100 奴隷市場
伝書カルトが、空を飛んでいた。
鳥とほとんど区別がつかない見た目、だがれっきとした魔獣だ。
魔獣を操る術はハイラ族のみが持っている。
子供の頃から魔石を飲み込み、体内に蓄積させ、その力をもって魔獣を意のままにあやつるのだ。
キッサとシュシュの姉妹はハイラ族で、シュシュはまだ魔石を飲んだことはないらしいけど、キッサは力の弱い魔獣ならほぼ自由に自分の支配下におくことができる。
そして、それは山賊の副首領だったパミーヤも同様に持つ力だ。
そのパミーヤが放った伝書カルトが、俺たちのもとに文書を届けに来たのだった。
「こっちにおいで」
キッサが手をのばすと、その腕に伝書カルトが降り立つ。
鳩より一回りか二回り大きいくらいのサイズ。
その首からは伝書用の筒がぶら下がっている。
その筒の中には、ラータ将軍からの言伝が入っていた。
『やあエージ卿。これを読んでいるということは、無事に帝都にたどりついたようだね』
うわあ。これを読んでいる~っていう表現、リアルでは初めて見た。
『ところで、敵の第二軍が想定の配置についた模様だ。明日未明に総攻撃をかける。ヘンナマリはこちらの戦場にきているだろう。エージ卿も時間を一にしてセラフィ殿下の奪還を図ってほしい。そちらも戦闘になるだろうが、卿とアリビーナならやってくれると信じている。明日の未明だ、いいね? よろしく頼んだよ』
けっこうあっさりした文章だけど、なるほど、明日の夜明け直前か。
タワーを守る近衛兵が五百人として、半分以上は寝ている……はず。
俺たちはいったん出直すことにしよう。
アリビーナの家への帰り道、奴隷市場が開いているのを見た。
これも勉強かと思って覗い(のぞい)てみたが、正直日本で生まれ育った俺には刺激が強かった。
十人ほどの奴隷――もちろん全員女だ――が裸で並ばされている。
全員が首輪と鎖でつながれていて、さまざまな人種の奴隷たちが、諦めの表情で壇上に立ち、奴隷を買い求める客たちは好きなように奴隷の身体を触ったり叩い(たたい)たりしていた。
頑丈さでも調べているのだろうか。
夜伽三十五番――いや違う、今はサクラか、サクラが、悲しそうな目でそれを見ていた。
「私は五歳の時、ああいう壇上に並んでました」
彼女は生まれついての奴隷だったのだ。
「母の顔も聖石母の顔も知りません。私は奴隷で、奴隷は人とは違うのだと教えられました。ご主人様、ご主人様は私を私に売ってくださるそうですが……正直、自由民になるのはとても怖いです。私は全てを――命も含めて全部をご主人様にささげて今まで生きてきたのです。ずっと考えていたのですけれど……私はずっとご主人様の奴隷でいたほうが幸せなのかもしれません。ですから……」
これには考えさせられた。
確かに、短期的に見ればサクラにとって自由民になるということはある程度の不幸を呼び寄せるかもしれない。
自由というのは責任を自分で引き受けることだ。
いままでそれを主人――前はリューシアで、今は俺だ――に任せきりだった彼女が、
突然すべてを自分の責任として自分の自由に生きろ、と言われても、喜びよりも恐怖が先に立つのは当たり前なのかもしれない。
生まれ育った中で培われた価値観を変えるというのは、例えそれが自分にとって良くない価値観だとしても非常に難しいのだ。
俺自身だってそうだ。
俺は日本で生まれ育った人間だし、奴隷なんてものはよくないものだと心の奥で思っている。
それが俺の価値観だから、サクラを自由にしてあげたい。
ただ、この世界で生きていく以上、俺自身奴隷制度というものを受け入れて奴隷を俺のために有効活用したほうが得なのだ。
サクラを自由になんてしないほうが得だ。
だけどさ。
わかるだろ?
