97 名前



 赤髪緑目の従士、アリビーナの実力を見るいいチャンスだ。


「よし、じゃあかたづけてきてくれ」


 と俺がいうと、アリビーナは、


「はい」


 と嬉しそうに笑顔で返事をする。


「がんばれー」


 とかいうシュシュの無邪気な応援のもと、彼女は馬車から出て行った。


 窓から外を覗くと、なるほど、五頭のフルヤコイラが唸り声をあげてこちらに近づいてきている。


 ラータがわざわざ派遣したくらいだから大丈夫だとは思うけど、一応念のため俺も硬貨を握りしめてスタンバイ。なにかアクシデントがあったらすぐに助けてやらないとな。


 だが、そんな心配は杞憂だった。


 アリビーナは強かった。


 口の中で詠唱を始めたかと思うと、彼女の拳と足が髪の毛と同じく赤く光る。


 彼女は俺の目が追いつかないほどのスピードでフルヤコイラのバックをとると、思い切りパンチを食らわせる。


 おそらく、フルヤコイラは一トン近くの体重があると思う。


 それを、いとも簡単に宙に浮かせ、ふっ飛ばしたのだ。


「がふっ」


 断末魔のうめき声とともに絶命するフルヤコイラ。


 あとはアリビーナの独壇場だ。


 素晴らしいスピードでフルヤコイラの群れを翻弄し、一頭、また一頭と打ち倒していく。


 五頭のフルヤコイラを殺すのにかかった時間は、おそらく二分もかからなかっただろう。


「はぁ……はぁ……」


 肩で息をしながら馬車に戻ってくるアリビーナ。


 赤い髪が汗で額にはりつき、少し赤らんだ頬はなんとなく色っぽく見える。


「すごいな。強いじゃないか」


 俺がいうと、アリビーナは、


「いいえ、まだまだ」


 と謙遜する。


「いや、普通にすごいと思ったぞ。お前、強いな」


「本当ですか? へへへ、嬉しいな、エージ卿に褒められて舞いました」


 素直に笑顔になって明るく笑うその表情が、やけにキュートだ。


「ま、でも、一頭は手柄とられちゃいましたけどね」


「ん? 手柄?」


「はい、そこの奴隷……今は私も奴隷の姿ですけど、そこのハイラ族の奴隷が……」


 アリビーナの指差す方向を振り向くと、そこにはキッサが。


「すみません……差し出がましいことを……一応、少しでもお力になりたくて……」


 ああ、なるほど。


 ハイラ族ってのは魔石とかいうのを体内に取り込んで、魔獣を自由自在に操れるのだった。


 だから、キッサはその能力を使って群れのうち一頭を自滅に追い込んだのだ。


「いや、いい、アリビーナもキッサも聞いてくれ、俺が特に命令しなくても、敵には全員であたるぞ。全員で戦って生き残るんだ」


「はい!」


 元気のよい返事がかえってくる。


 うーん、なんだか部活の引率の先生にでもなった気分。


 アリビーナの実力もわかったことだし、俺たちは先を急ぐことにする。


 あ、ひとつ忘れてた。


「ねーねーおにいちゃん……私、お腹すきすぎてもう死ぬのかも……おねえちゃん、いままでありがとうね……」


「大げさだな!」


 もう、しょうがない、泣く子とシュシュには誰も勝てない。


 俺の分のパンと肉を渡してやると、シュシュは心底嬉しそうにそれにかぶりつくのだった。




 途中で一泊し、次の日の朝、俺たちは帝都についた。


 帝都は城塞都市だ。


 人口数十万が生活する都市を、ぐるりと高い城壁が取り囲んでいる。


 反乱のとき、魔王軍のステンベルギに破壊された城壁も、今は修理にとりかかっているようだ。


 城塞の門で手続きをする。


 手続き、というか門が関所の役割を果たしていて、入る時と出るときに金を払うようになっているのだ。


 入るときに一人ターセル銀貨十枚、奴隷は一人五枚。


 この国の通貨は基本、銀とある種の聖石の合金でできている銀貨だ。その上に金貨があって、これは金と高価な聖石の合金でできている。銀貨の下には聖石だけで鋳造された石貨というものもあり、ざっくり石貨千枚=銀貨百枚=金貨一枚ということになっているらしい。


 地球の感覚だと銀貨と金貨のレートがおかしいような気もするけど、ここは別の世界だし、産出量の差、聖石の配合量もあるだろうしで、まあそういうもんだと割りきって受け入れることにしておこう。


 参考までに、一般の馬車の御者が雇われて、朝から夕方まで馬車を運行させる仕事を一ヶ月続けるともらえる給料が月で金貨一枚から二枚のあいだ、というところらしい。


 さて俺はラータからたっぷり軍資金をもらっているので、言われたとおりに通行税を払う。


 ついでに門番に賄賂として銀貨を数枚渡して、順番を飛ばしてもらった。


 なにしろこっちも急いでいるんでな。


 日本に生まれ育った俺は賄賂とかチップとかいう風習に慣れてないので、アリビーナに『ご主人様からです』と銀貨を渡させた。


 無理して慣れないことを自分でやろうとするとどんな失敗するかはわからない。


 普通の生活上のことなら失敗しながら覚えていけばいいけど、今はそういう失敗が許されない非常事態だ。


「では、私の実家にご案内します。母はイアリー領に避難済みですので、空き家になっているはずですが……」


 なるほど、街の中を歩くとわかるが、朝だというのに窓を閉めきっている家がそこかしこにある。


 帝都で起きた反乱で、ある程度の人口流出がおきたってのは本当らしい。


 さて、俺は奴隷のフリをした赤髪緑目のアリビーナと、正真正銘の奴隷であるキッサとシュシュ、それに夜伽三十五番の首輪につけられた鎖を持って、アリビーナの実家へと向かう。


 アリビーナの実家というからには彼女の顔を知っているひとがいるはずで、そのためアリビーナは頭からフードを被って顔を隠している。


 とはいえ、実際のところは近隣の家の人々も避難済みのようで、おそれいたようにアリビーナの知り合いと出くわす、ということはなかった。


「ふう……やっと一息ついたな」


 俺はアリビーナの家のソファに座ってため息をつく。


 こう言っちゃ悪いが、なかなか粗末なつくりの家で、アリビーナが第八等になるのにどれだけの努力を必要としたかを考えると、ちょっと感動するレベルだ。


「エージ卿、ごゆっくり休んでください。午後からさっそく私達を売るフリをして帝城にいくんですよね? キッサもシュシュもそこで休んでいい……あと……よ、よ、夜伽……ねえエージ卿、この名前、なんとかなりませんか?」


 …………そうだな。


 普通に考えれば夜伽三十五番、なんて名前ともいえない名前だ。


「そうだなあ、……なんか新しい名前、つけてやろうか?」


 俺が三十五番に聞くと、三十五番は茶色い瞳をおおきく見開き、


「ほんとうですか!」


 と叫んだ。


 おお。


 こいつがこんなに感情を顕にするのは初めて見た。


 死にかけた時も、俺にキスされて胸を揉まれた時も、副作用で俺にキスしまくってたときも、どこか茫洋としていたやつだったのに。


 ……実は、そんなに嫌いだったのかこの名前。



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