60 蹴りたいおなか

 あれ。


 リューシアに比べれば小物相手だとは思ったけど、この状況って、かなりなピンチだぞ……。


 ミーシアは俯いて顔を見せないようにしている。まあ見られたところで山賊ごときが皇帝の顔を知っているはずもないが。


 今は、ミーシアの耳にマゼグロンクリスタルはぶら下がっていない。


 馬車の座席の下に隠してある。


 でも、本気で捜索されたらすぐに見つかるだろう。


 こんな三下の山賊どもに捕まって処刑される……?


 明智光秀は山崎の戦いで負けたあと、落ち武者狩り――要はその辺の農民だ――に首をとられたんだよな、と不吉なことを考える。


 さあ、どうする……。


 キッサが少し身体を震わせ始めた。まだ粘膜直接接触法の副作用が抜けてないのだ、他の女の子たちもそうだろうし、俺だっていつ副作用が襲ってくるかわからない。


 禁断症状がなくなるまで、あと数時間はかかるだろう。


 そのあいだ、俺たちは法術が一切使えないのだ。


 法術が使えるようになるまで、なんとしてでも時間を稼がなきゃいけない。



「こいつが皇帝陛下かもしれないね……」



 正解を言い当てている首領へ、俺は話を引き伸ばすために喋りかける。



「まさか。こんな小汚いガキが皇帝陛下なわけないだろ。こいつ、もともと帝都で安売りしてたから仕入れただけだぜ、いいからそいつらみんなお前にやるから俺は見逃してくれよ」


「どうだか」



 首領はミーシアの前にしゃがみこみ、その顔を覗き込む、



「よく見りゃ、高貴な顔立ちに見えなくもないね。な、お前、本当にただの奴隷か?」



 ミーシアはコクリと頷く。



「本当かい? 脅されたり騙されたりして嘘ついてるだけじゃないのか? ――ああ、本物だったとしても、あたしらみたいな山賊に正直にはいわないか、騎士様と逃避行中って話だしな。でもいいんだよ、あたしらは善良な山賊さ。帝国政府もちゃんと公衆の面前で譲位してくれればいいって言ってるし、皇帝陛下だったとしたら、いったん帝都に戻ったほうがいいと思うよ?」



 ブンブンと首を横に振るミーシア。



「わ、わたしは、帝都で買われた奴隷です……」


「ふん。ま、いいや。この状況じゃ、どっちにしろ『皇帝だ』なんて言うわけがないね。帝都に連れて行けばわかる。このガルド族も合わせて全員法力拘束の術式かけて――」


「ま、待てよ」



 俺は慌てて言った。冗談じゃない。そんなことされたら副作用が消えても抵抗できなくなるし、帝都に連れて行かれたら間違いなく処刑だ。


 ヘンナマリがミーシアを生かしておくとは思えないしな。


 マゼグロンクリスタルを奪って譲位させたら、どこかに流刑にするフリをして、移送の途中で殺すに違いない。


 世間にはそれこそ山賊に襲われたと発表すればいいだけだ。


 そんなの、常套手段だ。


 おいおい、このままじゃほんとに山賊ごときに捕まって処刑されちまうぜ。


 俺はヴェルを顎で指して、



「ほんとにこいつがイアリー家の当主だってんなら、今頃あんたら灰になってるはずだぜ? やばいくらい強い騎士って話じゃねえか」


「ふん、まあ、そうだね……。でも、なにかの理由で今は法術を使えないだけかもしれないし。イアリー家の当主とその部下のガルド族、そしてロフル族の皇帝陛下――ぴったりすぎるんだよね。金貨千枚になるかもしれないってんなら、駄目でもともとさ。……あたしだってもとは騎士の末裔。領地は魔王軍にとられて今はこうしてるけどね。これがきっかけで爵位を取り戻すことだってできなくはないかもしれない」



 ほう。


 別に珍しくもない話だが、こいつ、もとは貴族の出か。


 言われてみれば、山賊というには中央の情報を集めているし、あちこちに協力者がいるみたいだ。そうじゃなきゃ、今話したような情報をこんなに早く手に入れられないだろう。


 首領は手下に向かって、



「おい、早く拘束の術式を――」



 そう言いかける。


 やべえ、なんとかごまかさないと。


 俺は、全速力でミーシアに駆け寄った。



「おい、お前、じっとしてろ――」



 首領の言葉に耳もくれず、俺はミーシアに、



「てめえのせいでっ!」



 と大声で叫んだ。


 俺は、やってはいけないことをしようとしていた。


 全員の命を守るためとはいえ、男なら決してしてはいけないことを。



「てめえのせいで俺までとばっちりじゃねーかよっ!!」



 わざと力を抜いたら、ばれる。


 絶対に、本気でやらなければならない。



「……?」



 驚いたように俺の顔を見るミーシア。


 かわいい顔をした、十二歳の女の子。


 そしてこの国の皇帝陛下。


 今は手を縛られ、膝をついている。


 ――すまん。


 俺は、そのミーシアの顔面に向かって、まったくの手加減なしで、渾身の――回し蹴りを、いれた。


 カキョン、と顎にヒットしたいい音がして、



「きゃうっ!?」



 ミーシアは悲鳴をあげてその場に倒れる。



「てめえのせいでめんどくさいことになったじゃねーか!! てめえなんざ買わなきゃよかったぜ!!」



 わけがわかってない、そんな表情をしたミーシアが、よろよろと上体を起こして、



「な、なに……」



 と言いかけたところに、



「クソ奴隷がっ!!」



 俺はそう叫んで、今度はその腹に回し蹴りをいれる。


 ……十二歳の女の子の腹を、思い切り蹴ったことはあるだろうか?


 あるとしたら、そんな奴は生きる資格がないやつだから今すぐに死ねばいい。


 女の子のお腹は、柔らかくて暖かくて俺のすねがあっさりとめりこんだ。


 やばい、女の子のお腹ってこんなにもひ弱なの?


 当たり前っちゃ当たり前だ、男が蹴ってはいけないものランキングがあったらナンバーワンだ。


 弱すぎる。


 くっそ、すねに残るこの感触、絶対一生夢に出るわ。



「あうっ!? ふぐ……うげぇ……」



 ミーシアはもう悲鳴も出ないようだ。


 苦悶の表情を浮かべ、よだれなのか胃液なのかわからない液体を口から吐く。



「あぐぅ……おえぇっ、うぐぇ……」



 嘔吐とともにうめき声をあげ、まさに芋虫のように地面をのたうちまわる、十二歳の女の子。


 ミーシアの顔は青ざめ、涙が嘘みたいに目から溢れてきて、吐瀉物と一緒に地面を濡らす。


 めちゃくちゃ痛そうだ……。


 やべえ、ごめん、まじで、ごめん。



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