人間損得だけじゃあ、生きていけない。
自分の価値観を変えるのは難しい、というよりも、正直嫌だ。
だから俺は俺の価値観を変えない。
同じようにサクラも奴隷であるサクラ自身がもっている価値観を変えたくないのだろう。
俺は逃げるように奴隷市場から離れ、アリビーナの家へたどりつくまでそのことを考え続けた。
自由というのはまったくの完全なる無条件ですばらしいもの、ではない。
俺はそうでもないけど、『子供の頃は楽しかった、毎日が輝いてた』なんてことを言う奴がいるだろう?
でも考えてみてくれ、子供の頃なんて人生で一番自由のない時期のうちのひとつだ、保護者に保護されるかわりに責任と自由を保護者に握られている。
でも子供時代が素晴らしかったという人は多い。
自由がないから不幸せだということにはならないのだ。
アリビーナの家についてから、俺はサクラに言った。
「サクラ、俺がお前を人に売るとしたら金貨三十枚だな」
「あ、はい……え……三十枚……」
これは第五等騎士としての三ヶ月分の俸禄にあたる。
「……高いですね……その値段じゃ誰も買いませんよ?」
横からアリビーナがそういう。
「いいんだよ、売るつもりはないんだから。で、アリビーナに証人になってほしいんだけど、サクラ、お前はいつでも俺からお前を買ってもいいぞ、その場合石貨一枚に割引してやる」
「……こんどは安いですね……」
アリビーナが呆れた(あきれた)ように言う。
石貨一枚っていったら子供の小遣いだからな。
「いいんだ、つまりサクラはいつでも自分を自由の身にさせられる自由を手に入れたってことだ」
「あ、はい……」
混乱した表情を浮かべるサクラ。
「いつでも自由になっていいし、奴隷のままでいてもいい。それはサクラの自由だ」
日本で言う社畜だって奴隷のようなもんではあるけれど、奴隷そのものじゃあない。
それは社畜をやめる自由があるからだ。
その後の生活や再就職の困難さとかで、状況的に退職できないことも多いが、日本国憲法で職業選択の自由は保障されている。
『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する』
と、はっきり憲法にかかれてあるのだ。システム的に不可能ということはありえない。
勘違いしている人がおおいけど、日本では法律上、やめると宣言したら二週間後には絶対にやめられるようにできているのだ。社長がダメだっていったってそんなの通用しないぜ。
俺はその程度の自由からサクラに与えてあげようと思ったのだ。
俺の中の価値観と、この世界の常識との折衷案だな。
アリビーナはものすごく微妙な表情で、
「あんまり奴隷に甘くしすぎると、後で痛い目にあいますよ……」
と言った。
その意見もわかるんだが、なにしろ俺は現代日本的価値観の持ち主だしなあ。
おしきらせてもらうぜ。
「わかったな、サクラ、お前はお前が自由民になりたいと思ったらすぐに自由民になれる。それをご主人様たる俺が保証するぜ。アリビーナが証人だ」
「証人になってもいいですけど、私は薦められないですね……」
アリビーナのその言葉どおり、俺はのちに『痛い目』にあうこととなる。
でもそれはもっとあとのことだ。
さて、作戦の話だ。
「明日の未明が決行日だ。今は身体を休めておこう。なにか食うもの、あるか? さっきからシュシュがふてくされてしょうがない」
アリビーナの用意した簡単なスープをおかずにして、おれたちは持ってきたパンをかじることにした。
今夜は緊張で眠れなさそうだ。
九歳のシュシュや法術を持たないサクラは戦力には数えられない。
俺とアリビーナ、それにキッサの三人だけで、帝都の中枢を襲おうというのだ。
俺は味のしないパンを口にしながら、明日の戦いのことや、サクラのことや、それにキッサやシュシュことを、黙って考え続けた。
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