第16話

「何よ!何よ!何よ!何よ!ふざけた事を言っているんじゃないわよ!」


 王子の侍従に追い払われる事になったフィリッパは地団駄を踏みながら文句を言っていた。


 イングリッドの姿を遠目に見ながら自分と接吻を繰り返していたのはレクネン王子であり、愛しあう自分たちの姿を見せて、イングリッドは邪魔者以外の何者でもないと、言葉ではなく態度で主張しようという話に乗ったのもレクネン王子だ。


 ガゼボでの逢瀬は王宮内でも話題となり、レクネン王子とフィリッパの熱愛を知ったマグナス王は、王子の婚約者をイングリッドからフィリッパに挿げ替える事を本気で考え始めているという。


 フィリッパの母であるフレドリカは、当時王太子であったマグナスと市井で出会い、恋仲となった過去がある。


 当時、マグナスの婚約者であったペルニアに邪魔をされて、別れる事になってしまった二人だけれど、叶わなかった自分の恋を、自分の息子にフレドリカの娘であるフィリッパを娶せる事によって成就しようと考えている。


 ここまで攻略を進めていれば、周りの人間はフィリッパとレクネンが婚約者同士となり、後に結婚の運びとなるのが既定路線だと考えるだろう。


 勿論、悪役王妃であるペルニアと悪役令嬢であるイングリッドが邪魔をしてくるだろうが、そもそもその対応策をフィリッパは十二分に考えている。


 そんなレクネンの態度に変化が見られたのは、面会の場をイングリッドが求めた後からだろうか。


 わざわざ王宮に参内したイングリッドに、フィリッパとのキスシーンを見せつけるような行為を行なったレクネンは、自ら用意した茶会の席にイングリッドが現れなかった事に強い怒りを見せたのだ。


 しかもその後、王妃に誘われて王妃宮のサロンへと赴いたイングリッドが、王弟エルランドが毒を盛られて倒れる現場に居合わせる事となり、心神喪失となったが為に同席していたカルネウス伯爵に保護される事になったという。


 レクネンは伯爵家まで見舞いに行きたいと打診したものの拒否される事となり、アハティアラ公爵家としては娘を返すように要求しているものの、公爵の要求すら伯爵は拒否してしまったのだ。


 伯爵の背後にペルニア王妃が存在するのは間違いなく、ヴァルソトロム公爵家の娘であった王妃の後には隣国ブロムステン王国が存在するのは間違いのない事実。


 噂によれば、イングリッドが婚約者の立場から退けられる事になるのであれば、王弟エルランドにイングリッドを娶らせれば良いと王妃は考えているようなのだ。


「フィリッパ様、こういう時こそ、焦りは禁物でございます」


 後ろからついて歩いていた専属侍女のミリアーナが、周りには聞こえないような小さな声でフィリッパに囁いた。


「フィリッパ様は上手くやっておりますし、殿下にしても、先ほどの発言は決して本心ではないでしょう」


「本当に本心ではないというの?」


 レクネン王子はフィリッパを愚か者であると断言した。フィリッパは今回の人生でそんな事を言われるのは初めての事だったので、屈辱による怒りが腹の奥底で燃え上がっていたのだ。


「愛さぬものへ情熱的な接吻など贈りはしないでしょうし、レクネン殿下の婚約者の座はフィリッパ様に決まったようなものでございます。何も心配する必要などございませんよ」


「本当に?本当に何の心配もないと思う?」


 本来、ゲームの通りで話を進めるのなら、フィリッパは、傲慢不遜な義姉であるイングリッドに虐め倒されなければならないし、仕事ばかりのアハティアラ公爵とも疎遠な関係となっていなければいけなかった。


 使用人からも庶子としてバカにされなければならなかったし、存在価値を見出せない自分自身に対して奮起をして、前世の知識というチートを使って色々な便利グッズを発明しなければいけなかった。


 フィリッパは、公爵邸に招き入れられたその日に前世の記憶を取り戻したし、この世界がゲームの中の世界である事にも気がついた。


 ゲームの内容に反して母であるフレドリカが見事な働きを見せた為、傲慢不遜となるはずだったイングリッドは、あっという間に自室に軟禁状態となり、父である公爵はイングリッドに欠けらほどの興味も示す事はなくなった。


 父と母に愛情をたっぷりと注がれ、成長したフィリッパは、王国の王太子であるレクネンに溺愛され、何もかもが上手くいっていると思っていた。


 何もかもが上手くいっていると思っていたのに、

「私が妻とするのはイングリッドだ、それ以外には存在しない」

そう断言するレクネン王子を見上げて、フィリッパは恐怖に包み込まれる事になったのだった。


 ここはヒロインだった母が失敗した後の世界の話であり、ヒロインであるフィリッパは、順調に話を進めていると思い込んでいた節がある。


「ふぅ・・・ううううう・・・」


 人の目に触れるのを恐れたフィリッパは、庭園の奥へと移動しながら涙をポロポロとこぼし落とした。


 ここは『暁のホルン』の世界のはずなのに、怠惰に過ごしたフィリッパは、今の今まで何の発明もしていない。


 フィリッパが発明しなければ、王国が大きな危機に直面する場面が二度三度あったはずなのに、何の問題もなく過ごしていたがために、チートを利用する重要性を忘れていたのかもしれない。


 黄色のふさ状に広がるミモザの花とシルバーグリーンの葉が見事なコンロラストを描く、鮮やかな色彩で彩られた回廊を、フィリッパが泣きながら進んでいくと、

「フレドリカ?」

突然、背後から声をかけられたのだった。


 後を振り返るとそこに立つのは、黄金の髪に金色の瞳を持つ壮年の男性であり、レクネン王子によく似たその人は、

「フレドリカじゃない・・彼女の娘のフィリッパか・・・」

と、小さく呟くように言ったのだった。

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