第2話 リリーの村
近くの川で休憩がてら靴底を洗った。ちょっと靴の中が湿ってガポって言うのが気持ち悪いが、ウンコ臭いよりマシだ。
「私はリリー。あんた、この辺の人じゃないでしょう?」
彼女はそう言って、カゴから紙の包みを出して開くと、黒いパンのような物をちぎり、「食べなよ」と俺に渡した。
俺は「ありがとう」と、見た目よりずっりりと重く硬いそれを受け取った。
「俺は……
「コバヤシューダイ?? ヒーズルゥショー?」
不思議そうに首をかしげる様子を見て、俺はハッと気づいた。
日本語の名前が通じないんだ。
「ユーダイでいいよ」
そう答えて、俺はニンマリと笑った。
これ、ゲームとかアニメで見る「異世界転生」とか「異世界転移」ってやつだ。それもガチなやつだ。スゲー! 本物の「異世界」だ。ヤバい、動画撮りたい! 俺ワクワクしてきた!!
俺はリリーから渡されたパンのようなものに齧りついた。硬い……
「千切って食べるんだよ。
彼女は持っていたカップに白っぽい液体を注ぐと、パンを浸してから俺に渡した。それを見様見真似でやってみる。
牛乳のようなそれは、トロリと甘酸っぱい匂いがしたが、浸したパンはしっとり食べやすくなった。
「ところで、なんであんなところにいたの?」
「それは……」
俺は自分が学校のトイレでウンコを詰まらせ放置した事を隠して、トイレに入って出たらここにいた事を話すと、彼女は一瞬だけ遠い目をした。そして、
「そっか、ユーダイは異世界人か」
と、たいした驚きもせずに呟いた。むしろ残念そうな顔をしてる。なんか俺、痛い人みたいだ。
「それで? ユーダイは元の、そのガッコってとこに戻りたい?」
戻る――その言葉は俺に現実をつきつけた。帰りたくない訳じゃない。ただこのまま何もせず帰るのは惜しい。だって折角「異世界」に来たんだ。どんなところか色々見てみたい。なにより剣とか魔法とかゲームの世界みたいでカッコいい。
でも……俺の心はブランコみたいに揺れた。
「親に怒られそうだけど、ここが異世界ならすぐ帰るの勿体無い気もする」
「親か……まぁ今すぐに決めなくても。いつでも帰れる伝手はあるから。じゃあ行こうか」
そう言ってリリーはカゴを担いで立ち上がった。
「どこへ?」
「とりあえず、私の家」
焦げた臭いと熱気が、風に乗ってまとわりつく。
啜り泣く声と悲鳴を聴きながら、俺とリリーは何人かの村人達と、街道脇の風車小屋の影に身を寄せ合って震えていた。
それはほんの1時間ぐらい前だった。
「ダメだよリリーちゃん! 村に魔物が出たんだ! 逃げるんだよ!」
街道で小さな恐竜みたいな生き物に、荷車を引かせた一家とすれ違った時、小さな子供を抱えたおばさんがそう言って俺たちを引き留めた。
歩いて逃げてる人もいた。だけど、そのまま来てしまった。
俺たちが村の近くまで来た時、リリーの住んでいる村が、盗賊グマーという魔物に襲われて燃えていたんだ。
村の前で立ちすくむリリーを引っ張って離れ、辛うじて村を脱出した人たちと一緒に隠れている。
戦う術がない人は、襲ってくる魔物からこうして身を隠すことしかできないんだって。
異世界転移したんだぞ?
なんかこう、すっごいスキルとか魔法とか無いのか? 体の底から湧いてくるナニカって無いのか?
でも現実は残酷で、俺は何もできずに知らない大人たちに守られるように一夜を明かし、俺たちは明るくなってから、焼け落ちた村に戻った。
ところどころ燻って焦げ臭い村の一角で、リリーはぼんやりと焼け跡の前に立っていた。
「燃えちゃった……」
昨日出会った時の気の強そうな表情は消えて、今にも泣きそうな女の子が目の前にいた。
そういえば、リリーの両親はどうしたんだろう? 風車小屋には居なかった。もしかして……
俺は胸がギュッと締め付けられるような気がした。
「リリー?」
「ユーダイを元の世界に帰してくれる所に行くための、転移魔法陣が燃えちゃった……」
その転移魔法陣というのは、リリーの故郷であるヒュドールという街に行くためのものだった。彼女の両親はそこにいる。
俺と歳が変わらないのに、どういうわけか、彼女はここで1人で暮らしていたんだ。
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