第3話 ちっさい女狐
法律などなくとも平和を作ることはできる。光の心さえあれば造作もないことだ。
借りたお金を返すため、ミルキィと一緒に繁華街に出ている。繁華街と言うのは商売をしている場所だ。フーラ国には法律がないから商売は不可能のように思えるかもしれないが、そんなのは住民の善意の前では些細なことだ。
この繁華街には善意によって結成された組合が存在する。その組合が持つ横のつながりによってこの繁華街は機能しているのだ。彼らの心優しき光の心には俺も頭が上がらない。
が、それとこれとは話が別だ。
「相変わらずクソみたいに人が多いな。何人か間引いた方が良いんじゃないか?」
俺は視界を埋め尽くす程の人の量に飽き飽きしていた。
「もう、そんな酷いこと言わないで。みんな買い物を楽しみにしてここまでやって来てるんだから。買い物するでもない私達が来てる方がみんなの迷惑になってるんだよ」
「ミルキィが迷惑なんて、そんなことあるわけないだろ。ミルキィで迷惑がられてたら、ここにいる十二割の人が迷惑な人になっちゃうぞ」
ミルキィは俺みたいな奴にも優しくしてくれる光の心を持った住民だ。国を運営するにあたって最も必要な住民であり、逆を言えばミルキィのような光の心を持っていない奴らは全員要らない住民だ。
ミルキィが口に手を当ててクスクスと笑う。
「十二割って十割超えてるよぉ」
「それだけミルキィが凄い人だってことだよ」
「デルゲンは大袈裟だなぁ」
可愛い。この時間を永遠のものにしたい。この笑顔が見れただけでも繁華街に来てよかったと思える。
俺は歩いているミルキィの手に向かってそっと手を伸ばした。
一瞬、手が触れ合う。
「あっ」
目が合った。ミルキィが戸惑ったように視線を泳がせる。
また手が触れ合った。今度はほんの一瞬、触れたかどうか分からないような、僅かな一瞬だけ。
俺は勇気を出して声をかける。
「人、多いしさ、手を繋がない?」
「………………うん」
コクリと俯くように首が縦に動く。耳が真っ赤だった。
俺はミルキィの可愛さに心を撃たれながらも、この機を逃すまいと手を伸ばした。今度は触れ合うだけじゃなくて、しっかりとぎゅっと掴めるように。
と、人生の絶好調にいる俺に魔の手が伸びた。
「デルゲン、お前の気配がしたから来てみれば何だこれは。昼間っから堂々といちゃついて、お前らしくないぞ」
チッ、良いところで割り込んで来やがって。俺の人生の邪魔をしたのは誰だぁ?
俺は不機嫌さを一切隠すことなく、そいつの顔を睨みつけた。そいつは俺の良く知る奴だった。……というより、俺とミルキィが会いに来た奴だった。
「コンコンか……。お前少しは空気を読めよ」
コンコン。フードを被った幼い少女だ。俺はしょっちゅうこいつに金をせびっている。だが今まで金を返したことはない。
「お前、昨日の今日で随分と生意気になったな。女が出来るとそうなるのか?」
「生憎だが俺は昔からこうだったぞ。嫌な奴に会うと感情が抑えきれなくなる」
「嫌な奴とは心外だな。私はお前が不利になるようなことをした記憶は無いぞ。昨日だって無一文のお前が金を貸せとせびってきたから貸してやったじゃないか。それはお前にとって何か都合が悪いことだったのか?」
この言い争いは俺が敗ける。なんたって悪いのは百パーセント俺だからな。長引かせるのは不利だ……。ならばッ。
「ここでくたばれぇ!!」
俺は懐から包丁を取り出してコンコンに飛び掛かった。この国には人を殺してはいけないという法律がないから、俺の行いは常に正当化されていると言って良い。
この場でコンコンを殺すことができれば、憎きコンコンを視界に入れなくて済むどころか、俺はコンコンに金を返す必要が無くなる。万々歳だ。
だが俺はコンコンに比べれば赤子だったからコンコンに手を捻るように組み伏せられた。俺の身体の上にコンコンが立つ。ふむふむと満足気に頷いた。
「やはり一日二日で人間が変わることはなかったか。お前は相変わらずアホのままだな。安心したよ」
突然のことにミルキィは困惑している。光の心を持った光の民は咄嗟の戦闘を受け入れるのに時間がかかる傾向がある。俺にはちょっと理解できない傾向だが、彼らは戦闘というのを何処か遠いものに感じているらしい。
ミルキィはあたふたと俺とコンコンを交互に見てから首を傾げた。コンコンに踏みつけられている俺を無視して、コンコンに近づいて尋ねる。
「コンコンって、貴方が女狐さんですか?」
女狐? それってあんまり良い意味じゃない……よな? 痛てッ! 俺の頭を踏みつけんなよクソが! もっと丁重に扱え!
