57 しぱたたっ!
ヴェルはまだ動揺を隠しきれないまま、
「…………帝国臣民八〇〇万の頂点、神聖にして不可侵なる皇帝たるもの、粘膜接触法の副作用ごときでたかだか第五等準騎士――そういやあんた昇進してたのね――の唇を求めるなんてはしたない、そういうことは皇帝にふさわしくない、とか、この子らしくないこと言って……。で、そうならないように縛ってくれっていうから、そうしたんだけど」
「いや、どっちかというと今のこの芋虫状態の方がよっぽどはしたないと思うぞ」
「そうなのよねえ」
ヴェルは困ったようにため息をつく。
ま、皇帝陛下本人はこれも楽しんでいるのかもしれないからいいけど。
でも、麻薬の十倍の禁断症状ってのはただごとじゃない。
それを丸一日こうやって我慢してたっていうのは、いくらドMでも限界を越えて苦痛だっただろう。
皇帝だからって、中身は十二歳の少女にすぎない。
なんだか、かわいそうになってくる。
コミカルな格好にはなってるけど、本人はどれだけ苦しんでいるか。
ヴェルは、転がっている芋虫――毛布でぐるぐる巻きにされている、親友にして主君の女帝陛下――を抱き上げると、きゅっと抱きしめて、
「っっていうかさ。この子はね、優しくて頭が悪いから」と言った。
「ん?」
「この子ね、皇帝陛下の次女として生まれて何一つ不自由なく育って、困ったことがあったらエリンやあたしが解決してあげて。でもこんな時代でしょ、臣民は苦しんでいるのに自分だけ楽してる、そう思ってんのよ、きっと。だから、わざと自分で自分を痛がらせて気を紛らわせてんの。臣民が苦しんだ分だけ、自分も苦しみたいのよ。この子がそう言ったわけじゃないけど、そうだと思う。だから、あたしはいつもこの子は優しくて頭が悪いなあと思いながらお尻を叩いてあげてるのよ」
芋虫はヴェルの胸に顔をうずめてじっとしている。
そっか、そういう事情もあるのか。
まあ本人がドM体質なのも確かだろうけどな。
でもなあ、麻薬の十倍となると、ちょっと苦しみすぎる。
「なあ、俺は思うんだけど」
「なによ」
「俺たちがお慕い申し上げている皇帝陛下は、慈愛深いお方だ」
「うん」
「きっと、皇帝陛下は副作用に苦しむ部下が、ご自分に対して非常に不躾な行いをしてしまっても、その広いお心で許してださるんじゃないだろうか」
「ん? どういうこと?」
「もちろん陛下はこんな副作用なんかに負けず、平気でいらっしゃるわけだけど、愚かで間抜けな臣下である俺が副作用に耐えられない」
「あー」
「だから、俺が、俺がだぞ、陛下じゃなくて俺の方からお願いしてどうかどうかこの副作用のつらさから抜けださせてくださいといったら、どうだろうか」
「うーん」
「心の狭い君主なら断るだろう。だけど、臣民の苦しみを理解してくださる君主であれば……」
ヴェルは顔を傾げてちょっとのあいだ考えていたが、
「ね、ミーシア、あんなことをいっている間抜け面の家臣がいるけど、どう?」
おい。間抜けとは言ったが間抜け面とはいってねえぞ……。顔のことは言うな、ひどいじゃないか。
ヴェルに尋ねられて、芋虫みたいな格好のロリ女帝陛下、ミーシアは、ヴェルの腕の中でコクコクとうなづく。
「……いいって。ま、スジは通っている……とは思うわ、この子の性癖は知ってるけどさ、さすがにあたしも、もう見てられなかったし。禁断症状って、このあたしが耐えられないほどつらいんだもん」
「じゃ」
俺は芋虫に近づき、その目隠し猿ぐつわを取り去る。
「ふわぁ……」
もう、ほんと、表情をどろどろに溶かして俺をみつめる十二歳のロリ皇帝陛下。
床に転がっていたせいで、あんなにつやつやだった黒髪おかっぱも、ほこりやごみだらけだ、おいたわしい。
「陛下、俺……じゃない、私はもう副作用に我慢できません」
実際は、ほかの女の子たちとキスしていたわけで、そうでもないんだけど。
いや待てよ、さっきの説明からすると、それだけじゃ足りなくて、ミーシアとも粘膜接触したくなるはずだよな?
