第2話 居候


 住民の中にも光の心を持った者は存在し、その者達は闇の宗教に参加することなく、ほのぼのとした毎日を過ごしている。


 ふぁぁぁ。

 目を覚ました俺は上体を起こしてぐっと伸びをした。心地の良い朝日が部屋に差している。今日も良い朝だ。こんな日は良いことがあるだろう。

 俺は掛け布団を綺麗に畳んで部屋の隅に置いた。ここは俺の家じゃないから礼儀としてその辺は丁寧にしないといけない。居候として当然のことだ。

 一通りの片づけを終えると台所に向かった。朝食の支度をするのだ。俺が居候している間は俺が朝食を作るのが定例で、俺がこの家に泊めてもらっているときはいつも俺が朝食を作っている。

 ガチャッと食材保存用の魔道具を開ける。


「パンとサラダと……後はベーコンエッグで良いか」


 フライパンに火を入れて素材を放り込んでいく。もう何度もこの家に泊めてもらってるのもあって、一連の動作はちょちょいのちょいだ。

 そうこう朝食を作っていると、家主が目元を擦りながらリビングに入ってきた。だらしないパジャマ姿の若い女性だ。部屋に差している陽の光を浴びながら大きく伸びをしている。


「デルゲン、おはよー。今日もありがとうね。朝早いのに大変でしょ?」

「んー、おはよ。これぐらい大したことないって。何ならもっと凝った朝食作っても良いぞ。ミルキィは確かパスタが好きだよな? んー、……朝からはちょっと重いか」


 ミルキィは朝が弱い可憐な女性だ。朝は頭が回っていないのもあって足取りが悪く、テーブルに着くだけでもふらふらとしている。

 椅子に座ってからやっと気付いたのか俺をバッと見て「あッ!」叫んだ。


「デルゲンまた闇の民さん達と喧嘩したでしょ!?」


 闇のイベントに参加していたクズ達は通称闇の民と呼ばれている。この国の闇と呼んでも遜色ないクズに相応しい名前であろう。実際のところは中二病を患っていたクズ達が自分らのことを闇の民と自称し始めたのが起源なのだが、便利な言葉だったので闇の民以外も使うようになった。

 いずれにしてもクズは良くない連中だ。ミルキィのような綺麗な心を持った住民には彼らと関わって欲しくない。


「あれ? 昨日の事なのにもう知ってるのか? ミルキィって俺が思ってたよりも情報通?」


 ミルキィはむすーっと頬を膨らませた。


「私が気付いてないとでも思ったの? デルゲンが予定も無しに私の家を使う時はいつも闇の民さん達と喧嘩した後だって知ってるんだよ?」


 意外だな。ミルキィはクズとは縁遠い生活をしてるから、そういう悪意の強い情報は入りづらいと思ってたけど。

 ミルキィが如何にも怒ってますと言わんばかりに、つーんと口を尖らせる。


「デルゲンが私達のために闇の民さん達を説得してくれてるのは分かってるよ。……でもぉ、私を宿代わりの便利な女みたいな扱いしてほしくは無いなぁって思うなぁって。闇の民さん達に襲撃されないように私の家を隠れ蓑にしてるの気付いてるんだからね」


 俺とミルキィの仲はそこらにあるような短い仲ではない。ミルキィは俺を咎めるように拗ねたことを言っているが、俺がそんなに酷い奴じゃないことをミルキィは知ってくれている。

 つまりミルキィが拗ねているポーズを取っているのは、俺に構ってほしいというアピールと取ることができる。ミルキィのツンとそっぽを向いた顔にもそう書いてある。

 据え膳食わぬは男の恥。ここはミルキィのアピールに乗っかって、俺の日頃の感謝をミルキィに余すことなく伝える機会としよう。俺は国を憂う心優しき民だ。こういう時こそ俺の本質が表れる。

 フライパンからベーコンエッグを皿に移し、レンジからパンを、食料保存用の魔道具からサラダを取り出した。それともう一つ、昨日帰りに買っておいたデザートのプリンも取り出す。


