38 営業カバン

 わずか半径一メートル、キッサの作った法術障壁に守られていなかったら、俺たちはとっくに丸焦げになっていただろう。


 飛竜の火炎が俺たちの周りを包み込んでいる。



「く……! 炎の勢いが強すぎます……! このままでは……!」



 事前にキッサが言っていた通り、彼女の障壁は飛竜の攻撃を完全に防ぐことが難しいみたいだった。


 じりじりと皮膚が焼かれる感覚。


 俺はニカリュウの聖石を握りしめた拳を振り上げ、燃え盛る火炎を光のムチで切り散らす。


 ヴェルはさすが帝国第一の騎士、その身体を覆っている法術のオーラは飛竜の火炎を寄せ付けない。


 とはいえ、彼女はそもそも飛竜など眼中にないようだ。



「リューシア! よくもヴァネッサを……! 殺してやる!」



 金髪女騎士の碧い目は、従姉妹の仇であるリューシアを睨みつけ、剣先を振るって火山弾を打ち出している。



「ああ……ヴェル……綺麗だよ、ボクは君の闘う姿が大好きなんだ」



 ヴェルの攻撃をサソリの尾で振り払いながらリューシアが言う。


 いまやリューシアの臀部からは巨大なサソリの尾が、さながらヤマタノオロチのごとく何本も生えている。


 あまりにおぞましい姿。


 毒々しい色をしたサソリの尾は、薄紅の髪色をしたボーイッシュな少女には全然似合わない。


 リューシアは、そいつをブンブンと振り回しながらゆっくりとこちらに歩いてくる。


 グレーの瞳からは何の感情も読みとれない、まるで人形だ。


 だけど口角はわずかにあがっている。笑っているようにみえなくない。


 その言葉通り、リューシアはヴェルとの戦闘を楽しんでいるのだろう。


 俺は俺で飛竜の火炎を振り払うので精一杯だ。


 キッサにぴったりと身体をくっつけ、半径一メートルしかないキッサの障壁から出ないようにしながら、俺は二匹の飛竜が交互に吐き出す炎を光のムチで必死に切り裂き続ける。


 と、突然。


 俺の身体に抱きついて震えていたシュシュが、どこかを見てぼそっと呟いた。



「え? シュシュ、お前なにか言ったか?」


「お兄ちゃんの、武器……」



 シュシュの視線の先をちらりと見ると、そこには焼け焦げた黒い何か。


 ……俺の、営業カバンだ。


 まああんなもの、放っとけばいい。


 この世界で役に立つものは何も入っていない。


 財布も入ってるけど、日本円を渡して飛竜やリューシアが攻撃をやめてくれるわけもない。


 まあそもそも、金で解決できる状況じゃないしな。



「シュシュ、いいから俺に……ってか、キッサにくっついてろ!」


「……うん……わかった……」



 じっと営業カバンに視線を向けつつも、シュシュはそう返事した。


 俺とキッサは飛竜の火炎に焼かれぬように死に物狂いで抵抗する。


 飛竜の火炎攻撃が、一瞬だけやんだ。


 リューシアと闘いながらもヴェルはこちらのことを完全に忘れていたわけではないらしい。二匹の飛竜に向かって牽制の火山弾を発射したのだ。



「グガァ!」



 飛竜たちは慌てたような声を出して空中で身をよじり、それをかわす。


 そのようすを見る限り、ヴェルの攻撃が当たりさえすればダメージを与えられそうだ。


 つかの間の……といっても本当に数秒のことだろうが、俺とキッサはかろうじて一息つくことができた。



「ジリ貧ってやつだな……」



 俺が言うと、キッサは、



「ええ。私達だけで飛竜を倒すのは難しそうです……。もう、騎士様頼りかもしれません」



 そうかもしれない。


 ヴェルがリューシアを仕留めてこんどは飛竜に狙いを定めてくれれば、こちらの方が有利になりそうだ。


 くそ、情けない。


 俺は男だっていうのに、戦闘で女の子の力に頼らなければ何もできない。


 そもそも、キッサの作る障壁がなければとっくに炭になっていただろう。



「ちくしょう、決め手がねえ……飛竜に攻撃が届かねえぜ」



 不用意な一言だったかもしれない。


 だけどまさか、それを聞いた九歳の女の子が、こんな突飛な行動に出るとは。



「お兄ちゃん、私、あの武器とってくる!」


「はぁっ!?」



 一瞬、シュシュが何を言っているのか、俺にはわからなかった。


 だから、シュシュが俺の身体から離れて、黒焦げの営業カバンにむかって走りだすのを止めることができなかった。



「よせっ!」



 シュシュの服をつかもうとした俺の左手はむなしく空を切る。


 失敗した。


 もっとはやく誤解を解いておくべきだった。


 あれは武器じゃない、本当にただのカバンなのだ。


 キッサと闘った時、たまたま振り回したカバンがキッサの頭部にクリーンヒットしただけであって、飛竜や帝国の将軍であるリューシアと闘うにあたってなんの役にもたたないものだ。


 だけど、後悔してももう遅い。


 銀髪を揺らし、シュシュは一直線にカバンにむかって走って行く。



「バカ、シュシュ!」


「シュシュ、戻りなさい!」



 俺とキッサが同時に叫び、そしてシュシュを追って走りだす。


 くそ、シュシュめ、わりと足が早い!


 しかも。


 法術の使用は、俺の想像以上に俺から体力を奪っていた。


 俺の足が、思うように前にでない。


 それはキッサも同じようで、わずか九歳の女の子に追い付くことができない。


 それどころか、俺とキッサは足がもつれてその場にへたりこんでしまった。


 くっそ、法力を使うと、こんなにも体力を消耗するとは。


 夢の中で何かに追いかけられて逃げたいんだけど、どうしても足が動かない、そんな感じとそっくりだ。


 ちくしょう!



「うおおおおお!」



 キッサの手をとり、大きく叫んで俺は立ち上がる。


 俺たちがいた場所から十メートルほど先に営業カバンはあった。


 シュシュがその焦げたカバンにとびつくように抱きつく。


 その目の前には、生き残っていたステンベルギ――火を吐くプテラノドン――がいた。



「グギャァッ!」



 ステンベルギが大きく口を開き、至近距離からシュシュにむかって火の玉を吐く。


 くそ、間に合わない!



「ゴガァァッ!」



 さらには飛竜がシュシュに向かって強力な火炎を吐いた。


 駄目だっ!


 くそ!


 カバンを抱いたまま、ガタガタと震えるシュシュ。


 その彼女に二方向から火の玉と火炎が襲いかかる。



「シュシュー! 逃げてえぇぇぇ!!」



 キッサの悲鳴。


 次の瞬間、バチバチと稲妻のような光がシュシュを包んだ。


 空気が爆ぜる音とともに、俺の視界は白い光で覆われる。


 目が眩んで何も見えなくなった。




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