麻薬の売人だったイングリッドは人の裏をかくのが大好きだ。
そうしなければ成り上がれないし、生き残れなかったのだろうとはエルランドも思うのだけれど・・
「何?なんだよ?」
「いいや、とにかくそちらは任せる、よろしく頼む」
国家存亡の危機は訪れた。
今は前世麻薬の売人であるイングリッドに全てを託すより他はない。
「いいって事よ、亡命する時には伝手と金をヨロ」
「亡命ってお前・・」
まだ亡命を諦めていなかったのか。
闇の仕事ばっかりしている売人らしいなあと思いながらエルランドは苦笑を浮かべたのだった。
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