第8話 朝チュン女狐


 居候の朝は早い。俺はベッドから身体を起こすと小さく伸びをした。


「ふあぁ。今日も良い朝だな。こんな日は光の民と一緒にゆるふわの日常を過ごすに限る」


 昨日は夜遅くになってしまったから繁華街の光の民とは会えなかった。そのため今日に予定がズレたのだが、こんなに良い朝ならば逆に良かったと言うべきか。


「さてと」


 俺は隣で寝ている狐耳の幼女に目を向けた。俺は居候先を複数持っていて、寝泊まる場所はいつも違う。今日はコンコンのところを宿代わりにさせてもらっていた。

 ぷにぷにのほっぺをツンツンとつつく。不快そうに表情を歪ませると、コンコンはむにゃむにゃと寝返りをうってしまった。

 目覚めているときはあんなに嫌な奴なのに寝ているときはこんなにも愛くるしい。ふわふわの狐耳は触っているだけで幸福な気持ちになれる。普段はフードを被っているせいで可愛らしい狐耳が見えないのは世界への叛逆だろうか。


「おい、コンコン起きろ。朝になったぞ」


 俺はもう少しコンコンを眺めていたかったが一日の時間には限りがある。居候の責務を全うするため、渋々コンコンを起こすことにした。


「むぅぅぅん。んがぁぁ。ああ、おはよ」


 コンコンが目を覚ました。まだ頭が回っていないようで上体を起こして眼をしぱしぱさせている。そして、のーんと鳴いた。


「おはよ、眼は覚めたか?」


 コンコンは頭を前後に揺らしながら返事した。


「ああ、今日は私のとこに来ていたのか。私のところ、というよりは私の“床”か。ふふ、ははは」


 まだ調子が良くないみたいだな。下らんギャグで笑っている。


「じゃあ、俺は朝食の準備をするから、もう少ししたら起きて来いよ」


 朝食の準備をするのは居候の責務だと思っている。これをやらずして居候は名乗れない。俺はベッドから降りて朝食の支度をしにキッチンへ向かおうとして、コンコンに腕を掴まれた。


「まあ待て。そんなに焦ることもないだろう。今日の予定は繁華街の奴らへの謝礼だろ? なら時間に余裕はあるはずだ。もう少しゆっくりしていけ。お前は温かいから抱き枕として丁度良いんだ」


 のーん、とあくびをして俺にしがみついてきた。

 コンコンのことはあまり好きではないが、コンコンの身体は良いものだ。ふわふわの耳と尻尾は他では得難い欲求を俺に与えてくる。控えめに言って最高だった。

 しかし、だがしかし、俺は居候である。己が矜持を満たすため、俺は朝食の仕度を優先する。俺はコンコンの手を振り切った。


「えっ…………」


 じー…………。


 そ、そんな目で俺を見るなッ。胸がきゅーってなるだろッ。その程度で俺を止められるとでも思ったか?


「デルゲン……」


 しゅんとするな。いつもの張り合いを持て。お前は女狐と恐れられるコンコンだろ。ああもう、耳をぴくぴくさせるなッ、尻尾をゆらすなッ、泣きそうな顔をするなッ。クソッ、調子が狂う。

 コンコンが寝起きのうるうるとした大きな目で訴えてくる。


「…………ちょっとだけだぞ」


 結局俺は誘惑に負けてベッドに戻った。


 ◆


「さっきのは忘れろ」


 コンコンがムスっとしている。


「忘れろと言われましてもね。こんなのいつものことだし。もう記憶に染み付いて剥がれないぞ」

「だったらお前が私を無理矢理引きはがせば良いことだろ。毎回毎回、お前が泊まりに来る日はいつもこうだ。寝起きが弱いのを良いことに、お前はいつも私をおもちゃにする」


 それは致し方のないことだ。俺の熱を感じようと一心にしがみついてくるコンコンを前に俺が理性を抑えられるはずがない。コンコンの抱き枕になる対価を頂くという免罪符を手に、俺がコンコンを撫でまわすのは当然の帰結というものだ。

 俺は悪くない。それどころか俺に撫でまわされるコンコンは存外悪くなさそうな反応をしているのを加味すると、俺の行いはコンコンの利に成っているのではなかろうか。つまりはwin-winが成立している。


 しかし、コンコンはそれを認めたくは無いようだ。箸で俺を指さして文句を付けてくる。


「お前、今日の味噌汁は手を抜いただろ? いつもより具材の数が減っている。これはお前が私に悪事を働いて時間が取れなかったせいじゃないのか? これは明確にお前の過失だ」

「……何だかんだと言いながらもよく見てるんだな。お前の言う通り、今日の味噌汁は具材を減らした。煮込む時間が取れないと思ったからな。それについては反省している。だがそれとこれとは話が別だろ。あれはお前が望んでいたから俺が付き合ったにすぎない」


 コンコンは箸を進める。表情はムスっとしているが、時折頬が緩んでいた。どれだけ俺に文句を言おうがコンコンの胃袋は既に俺によって掌握されているため、コンコンは俺の料理を無視することができないのだ。

 長年の餌付けの成果である。


「まあ良いだろう。今日のことは大目に見てやる。だが、次も朝食の手を抜いたら承知しないぞ。良いか?」


 俺はへーへーと返事をして、リンゴを齧った。俺がリンゴを食べ終わるのを待ってからコンコンが「それと」と話を付け加える。


「リスディスのイベントがあるのは知ってるか?」

「……近頃あるんだってな。でも、俺が参加できるような奴なのか? リスディスのイベントはいつも規模がでかすぎて俺みたいな雑魚はモブになるしかないようなものばかりだろ。クーポン券が配られるから楽しみではあるけどさ」


 この街では日々大なり小なりのイベントが開催されているのだが、その中で最も規模のデカいイベントがリスディスのイベントだ。普通のイベントは先日行われた『キャンプファイヤー』のような気楽なものが多いが、リスディスのイベントは大体が一つのゲームのようになっている。

 イベントの開始時にイベントの目的を提示され、それを参加者全員で達成する。街全体を使ったイベントであることから、まるで巨大なゲームのような一大イベントだ。


 そのせいで、イベントの概要によってはイベントの難易度についていけない者も出てくる。例えば、戦闘系のイベントだと弱い奴は参加しても後方支援だけしかできないとかがそうだ。


「安心しろ。今回のイベントはお前でも活躍できるようなイベントだ。存分に楽しめるイベントになる。期待しておけ」


 コンコンは悪い奴だが変なところで嘘を吐く奴じゃない。少なくとも俺と縁が切れないギリギリを見計らって嘘を吐いてくる奴だ。イベント大好きの俺の怨みを買いたくはないだろう。


「ハッ、お前がそこまでいうなら今回のイベントは期待しとくよ」

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