第12話 かなしみは隠されて⑤
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火は起こさずに簡易的な食事を済ませ、俺たちは身を寄せ合って隠れたまま警戒を続けた。
空には星が瞬き、草原に満ちる空気は冷たさを増していく。
隠れるための穴はそれほど深くなく、腹這いの俺たちは枝葉を使って編んだ擬態用の網……のようなものを被っているんだけど――。
「……さすがに夜は冷えるな」
大きく動くわけにもいかず、体は冷たくなる一方だ。
「そうね。――アルトスフェン、一緒に入って」
メルトリアはそう言うともぞもぞと身動いで羽織っていたマントを半分広げた。
俺は一瞬なにを言われているのかわからず眉をひそめたが、メルトリアは有無を言わさずマントを俺の背に回す。
「密着していたほうが体温の低下を防げるわ。寒い季節は龍族たちもそうしているの。……まあ貴方は金属鎧だから直接暖まるかはわからないけど、被らないよりいいでしょ」
「……ああ、龍族……」
鱗が生えているはずだけど、温かいのか――。
そう思いつつ、俺は苦笑してしまった。
「勇者一行として旅してたときも身を寄せ合って隠れることはあったけど――マントの共有はしたことがないな」
「え? そうなの?」
「そうだよ。メルトリアが気にならないなら俺は構わないけど……普通こんな至近距離に誰かいることはないだろ?」
メルトリアは双眸を眇めて唸ると、少しだけ身動いだ。
「そ、そうね――改めて言われると……でも勇者一行にだって女性がいたでしょう?」
「スカーレットとライラネイラがそうだ」
「一緒に野宿もしたよね?」
「おう」
「そうしていると段々慣れてこない? 私はどんどん龍族との生活に慣れたもの」
「はは、まあそうかも。でも距離感は気を付けろよ、危険な奴もいるかもだし」
「心配はありがたいけど、さすがに信用していなかったらやらないわ……」
メルトリアは呆れたように呟いてから小さく息を吸った。
「――アルトスフェン、この国の西にあった帝国を覚えている?」
突然の質問に俺は横目でメルトリアを見る。
彼女はあたりの警戒を続けたまま、僅かに硬い表情だ。
「覚えてる。俺が魔王を倒して数年後――皇族と民が争って崩壊した国。〈ヴォルツターク帝国〉だな」
「ええ。魔王討伐のため、勇者一行が近隣諸国間を行き来することを無条件で認める『凱旋協定』に同意しなかった唯一の国よ。魔王の力にあやかろうとした愚かな国。私の一族はそこにいたの」
「……」
私の一族――その言い方に俺は小さく頷く。
いい感情を持っていないことがわかる冷たい声音。
家族である龍族ではなく、メルトリアの……血の繋がった人族たち、そういうことなのだろう。
薄々感じてはいたけれど、彼女はなにか理由があって龍族と暮らしているのだ。
「――魔物を飼って戦う皇族側と、なんとかして阻止したい国民たち。私はそのときに使われた知識として魔物の飼い方を知っているの。勇者……アルトスフェン、貴方が国民たちを立ち上がらせた」
「……〈ヴォルツターク帝国〉は国民たちの勝利で終わりを迎え、いまは〈ヴァンターク皇国〉と名を変えたんだな」
「ええ。当時まだ幼くてなにも知らず、なにもできなかった皇族の子を仮初めの皇帝にしたの――その子孫がいまの皇帝ってことになる」
「いまの皇帝は、この〈アルバトーリア王国〉ともうまくやってるよな?」
俺が聞くと彼女は深々と頷いた。
「そうね。……でも、もしかしたら排斥された元皇族側の子孫が身を潜め……どこかで魔物を飼っているかもしれない。虎視眈々と皇国の転覆を狙っているかもしれない……そう思ってしまうの。だから
「…………」
俺は少しだけ考える。
――そうだとして、魔物たちをこうやって隠す場所と餌が必要だ。
「メルトリアが気になるなら〈ヴァンターク皇国〉の皇都に寄ってみるか? 龍族がどこにいるかにもよるけど……」
「え?」
「餌のために家畜が攫われているくらいだ。かなりの量を食べるんだろ? 不穏な動きがあればどこかに情報があるかも」
「……あ……そうね、確かに」
メルトリアはそこで肩の力を抜くと「ふう」と息を吐いた。
頭の後ろで束ねた亜麻色の髪が揺らぐ。
「冷静に考えたつもりだったけれど全然だめね。アルトスフェンは凄いわ」
「はは、お褒めの言葉どうもありがとう?」
俺が笑って返すと彼女はちらとこっちを見て、翡翠色の双眸を細めて微笑んだ。
「――龍族は〈ヴァンターク皇国〉の外れにいるの。……私の家族を脅かす人族は〈ヴァンターク皇国〉の人たちかもって……そう考えていて。だから龍族に会う前に皇都に寄るのはいい機会かもしれない。時間的にもほんの少しの回り道で済むしね」
「龍族に対する討伐部隊が組まれているかとか……そんな情報もあるかもしれないしな」