「おいデルゲン。随分と失礼な女を連れてるようだな」
「失礼とはなんだ! ミルキィはお前みたいな闇の民とは住む世界が違う光の民様だぞ! 失礼だと感じたならお前の認識が間違ってるんじゃないか!? ぐへぇぇ! 何度も踏みつけるな! 頭の形が変わったらどうする!?」
こいつみたいな暴力女がミルキィの清き心から発される言葉を理解できないのは自然の摂理だ。言葉は不十分だから、伝える側と受け取る側によって解釈が大きく変わることがある。その最たる原因となるのは価値観だ。
価値観とは心の在りようから生まれるものであり、心の在りようとは闇の民であるか光の民であるかだ。闇の民であるコンコンが、光の民であるミルキィの言葉を理解できないのは道理だろう。
そして、俺のこの考えは正しかった。
ミルキィが慌てたようにぶんぶんと手を振って訂正する。
「ごめんなさい、ごめんなさい! えっと、狐の方なんですよね? だから皆が女狐って呼んでて……。その、初対面で知らない人に女狐って呼ばれるのは不快でしたよね? ごめんなさい。私そこまで気が回らなくて」
コンコンは
コンコンがふんと鼻を鳴らした。気に入らないが誤解なら仕方ないといった感じだ。
「なるほどな。良いだろう、許してやる。だが次からはその女狐はやめろ。コンコンで良い」
「あ、ありがとうございます。私結構失礼なことを言っちゃったのに、その、コンコンさんは優しいんですね」
ちっとも優しくないぞ。いつも俺に悪のささやきをしてくる悪い奴だ。そのせいで俺は毎回痛い目に合う。そいつを信用するのは危険だからやめた方が良い。
などと俺は思ったがコンコンに頭を蹴られたくなかったから言わなかった。
「それよりも、だ。お前たち、私に用があったんだろ? 何だ? 早く言え」
こういうところがこいつを好きになれないところだ。しれっと登場しておきながら、俺達が繁華街に来た目的にあたりを付けてる。
「えっとですね。昨日デルゲンがコンコンさんにお金を借りたみたいで、それを返しに来たんです」
「ああ、金を返しに……」
いたッ! 何でまた踏んだ!
「ミルキィだったか? 悪かったな。こいつが迷惑をかけたようだ。こいつにはしっかりと言い聞かせておくよ」
「誰が言い聞かせられるかよ! つーか、さっきからお前は何様のつもりだ! マミーを気取りやがって!」
俺が喚いているのを意にも介さず、コンコンはミルキィから金を受け取った。俺から降りてから俺の首根っこを掴む。身長が俺よりも低いせいで俺の下半身を引きずる格好になっている。もっと丁重に扱ってほしい。
「じゃ、丁度良かったしこいつは借りていくぞ」
「え? デルゲンをどうかするんですか? あんまり酷いことはその……」
「んー、酷いことをするつもりはないな。ただ、最近弛んでるみたいだから、そろそろ締めなおさないといけないと思ってね」
し、締めなおす? …………逃げねばッ。
俺は必死に手足を動かしてコンコンから逃れようと抵抗したがピクリとも動かなかったので直ぐに諦めた。はー、おもんね。種族差ってのは残酷だよなぁ。
「それじゃあミルキィ、これからもこいつとは仲良くしてやってくれ。こいつには私みたいな光の心を持った奴が必要なんだ」
「お前が光の心を持ってるぅ? ハッ、笑わせんな」
「ま、こんな奴だけど根は悪い奴じゃないから」
ミルキィは俺とコンコンのやり取りを見て小気味よく笑った。そしてドンと胸を叩いて胸を張る。
「はい! 私に任せてください!」
ということで俺はコンコンに連行されることになった。
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