そりゃ、この日本人形みたいなかわいい女の子とキスしたいかしたくないかでいったらしたい。でもそれは俺の通常運転の情欲なわけで、なんか禁断症状とは違う気もするけど、今は置いておこう。
「ですから陛下、大変不躾だとは思いますが、どうかどうか、私にお情けを……」
「許す」
即答するミーシア。
そりゃそうだ、麻薬の十倍の苦しさだってんだからな。もう頭の中はぐらぐらに煮えたぎってるはずだ。
「許す、ゆりゅすから、は、はやく、はやくひてぇ……」
うーん、威厳があったりなかったりする皇帝陛下だな。
まあ、許しがでたから、さっそく。
毛布でぐるぐる巻きのままのミーシアを抱きかかえるようにして目を閉じ、ゆっくりと口を――
「んちゅうっ!!」
ゆっくりどころじゃない、すごい勢いで向こうから吸い付いてきた。
そして、
「はむはむはむんちゅんちゅんちゅじゅるじゅるじゅるんれろれろれろ」
まだまだ幼い、ミルクの香りすら漂ってきそうな十二歳の女の子、その子が気が触れたかのように俺の唇をむさぼる。
十二歳の舌の動きじゃねーぞこれ……。
一応、気を使っているのか、ヴェルやキッサは横を向いて見ないようにしているっぽい、まあ音は聞こえちゃってるけどな。
ちなみにシュシュは、俺たちのキスを興味深そうに見ている。
おいキッサ、妹の教育に悪いからあっちに連れていっておけよ。
「れろれろるろるろんじゅるぅぅ……ぷっはぁ……ふう……」
たっぷり五分は俺の粘膜を堪能したあと、やっと俺から離れるミーシア。
唇がびりびりしびれている、うーん、昨日今日と女の子とキスしすぎて、俺の中でなにかが麻痺しちゃうぞこれ。
ヴェルがなんというか、実に微妙な顔で、
「うん、仕方がないわよね、うん。副作用だから。……ミーシアがほかの人間とこんなことしてたら、あたしそいつを殺したくなると思うけど。変ね、エージとだと、むしろ腹が立つのは――」
といいかけて、口をつぐむ。
「ヴェル、そんなことより緊急事態が起こりそうなの、っていうか起こっているかもしれないの」
早口でそういうミーシア陛下。
「ん? なによ」
「えっとね、えっと……。ほら、あの、……ちょっとこっちきて耳を貸して」
そうして、ミーシアはヴェルに何事かをささやく。
「……が、……で、代えの……ンツ……おし……」
なんかやばげな単語が聞こえたが、聞こえなかったことにする。
と、さらにキッサまでもが、
「すみません、私も……ちょっと、……が変な感じで……」
ヴェルも応じて、
「実は、あたしもなのよね……変ねえ、どうしてこうなるのかしら……」
なにがどうなってるのか。
うん、まあ、全然わからないわけでもなかったけど。
俺だって健康な男子なわけで、まあ、ほら、ね、女の子とキスしまくっている間、変なとこが変なことにならないわけはなかったし、さ。
キッサの話を総合するに、どうも、ヴェルもキッサもミーシアも、俺に対してなんらかの好意をいだいていると考えても間違いではないような気がしないでもないし。
俺たちみんな若い男女だもの、好意を抱いている男女がキスしまくれば、さ。
いろいろと大変なのだ。
で、空気を読めなすぎてもはや真空の中で生きているんじゃないかと思うほどの九歳奴隷少女が最後に大声で叫ぶのだった。
「私もおしっこするー! 少しもれちゃった! だってこの馬車すごく揺れるんだもん! おねえちゃんも騎士しゃまもちぃねえちゃんも替えのおぱんつもっていっしょにおしっこしよー!」
聞こえない聞こえない聞かない。
で。
馬車は山中を貫く街道、その道ばたに止められ、みんなで『お花を摘む』ことになったのだった。
一人馬車に残されお留守番の俺。
安全のために馬車からほど近くで用を足すことにしたらしく。
しぱたたっ! という、なにか液体状のものが地面の土を叩く音を、すこし赤らむ気持ちで聞いちゃったりなんかして。
……これ、誰のだろう……。
少なくともシュシュではない、シュシュはさっき自分で大声で実況中継しながらおしっこしてたからな……。
シュシュ、思春期になってからこういうことを思い出したら、恥ずかしくて死にたくなるんじゃなかろうか。っていうか、九歳でこれって、精神年齢低くねえか。
と。
いきなり、知らない声が聞こえた。
「おまえ等、どこの奴隷だ? ご主人様はあの馬車か? おい、そこの金髪、そんなに睨むなよ。なに、大丈夫さ、あたし等は奴隷には手をださないよ。今日からあたしがあんたらのご主人様になるってだけさ」
何事かと馬車から降りようとした俺の目の前に、粗末な剣を持った、ごっつい男みたいな女が現れた。
「おおっと。あんたがご主人様か。悪いね、奴隷はもらっていくよ。……わかるよな? 金目のものがあったらとっとと出しな」
武装した十五人ほどの集団。
中にはキッサやシュシュと同じ、白髪紅目の女もいて、六本足の魔獣――フルヤコイラを三匹も連れている。
――山賊だ。
そうか、山賊もいるよな、こんな世界、こんな時代だからな。
やばいな。
普通なら、ヴェル一人でこんな奴ら瞬殺できるだろうけど。
『三十六時間のあいだ、マナのコントロールがうまくいかずに法術を使うこともできなくなります』
さっき聞いたキッサの言葉。
いくら鍛えているとはいえ、ヴェルも法術なしではこの人数を相手にできないだろうし、俺にいたっては法術が使えなかったらただのひ弱男だ。
十五人と魔獣三頭。
力技では、とても切り抜けられそうにない。
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