第17話

「今のは一体何だったんだ?」


 背を向けて王妃宮の庭園から出ていってしまったレクネン王子を、呆然と見送っているイングリッドの可憐な表情を横目に見ながら、王弟エルランドは思わず吹き出すようにして笑い出した。


「君は気がついていないの?」

「はい?」

「レクネンはさ、初めて会った時から君に夢中なんだよ」

「はあ?」


 今度はイングリッドの脳みそが宇宙を彷徨う番だった。

 レクネン王子がイングリッドに夢中?それは何処かの宇宙言語か何かなのかな?


「レクネンは身分の低い令嬢たちを恋人扱いにしていたようだけど、イチャイチャするのはいつでも君の目の前でだけ。感情を表に出さない君が表情を崩す姿を見るのが癖になっていたんだろうね」


「はい?」


「俺が知る限りでも、君が最も表情を動かすのは義妹のフィリッパや義母のフレドリカが関わる時だったから、レクネンはあえて君に見せつけるようにしていたんだろうね」


「小学生男子が好きな子の前だと素直になれないアレ?好きな子にはあえて意地悪をしては、その反応を伺っているっていうアレってやつ?」


「レクネンはさ、王妃が産んだ唯一の王太子だから、真綿に包まれるようにして育てられたわけ。だから人格自体が熟成しきっていないし、やる事なす事幼稚なのは、周囲の環境によるものが大きいんじゃないかと俺なんかは考えるね」


「へーーー、くそどうでもいーーー」


 呆れた声を上げながらイングリッドが扇子をパタパタやっていると、

「時間もないし、これ以上邪魔が入ると困るから、まずは質問しておきたいんだけど」

と、エルランドは真面目な顔で言い出した。


「君も俺も、前世の記憶が残っているという事は間違いない事実だよね?」


「うん?」


「俺はさ、この世界が前世で創作された何かの世界なんじゃないかと思うんだが、君は何か心当たりはある?」


 イングリッドは今まで無料で読んできた数々の物語を思い出しながら、首を横に振って答えた。


「ないよね〜、イングリッドとか、フィリッパとか、レクネンとかエルランドとか、そんな名前が出てくる物語なんか読んだ事ないと断言できるっちゃ出来るけど〜」


「君はさ、生前、乙女ゲームとかやった事ないの?」

「乙女ゲーム?」


 それは、一人または複数のヒロインが、数々の攻略対象者(イケメン)を攻略して最後にはハッピーエンドを目指すゲームなはずなのだが、イングリッドはそういった内容のものは一度としてやったことがない。


「そういえば、物語の中でも、度々、乙女ゲームの中に転生しちゃって〜みたいな内容のものがあったな」

「そうそう、そういった作品は俺、百本近くは読んでいるかもしれない」


 当時は異世界転生ものがやけに流行っていたという事もあって、類似作品がそれは山のように存在していたわけだ。


「よくあるパターンでいけば、王弟である俺は攻略対象者、レクネンも王太子だから攻略対象者、他に攻略対象者は、騎士団長の息子だとか、宰相の息子だとか出てくるのかもしれないが、どちらも三十歳オーバーの妻子持ちだから省くとして、君は確実に悪役令嬢枠に収まると思う」


「だとすると、義妹であるフィリッパがヒロイン?ゲームだったら悪役令嬢がヒロインにギャフンされる系だよね?」


「だけど、物語だったら悪役令嬢がヒロインをギャフンするだろう?」


 イングリッドは頭を悩ませた。


 確かに、過去、山ほど(無料で)読んだ作品の中では、ヒロイン属性の女が死ぬほど意地悪で、虐められた悪役令嬢枠の女が、ヒーローの助けを得ながら、ギャフンさせてざまあさせるなんて内容のものは存在した。確かに山ほど存在した。


「これってゲームなのか、物語なのかで話の展開が随分と違ってくるわけだよね?」


 イングリッドが頭を悩ませながら問いかけると、

「俺が今まで読んでいた内容のもので、悪役令嬢の前世が麻薬の売人とか、そんなものは存在しないんだけど?」

と、エルランドが言い出した。


「それ言ったら、王弟の前世が自衛官だなんて作品、僕だって読んだことないんだけど?」

「普通、転生前はサラリーマンだったとか事務員だったとか、医者だとか看護師とか」

「女子高生とか、男子高生とか、女子大生とか、フリーターとか」


 自衛官だったら、何かしらの作品に引っかかりそうだけれど、麻薬の売人はないだろうと思う。ちょっとうんざりした様子でエルランドはイングリッドの美しい顔を見つめた。


「前世、ヤクザの組長とか、若頭とか、ヤンキーだとかが転生してという物語は読んだ事があるよ?だけど、中南米を拠点として、キロ幾らで売買するか決めるガチの麻薬の売人だなんて設定見たことないよ?しかも警察の摘発に、ギャング同士の抗争だとかでドンパチ中の流れ弾に当たって死亡って、そんな話聞いたことある?」


「流れ弾に当たるなんて超良くある話じゃん!僕なんか、女性の警官が拳銃持っているのを見た瞬間に逃げ出すようにしていたもん」


「敏腕女性刑事が悪者を即座に捕える事になるとかそんな話ってこと?」


「違う!違う!女性の警官は、何かあればビビって引き金引くから、流れ弾が何処に飛ぶかわかんないから!超危ないんだよ!」


 ギャング同士の抗争も危ないと思うのだが、それと同じ位に女性警官も危ないのか・・・


「日本だったらそもそも警官が拳銃の引き金なんか引かないし」

「自衛官だったら訓練とかするよね?もしかして、自動小銃扱える系の人?」

「もちろん訓練で扱うし、とりあえずこっちの世界でマスケット銃の開発まではこぎつけたけど」

「え?マジ?だったら短銃とかもあるよね?」


 イングリッドの瞳が異様なほどにギラリと光る。

 獣みたいにギラギラ光る瞳を見て、売人だから拳銃を扱った事があるんだな〜という事実に直面して、エルランドは思わずゾッとしてしまったのだが・・


「そもそもさ、君みたいなガチの売人が悪役令嬢に転生したのって、麻薬が蔓延るエヴォカリ王国をなんとかしてくれっていう女神様の差配かなんかかもしれないよね?」


ハッとした様子でエルランドは言い出した。


「女神様が、この世界をなんとかしてください!なんて言いながら転生させる物語、30本から40本くらい読んだ覚えがあるんだけど?」


「いやいや、気がついたら毒を吐き出していたし、過去に女神様にお願いされた経験ないんだけど?」


「ありえるよ!十分にありえるよ!じゃなきゃ、普通、ガチの麻薬の売人が転生なんかする?」


 エルランドは、前世、ガチ中のガチ系売人だったイングリッドに何かの意味を見出そうとしているのかもしれない。


「とにかくさ、これから知識の塔に行ってみない?」

「知識の塔?」

「そこには世界各国の麻薬も集められているし、俺が開発した兵器なんかも保管されているんだけど」

「行く!行く!」


 前世、売人だったイングリッドは、あくまで生きるための仕事として麻薬を取り扱っていたし、趣味趣向として使用した事は一度としてない。


そんなイングリッドは、今まで多種多様な麻薬を見てきたのだが、こちらの世界のものに対しても、ものすごい興味が芽生える事になるのだった。

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