第13話 かなしみは隠されて⑥
「――は?」
「いくらで雇われたんだ?」
「……いや、なンで金額……?」
「倍額出したら寝返るかなと思ってさ」
「なっ、アルトス……んぐぅ⁉」
問答無用。俺は目を剥いたメルトリアの唇を左の手のひらで再び塞ぐ。
――名前を呼ばれるのはちょっと都合が悪い。
もしこいつが龍族の問題にも関わっているとすれば、永遠の命――それに近い千年の寿命を持つ俺を知っているかもしれないからな。
龍族と人族が争うかもしれないときに俺の名前は扇動の材料にされかねないのだ。
するとそれを見ていた男は腹を抱えて笑い出した。
「はっ、くはっ、ひひ、すげぇ台詞! 面白いなあんた! でも残念、百万ジールなンだ、慎ましくやってりゃ一年以上遊んで暮らせる大金だぜ? 倍額はキツいだろ」
「いや? 別にかまわないけど」
「は?」
「二百万出すよ。餌にした家畜代はそこから差っ引くけどな。どうだ?」
ありがたいことにほとんど金を使うことがなかった俺は懐がだいぶ温かい。
それくらいなら充分にまかなえる。
「…………」
男は一瞬、言葉も息も警戒すらもすべて呑み込んで――薄い唇をポカンと開けた。
……けれど。
すぐに苦笑して武器を収め、大袈裟に肩を竦めてから……彼はゆっくりフードを下ろす。
……その中身はやっぱり十代後半かそこら……若い。
まるで小麦のような黄金色の髪が夜闇のなかに映える。
星明かりの下ではよく色がわからない大きな瞳は幼さを醸し出していて、中性的で整った顔立ちをしていた。
「――ちょっと揺れるけどやめとく。俺みたいな『なんでも屋』は一度裏切ったら終わりってのはわかンだろ? 家畜代については報酬の百万ジールからしれっと払っておくつもりでね。まあなんだ、良心が痛まなかったわけじゃないンだぜ? ――ってなわけで、またどっかで会うことがあったら雇ってくれ。だからこの顔、覚えておいてくれよ? じゃあな!」
「ッ、待ちなさ――」
俺の手を振り切ったメルトリアが口にするけれど、最後まで紡ぐ前に彼女はギュッと双剣を握り締めて唇を噛んだ。
男はメルトリアに向けて飄々と笑ってみせると、ヒラヒラ手を振って歩き出す。
「…………」
それを見送るメルトリアは厳しい表情だったけれど、俺はその背を振り切られた左手でポンと叩いて剣を収めた。
「本当に詳しい事情は知らないみたいだし、裏切ることもしなかった。……あいつは仕事に忠実なだけで……たぶん悪い奴じゃないよ。口振りからするに家畜を盗むように指示も出ていたようだし」
「それでも! ……許されないことだと思うわ。家畜を盗むことも……魔物を飼うことも――」
「おう、そこは同感。……とはいえ、ちょっと嫌なこと言ってたからな。少し整理しようメルトリア。今夜はこのあたりで休んでさ」
「……わかった」
彼女は穴を一瞥すると唇を噛み締め、双剣を収めて踵を返す。
俺はその後ろを一歩一歩ゆっくりとついていった。
******
焚火を起こしてしばらくすると……マントを掻き寄せて黙っていたいたメルトリアが小さく呟いた。
「……アルトスフェン」
「おう、どうした?」
俺は焚火に薪を焼べる。
「龍族と関わっている人がいるって……知られていた。関わるなって釘も刺された――やっぱり人族は攻めるつもりでいるのかな」
「……どうかな。雇い主が何者かはわからなかったし……ただ気になる言葉ではある。それに星詠みか――」
辺境の村に住む俺の髪色まで詠み当てるほどの星詠みはそうはいない……と、勇者になったときに言われたのを思い出す。
今回は目的の人物がどこにいてどんな容姿なのか詠み当てるものではなく、目的の人物を呼び寄せる方法についてを詠んだんだろうけど……それでもかなり正確だ。
金を積んだにしろ、雇い主の仲間にしろ……実力がある星詠みが詠み解いたのだろうから捜すことも可能かもしれない。
〈アルバトーリア王国〉王都でも腕の良い星詠みの情報があるかもな……聞いてみるか。
俺は考えながら話を続けた。
「……雇い主は周りにそれなりの実力者が揃っていて、金もあって……って奴だろうな。でも、釘を刺す理由がわからない。メルトリアが動くと都合が悪いのか……ほかの人族の介入を望まないのか……」
「私が動くことで支障があるのだとしたら……それは」
メルトリアは翡翠色の瞳を伏せてから首を振った。
「いえ、駄目ね。冷静に考えられそうにない。……でも、そうね。ここにいた魔物による被害が出なかったのは……よかった」
「そうだな。……っと、そうだメルトリア」
「……なに?」
「勝手に飛び出すのは禁止。なにかあったらどうするんだよ。仲間なんだから俺を頼ること」
「!」
俺の言葉に、メルトリアは驚いたように顔を上げた。
火の粉がちらちらと舞う夜闇は幻想的で……薪がぱちりと爆ぜる音が木霊する。
紅く照らされた彼女の亜麻色の髪がきらきらと揺れるけど――なんだろう。
「……その意外そうな顔はちょっと酷くないか……?」
思わずこぼすと、彼女は慌てたように首を振った。
「あっ、いえ、ごめんなさい!」
その口元が引き攣っているので、俺は顔を顰める。
「なんか変なこと言ったか……?」
「ち、ちが……だ、だってアルトスフェン、いま仲間って……!」
「……? おう……」
「ふ、うふふ、えへへ」
「…………」
どうやら笑いを堪えていたらしい。
緩む頬を両手で包んだメルトリアは思い切り表情を崩し、そこはかとなく嬉しそうだ。
「……そんなに喜ぶことかな……」
「勿論よ! ……だって貴方、独りでいようとしていたでしょ? それが私に『仲間』って言ってくれたんだもの…………嬉しい、アルトスフェン」
花が咲くような笑顔は……どこか泣きそうで。
取り乱して泣いていた彼女のことを思い出し、胸の奥が疼く。
それはもう……関わるのが痛いんじゃない。
関わらないでいることが――痛いんだ。
俺は一瞬言葉を忘れ――込み上げる苦笑に頬を掻いた。
――葬送するのは、遺されるのはつらいけれど。
それ以上に……どうにかしたい、そう思えたんだ。
「もうこんなに関わってるんだぞ、今更ただの同行者っていうのは無理じゃないかな――」
……そう。俺は勇者だから。そのために勇者になったんだから。
「――言ったろ? 助けるよ、メルトリア」
紡いだ言葉が改めて自分の耳に触れて……それが決意を後押しする。
笑ってみせた俺に……メルトリアは胸に手を当てて深々と頷いた。
「……ありがとう……アルトスフェン」
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