61 まままままずいでえすはじまりましたたた

「あんたっ……!」



 反射的にヴェルが手を縛られたまま俺に襲いかかろうとするが、そのヴェルの腹にも前蹴りをくらわす。


 ところが、俺の足が跳ね返される。


 うお。なんだこいつ、腹筋カッチカチじゃねえか。


 女子のくせに鍛えすぎだろこいつ。


 まあ、力を入れてない時に直接触ると、わりと弾力のある柔らかさでいい気持ち……いやそんなことを思い出してる場合じゃねえ!


 しょうがない、俺はヴェルの金色の髪の毛を鷲掴みにすると、もう一方の拳を握りこみ、



「てめえもなんだよっ! なんでてめえはマーキ族なんだよっ!? てめえらのせいでっ!」



 その顔面にパンチをくらわした。



「…………っ!」



 鼻血を飛び散らせ、カクン、と膝を折ってその場に崩れ落ちるヴェル。


 その頭をゲシゲシと蹴りながら、



「たまたまてめえらみてえな奴隷買ったせいで! 俺まで捕まることになったじゃねえかよ! くそがっ」



 もう、ほんとに、全力で、全身全霊の力をこめて蹴る。


 普通の常識をもった人間――そう、たとえば、貴族階級の教育を受けたような人間が見たら、思わず止めてしまうほどの力で。



「お、おい、お前、やめなって、死んじまうよ?」



 首領が困惑した声で言う。


 うん、そうこなくては。


 でも、まだ俺は蹴り続ける。



「うるせえ! 止めるんじゃねえ!」



 そして、そのままの勢いで、他の二人、キッサと夜伽三十五番にも蹴りをくらわすと、二人とも地面に転がってうずくまる。


 いや、こいつらみんな副作用が出てきていて、挙動がおかしかったしな。



「やめなって、頭おかしいのかい、あんた?」


「うるせえ、こいつらみんな殺してやる!」



 今度は九歳のシュシュの前に立ち、俺は拳を振り上げる。


 ぽかーんとした顔のシュシュ。


 ……いやほら、そろそろ本気で止めてくれよ、首領さん。


 俺はプロレスのタイトルマッチでカウントを取るレフェリーなみに大げさな身振りで、振り上げた拳をぴたりととめる。


 ……止めろってば!


 そしてその拳をシュシュの顔面に――



「やめろってキチガイかあんた!」



 首領がやっとのことで、俺の腕を掴んで止めてくれた。



「なにやってんの……。あーあー、顔に傷を増やしやがって……売れなくなったらどうするんだい」


「知ったことねえよ、どうせみんなお前らが持って行くんだろ?」



 と、そこに白髪のハイラ族の手下が首領の近くにやってきて、耳打ちする。



「……こいつら、どう見てもお忍びの皇帝陛下じゃないですよ……。話によると、黒髪が皇帝で、金髪が騎士で、ガルド族が部下なんですよね? 部下が皇帝陛下や騎士を足蹴にするわけないです。殺す勢いで蹴ってるじゃないですか、こいつ、ただのおかしい奴隷商人ですよ。こいつらを帝都に連れて行ってもどうせ銀貨三枚で終わりです……」


「……そうみたいだねえ……」



 ため息とともに、呆れた顔で俺を見る首領。そして、地面に転がるキッサと、まだぽかーんとした表情のシュシュを顎で差し、



「いいよ、あんたはもう行きな。奴隷だけもらっとくよ。おっと、その前にこのハイラ族の二人の拘束術式を解いていきなよ」


「はぁ、はぁ……くそ……結局奴隷はとられるんじゃねえか……」


「殺されないだけマシだろう? 拘束術式がなかったらあんたなんかすぐに殺してたさ」


「ちっ……」



 山賊に襲われて奴隷を奪われることになった奴隷商人のフリを続けながら、俺は俺が蹴り倒した四人を見る。



「あううう……」


「くぅ……」


「いったぁ……」


「……ああううう……」



 みんな地面をのたうち回っている。


 とりあえず全員が帝都に連れて行かれて処刑、ということはなくなったかもしれんが、別に状況は良くなっていない。


 どうする?


 ひとまず、俺だけ逃げて、副作用がおさまったころに奪還を……。


 いや、待て、駄目だ、実際のところキッサとシュシュの拘束術式は解く術がない、三十メートル離れた時点でおしまいだ。



「ううううううまままままずいでえすはじまりましたたた」



 カタカタ身体を震わせ始める夜伽三十五番。


 見ると、他の三人も全身を震わせ始めている。


 うん、完全に粘膜直接接触法の副作用の禁断症状だ。


 なんとか副作用がおさまるまで時間稼ぎをしないといけない。


 三十六時間、と言ってたが、それまであと何時間だ?


 粘膜直接接触法をやったのは、昨日の昼ごろだった。今は太陽の高さからいって午後二時か三時ごろ、きっとあと十時間の時間を稼げば、副作用もなくなり、俺もヴェルも法術を使えるようになる。


 そうすれば、こんなやつら。


 十時間か、厳しいな。


 どうすりゃいい?


 どうすれば……。


 ……。


 …………。


 ………………?


 あれ。


 副作用の禁断症状に襲われると、相手と粘膜接触をしたい、という欲求が湧いてくるはずだけど。


 それは麻薬の禁断症状の十倍もの苦しさで――


 じゃあ、俺はどうして、なんともないんだ?


 もはや痙攣にすら見えるほどピクピクと全身を震わせて地面で身をくねらせ、土に奇妙な模様を描く四人の女の子。


 俺にはそんな苦しさが全くない。


 いやほら、俺もキスしたいなとは思うけど。


 我慢できないほどじゃないし。


 ええと。


 もしや。


 俺は自分の胸元に手をつっこむ。


 丈夫な鎖で繋がれた巾着袋を、首にかけていたのだ。


 もちろん中身はニカリュウの聖石――ニッケルを含んだ、日本円の硬貨。


 九百八十二円十銭。


 ちょっと念じると。


 あっさりと、ライムグリーンの剣が出現した。



「なっ!?」



首領はぱっと俺から距離を取ると、訝しげに、



「…………あんた、奴隷商人のくせに戦闘法術を……? それも、なぜ今になって……?」



 いや、使えないと思ってたからです。


 あー。


 うー。


 こいつは、やばいな。


 俺が異世界出身の、それも男だからか?


 粘膜直接接触法の副作用ってやつが、俺にはほとんどない、のかもしれない。


 キッサの説明を聞いて、てっきり俺も法術が使えないと思い込んでいたから、試しもしなかった……。


 これは、やばすぎる。


 この世界に来てから、一番のピンチが今かもしれない。


 ちらり、とヴェルの顔を見る。



「……あんた、なんで法術使えるのよ……。だったら最初から使いなさいよ……。あたしとこの子にこんなことしたの、無駄じゃないの……。あとで……」



 ヴェルは苦しげな声でそういう。



「あとで?」



 と訊くと、ヴェルは、



「……あとで生まれたことを後悔するほどの目にあわせてやるからね」


 


 と、怒りの形相で言った。


 うん、そりゃ怒るよな。


 それはそう。



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