「うん。じゃあ〈アルバトーリア王国〉王都からは〈ヴァンターク皇国〉皇都への旅ね」
「おう」
そのとき、俺はふと空気の流れの変化を感じた。
「……? アルトスフェ……んッ⁉」
「し」
咄嗟にメルトリアの唇を手で覆う。
ちなみに
「……、……」
聞こえたのは話し声……とは違う、なにかの息遣いのような。
やがてそれが草を踏み分ける音とともにはっきりと縁取られていく。
聞き慣れた家畜の吐き出す息と……それを御しているらしい人族のそれだ。
「……来た」
俺はメルトリアに囁いてそっと彼女の口元から手を放した。
柔らかくて温かい感触に申し訳なく思う暇はない。
「――まだ生きてンのか? は、しぶてぇ奴だね魔物ってのは……」
穴を覗き込んでいるのは声から察するに若い男……。
深く被った黒ローブのフードは星明かりの下でも色濃い影を作り、容姿までははっきりしない。
俺たちは男をじっと観察した。
そいつが連れてきたのは大きな牛だ。
街道に馬車でも停めて運んできたのかもしれない。
台車を操作した男によって穴の中へと下ろされる牛の間延びした鳴き声が木霊すると――立て続けに――断末魔が夜闇に轟いた。
「…………ッ」
メルトリアがギュッと目を瞑り体を強張らせる。
――やっぱり彼女は待機させるべきかもな。
そう思って踏み出そうとした俺は……息を呑んだ。
弾かれたように飛び出したメルトリアが双剣を閃かせ――一直線に男へと向かったからだ。
「!」
草木を蹴散らす音に男が反応してローブを翻す。
身を低く保ち問答無用で剣を突き出すメルトリアに瞬時に応戦し、男は軽やかな動きで距離を取った。
完全な不意打ちでも対応する実力があるってことだ……厄介だな。
「なンだぁ⁉ こんなところに女――ってのはまぁ愚問か……」
「……貴方、魔物を飼ってなにを企んでいるの」
「おお? ……は、こりゃ驚いた。あんたその髪色――〈ヴァンターク皇国〉の」
「黙りなさい、貴方は質問に答えるだけでいいの」
「よく見りゃ瞳も翡翠色っと。いいねぇ、気の強い女は好きなンだ」
黒ローブは飄々と応えると……両手に持った円月輪をくるくると回す。
どうやら近付こうとしていた俺にも気付いているらしい。
ピンと張った糸のような緊張感が首筋を撫でていく。
「悪いが俺は雇われでね。事情なんざなンにも知らねぇ末端さ。……半信半疑だったってのに……当たるもんだ。いいか、よく聞け」
動けば斬るぞ――そう言わんばかりの張り詰めた空気を纏うそいつはフードの内側、薄い唇の端を吊り上げる。
「占星術ってのか? 星詠みが言った。魔物の世話をしていりゃ目的のヒトが来るってな。そこで俺に魔物の世話と伝言役が回ってきたンだ。で、こっからが伝言。『龍の力を伴うヒトよ、命が惜しければ邪魔するな』……どっちか意味はわかンだろ?」
「……ッ」
メルトリアが明らかな動揺を見せると、男は円月輪をヒラヒラさせてますます笑った。
「はっ! 顔に出てるぜ。
俺からメルトリアの表情は見えないが、それほどまでに苦しげな顔をしたのだろう。
迷わず歩み寄って前に出た俺に……男は首を傾げる。
「……そんであんたは護衛か? それにしちゃ若いな」
「見た目よりは歳を重ねてる自覚があるけどな」
剣を構えたまま笑ってみせる俺に……男は円月輪を握り直す。
一戦交えることになるか――そう思ったけれど、そいつは意外な行動に出た。
「そんじゃ終いにしよう。ほいよっ、と。これでいいンだろ?」
「……な」
閃く円月輪が星々の光を散らす。
空気を裂く音とともに……その刃が穴の中へと放たれたのである。
『ブオォッ……』
穴の底にいるはずの
それでも男は怯まない。
戻ってきた円月輪を再び穴に放ち――やがて鳴き声が聞こえなくなる。
そうして。
「討伐完了――ってなもンよ!」
キン……と。
冷えた空気に甲高い音を響かせて円月輪を握った男は……なにを思ったか徐に話し出した。
「――俺の仕事はあくまで伝言を渡すこと。その先の魔物の扱いについちゃ指示がないンでね。……胸クソ悪ぃのは一緒さ。あんたをおびき寄せるために家畜を盗んでこんなことして……帝国の亡霊かよって話だ、そうだろ?」
フードの下、おそらくはメルトリアを見て言っているのだろう。
「……誰に、雇われたの……」
絞り出すような声で応えたメルトリアに……男は肩を竦めると薄い唇の端を吊り上げて微笑んだ。
「さすがにそれは信用問題。そんじゃ、俺はここで失礼させてもらうぜ」
「…………」
警戒は続けているが、本当に戦うつもりがないらしい。
俺はそいつを見詰めたまま考え――そのまま言葉にした。
「……いくらだ?」
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