98 婆様



 ま、当たり前か。


 俺だって自分の名前が田中セフレ三十五号だったら一目散に裁判所にかけこんで名前を変えてただろうしなあ。



「悪かったな、今までいろいろありすぎてお前の名前のこと、ほっといてしまった」


「あ、はい……いいえ。私は奴隷ですから……」



 奴隷といったって、夜伽三十五番はいくらなんでもひどい。



「なんか自分で考えていた名前とか、あるか?」


「あ、はい、いいえ、奴隷が自分の名前など……ご主人様がつけてくださったお名前が私の名前です」


「夜伽三十五番、だなんてあのリューシアがつけたんだろ。俺がつけたんじゃない。俺が改めて名前、つけるよ。自分の希望の名前、本当にないのか?」


「あ、はい、…………ないです……」



 うーん、そうか。


 ないのか。


 あればそれでよかったんだけど……。


 うーーーん……。


 せっかくだから日本っぽい名前にしてやろうかな。


 三十五番だから……。


 みこ、みいこ、みく……うーん。


 俺は彼女の顔をじっと見つめて考える。



「三十五番……さ、さ、……サクラ、ってのはどうだ?」


「サ……クラ……?」


「ああ。俺がまえいた国、日本で一番美しい花の名前だ」


「あ、はい……花!? 花の名前を私に……? そんな……」



 聞いた瞬間、三十五番はブルブル身体を震わせ始めた。



「あれ、花の名前ってのはまずかったかな?」



 そこにアリビーナが口を挟んだ。



「エージ卿はご存知ないかもですが……。それに、最近は男性が存在しないのでほとんどすたれてしまった風習で……」


「ん? 風習?」


「はい。ターセル帝国の、特に東側の風習なのですが……。男性が、自分の恋人に花の名前のニックネームをつけて呼ぶ、という風習がありまして……」



 ああ、別にあっても不思議じゃない風習かもな。


 花ってのはどの時代、どの国でも人々が愛でるものだしな。



「じゃ、それでいいや」


「えええええええ!?」



 大声をだしたのは夜伽三十五番、いやもうサクラか、サクラだけじゃなかった。


 キッサまで悲鳴に近い大声を出していた。



「あのあのエージ様」



 キッサがそのIカップを揺らして立ち上がる。



「そ、そ、そ、それは、あの、この人を恋人にするとか、そういう……?」


「ああ、違う違う、でもまあ、俺の奴隷は俺にとって大事だからな、花の名前くらい、いいだろ」


「大事……私も……?」


「ああ、もちろん。キッサもシュシュも、それにサクラも、俺にとっては大事な人だ。いいか、大事な奴隷、じゃない、大事な人だぜ」



 キッサはその場にすとん、と座り込むと、



「私が……エージ様にとって……大事な人……」



 と呟くと、にやけた顔を真赤にしてうつむく。


 サクラの方はというと、信じられない、という表情で、



「奴隷じゃなくて……人? 私が……人……?」



 といって、自分の頬を両手で抑える。


 そういえば、サクラは物心ついた頃から奴隷だった、といっていたな。


 最初の記憶は奴隷市場で売られている自分……。


 キッサやシュシュはともかく、サクラは奴隷じゃない自分ってものを知らないのだ。


 ご主人様のために存在して、ご主人様に尽くし、ご主人様のために死ぬ、そう心から信じきっている存在。それがこの世界の奴隷だ。



「前にいったけどな、サクラ。……サクラ?」


「…………? あ、はい!」



 自分の名前がサクラだということがまだピンときていない彼女に俺は言う。



「サクラ、今回の件がうまくいって、皇帝陛下が帝都に還御されれば、俺にもある程度の褒美があると思う……。だから、前にも言ったけど、その時はお前に給料を出す。それで俺から俺を買いな。それで自由民だ」


「あ、はい……でも、なんだかそれは怖いです……私は誰かのいうことを聞くだけで生きてきたので……」


「慣れればいいさ、慣れるまで俺の家臣になれ。キッサとシュシュも……って、二人は陛下との約束で売り買い禁止だしなあ。首輪もあるし、……これ、外せないんだよな?」



 そうなのだ。キッサとシュシュは特殊な事情があって、自由の身にするわけにはいかない。


 ま、俺から陛下にお願いすれば自由民になる許可はでる可能性はなくもないけど、でも首輪の問題はなあ……。


 宮廷法術士三人による強力な拘束術式がかけられていて、その三人がそろわないと解除できないのだ。


 そして、おそらく先日の反乱で、三人の宮廷法術士が全員生きている、ってことはほぼありえない……。


 もうキッサたちを本当の意味で自由の身にしてあげることはできないのだ。



「なるほどですねえ」



 そんな話をしたら、アリビーナはキッサの首輪をまじまじと見ながら呟いた。



「これ、婆様ならいけるんじゃないかな……」


「婆様? 誰?」


「隠居した元宮廷法術士ですよ。今はどこか田舎でのんびり暮らしているとかいう噂ですが、現役だったころの伝説はすごいですよ……。一人で飛竜を倒しただとか、空を飛べただとか、大地震を予知してみんなを避難させたとか、重病だった先々代の皇帝陛下をあっというまに治療したとか、そうそう、歴史上誰にも解けなかった古代の遺跡の封印を解いただとか……」



 古代の遺跡の封印を解いた?


 なんだかしらんがすごそうだな。



「その人ならひょっとしたらこの拘束術式を解けるかもしれないのか?」


「はい。なにしろターセル帝国の歴史上最高の宮廷法術士、といわれてましたからね。宮廷法術士を引退したあと、市井に入り、帝都中をまわって弱者救済のために力を尽くしたんです、病気の治療だとか呪いの解呪とか……。それで私達帝都の市民は親しみを込めて婆様、とお呼びしているんですが……」


「今どこにいるか知っているか?」


「もう百歳にもなろうかという方ですからね……。亡くなったという話は聞きませんし、今はさすがに市内をまわることもなくて、どこか田舎に隠遁しているという噂はありますけど……」



 うむ、それだけ聞ければ十分だ。


 希望が出てきた。


 キッサとシュシュを、普通の女の子に戻すことができるかもしれない。


 と、そこでシュシュが叫んだ。



「お腹すいた!」



 お前は時報か、一時間置きにそれを叫びやがるな。


 まったくもう……。


 しかし、今はまずセラフィ殿下の奪還作戦の方が重要だ、何をするにせよ、ミーシアを帝位に戻さないと全てが始まらないからな。



「よし、じゃあ飯食ったら帝城に行こうか」

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