37 活火山
威嚇するかのような飛竜の唸り声を背景に、リューシアがゆっくりとこちらへ歩いてくる。
その表情はやっぱり無機質で、どこか気持ち悪さを感じさせた。
リューシアは薄紅色の髪の毛をかきあげ、あまり感情の感じられないグレーの瞳でヴェルをじっと見つめる。
「やだなあ、ヴェルってば。せっかくボクと二人きりだったのに、どうして部外者を巻き込むの? 愛の営みに他人を混じらせるなんて……もしかして、ヴェルってそういう趣味?」
少女にしてはハスキーな声で、リューシアは静かにそう言った。
「少なくともあんたの趣味が悪いのは昔から知ってたわよ」
ヴェルが吐き捨てるように答える。
「失礼なこと言うなあ。ボクが情愛の対象とする人って、みんな美しいよ。趣味が悪いなんてとんでもない。君もそうだし、……君の従姉妹だってそうじゃない、みんな綺麗で、美しい」
リューシアは首をかしげ、でも無表情のままそう言った。
彼女の桜の花に似た色の髪の毛が、さらりと額を撫でる。
従姉妹、という言葉を聞いて、紅い鎧の女騎士は身を固くした。
「…………ヴァネッサに、何かした?」
ヴェルは厳しい表情でそう尋ねる。
「あー、そうそう、ヴァネッサね、ヴァネッサ。ヴェルの護衛できた第五等騎士だったっけ。なかなか強かったよ。帝宮鎮圧するのに一番手こずったんじゃないかな」
「ヴァネッサはどうしたの?」
「駄目だよヴェル、大事な従姉妹を置いて帝都から逃げ出したりしちゃ。ヴァネッサちゃん、君を探しまわっててさ……ま、それはボクも同じだったからね、ちょっと『お話』したんだ」
「答えなさい! ヴァネッサは……」
「ヴァネッサちゃんなら」
リューシアはいまだ無表情を崩さず、懐から何かを取り出して言った。
「ここにいるじゃない」
その手にぶら下がっているのは、金属の輪っかで繋がれた二つの肉塊だった。
俺はそれを見て戦慄した。
リューシアが手に持ち、ヒラヒラさせているのは――紅い宝石が埋め込まれている、一対の耳だった。
「――ッ! く、ハァッ!」
ヴェルは絶叫しそうになるのを抑えたのか、歯を食いしばった口から強く息を吐き出た。
「ヴァネッサちゃんの子宮はとっても暖かかったよ。ほんとは標本として保管するつもりだったんだけどさ。君と血がつながっている子だと思うと、我慢できなかった。ボクのこの腕で、お腹の中をかきまわしちゃったよ。長く苦しめちゃった、代わりに君へ謝るよ、ごめんねヴェル。君の従姉妹の子宮を潰しちゃったし、首を斬る前に耳を切りとっちゃったし。ちなみにエリン公はヘンナマリが捕らえていたよ。――日頃の恨みがあるからね、ボクが見た時は拷問を受けてたけど、きっと今頃はもう――」
「この――裏切り者! クズがっ!!」
視線だけで人を殺せそうな鋭い目つきでヴェルが叫ぶ。
「やだなあ、ヴェル、士官学校の先輩だよボクは? そんな怖い顔でボクを見ないでくれるかな。怒った顔も綺麗だけどさ。ヴェル、ボクはね、どうもおかしいと思ってるんだ。ボクは君のことを知っている。直情的で子供っぽくて気が小さいとこもあるくせに戦争では勇敢でありつづける。そして、帝国の貴族にして騎士であることに誇りを持っていた。おかしいよね? そんな君が、どうして従者と奴隷を連れて帝都を逃げ出しているんだい?」
「ヴァネッサを……あんたが……殺したのね……」
「ボクが知っている君はさ、皇帝陛下に――特に、幼馴染である現皇帝に対して、異常なほどの忠誠心を見せていた。忠誠心というか、庇護欲みたいにボクには見えたけどね。君を取られた気がして、皇帝陛下が羨ましくて妬ましくて仕方がなかったよ」
「絶対に……あんたは……あたしが……殺す……エリン……ヴァネッサ……」
ヴェルはリューシアの話をもうほとんど聞いていない。
あまりの怒りからか、ヴェルの身体から発された法力の赤いオーラがゆらゆらと揺れてまとわりつき、まるで陽炎のように見えた。
「ヴェルならさ、絶対に皇帝陛下を見捨てて帝都を逃げ出しはしない。いや、そもそも騎士としての自分にあれだけ誇りを持っていたんだ、どうであれ逃げ出すこと自体、君がするわけがないんだ。ヘンナマリは血眼になって宮殿の焼け跡からマゼグロンクリスタルを探している。でも、ボクは思うんだ。皇帝陛下がもう炭になって焼け死んでいるなら、ヴェルは独りででもボクたちに突撃をかけてきているはずだよ。でも君はここにいてこうして帝都から逃げようとしている」
リューシアはグレーの目を少し細め、ゆっくりと尋ねた。
「……ねえ、ヴェル、もしかしたら君、マゼグロンクリスタルとその持ち主が今どこにいるのか、知っていたりする?」
リューシアってやつ、さすがに勘が鋭い。
そう、まさにリューシアの言うとおり、今俺たちは皇帝陛下――ミーシアを匿いつつ逃亡を図っていたのだ。
これ以上の会話に益はない。
そしてそこまで気づいたリューシアを放っておくこともできない。
倒すしかない。
それはヴェルも同じ考えなようだった。
いや、ただ単に従姉妹を殺された怒りに我を忘れているだけかもしれない。
いずれにせよ、ヴェルは剣を構え、その碧い瞳をぎらつかせて叫んだ。
「我を加護せしプルカオスの神よ! 我に怒れる大地の力を分け与えよ! 絶叫せよ我が剣、我が生命と法力の――火山弾!!」
ヴェルの振るう剣先がまさに活火山の噴火口になった。
巨大な火球――いや、違う、火球だと今まで思っていたものは燃え上がる溶岩の塊だった――それが、リューシアに向かって発射されたのだ。
同時に俺も上空を飛ぶ二匹の飛竜のうち一匹に向けてライムグリーンに光る法力のムチを振るった。
リューシアが何かを叫ぶ。彼女の臀部から伸びるサソリの尾が不吉な轟音を発して巨大化する。それはいくつにも別れて俺たちに襲いかかってくる。
空を旋回していた二匹の飛竜が口を大きく開き、燃え盛る火炎を俺たちに向けて吐いた。
「ダリュシイの魔石によって命ず、汝ら我らの盾となれ!」
キッサの声に従って生き残っていたゾルンバードたちが俺たちをかばうように翼を広げる。
耳をつんざくような音とともに火山弾とサソリの尾が激突し、辺り一面を覆うほどの火炎を切り裂きながら光のムチが進んでいく。
青々とした小麦畑が一瞬にして焦げ落ちるほどの熱量が一帯に満ち溢れた。
すさまじい火力のぶつかり合い、この戦闘は一瞬にして決着がつくかもしれない。
だけど、俺は気づくべきだったのだ。
この中で唯一戦闘能力を持たず、さっきまで怖がっているばかりだった九歳の幼女が、それでも自分にできることをやろうと勇気を振り絞っていることを。
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