「まーまー、俺の言い分も少しは聞いてくれよ。何もミルキィに酷いことをしたくて隠してた訳じゃないんだからさ」


 俺はテーブルに料理を並べ、最後にしれっとプリンも並べて置いた。フーラ国において娯楽品はどれも高級品だ。

 ミルキィの眼の色が変わる。


「えっ、これって高かった……よね? 良いの?」

「良いよ良いよ。どうせ俺は食べないし。知ってるだろ? 俺はこれが好物なんだ」


 言って俺は真っ赤に熟したリンゴをミルキィに見せた。

 興奮を隠しきれないミルキィの眼がプリンに向かう。その柔らかそうな唇が、にへらぁと緩んだ。


「へぇ、まあ、今日のところはこれで許してあげても良いかなぁって」


 ……可愛い。俺は今すぐミルキィを抱きしめたい衝動に駆られたが、リンゴを齧ることでその衝動を食欲で満たした。ここでミルキィに幻滅されるのはナンセンスだ。今まで一度もミルキィに手を出してこなかった俺ならこの程度の欲求は屁でもない。

 俺は何食わぬ顔でリンゴを齧りながらミルキィの正面に腰掛けた。ミルキィは俺が作った朝食を満面の笑みで頬張っている。


「ミルキィはいつも美味しそうに食べてくれるから俺も作り甲斐があるよ。それに、もっと美味しいものを食べて欲しいって思える。俺は泊めてもらってる立場なんだから、朝から凝ったものを作るぐらい何てことないのに」

「そんなこと言ってぇ、デルゲンはちょっとでも面倒だと思うと直ぐほっぽりだしちゃうからなぁ。私、デルゲンのそういうところも考えて言ってるんだよ」


 あれれ、そうだっけな。面倒に思ったらすぐに切り捨てる癖か……。あると言えばあるかも?


「ミルキィは俺のことをよく見てくれてるんだな。そんなこと今まで気付かれたことなかったよ。なんか、ちょっと嬉しい」


 ボンッ。と、ミルキィの頬が朱色に染まる。顔を隠すように手のひらをぶんぶんと振った。


「ち、違うよ。いや、違わないけど。でも、そういうのじゃなくて……

「そういうのって?」

「えっと、そういうのって言うのは……。えっとね。…………うん」


 ぽしゅぅ~。排熱作業に追われた脳がオーバーヒートを起こす。

 俺はすっかり俯いてしまったミルキィを眺めながら、朝食代わりのリンゴを齧った。シャクッと瑞々しい音が響く。今日も新鮮で美味なリンゴが俺の魂を満たしてくれる。


 排熱処理を終えたミルキィがぼそりと呟いた。

 俯いていて顔は見えないが、長い髪の隙間から僅かに見えた耳は元の綺麗な色に戻っている。


「ところでデルゲン君」


 デルゲン君? 急に他人行儀になってどうした。俺とミルキィの仲はそんなに離れたものじゃないだろ。

 俺は突然様子が変わったミルキィの言葉に耳を傾けた。


「ひとつおかしなところがあります。何がおかしいのかわかりますか?」


 ちらりとプリンカップに目を向ける。既に食べ終わっていたようで中身は空になっていた。


「さあ、おかしなところって?」


 俺の問いかけに、ミルキィは空になったプリンカップを前に突き出した。俺と目を合わせて、俺の心を覗き込むかのようにじっと見つめてくる。


「デルゲン君が闇の民さん達と喧嘩した後はいっつもリスポーンして帰ってきますよね」

「……ああ、奴らと道連れになって何故か俺も死んでしまうからな」


 大変心苦しい話だが、俺は強くない。クズ達と戦うと多勢に無勢で負けることが多い。キルレートで見ると俺は二桁以上あるのだが、如何せん数の暴力は恐ろしく、生きたまま帰宅することはほとんどない。

 そして、俺はそれを長年の経験で理解しているから、いつも死ぬことを前提として作戦を組んでいる。


「リスポーンするとき、所持品は全て死んだ場所に置き去りになりますよね? 剣や槍とかの武器だけじゃなくて、日常で使っているお金や時計みたいな便利道具もその場に落っことしてしまいます」

「……ああ、だから俺はいつも手持ちの武器を湯水のように雑に使い捨ててる」


 どうせ死ぬことが決まっているのなら使い切るのが最も効率的だ。抱え落ちをするのは武器の製作者にも申し訳ないし、抱え落ちした武器を他人が使うのは気に入らない。必然的に俺が使う武器は消耗品ばかりになる。……爆弾とかな。


「ってことは、デルゲン君はリスポーンして私の家に来るまでの間は何も持っていないことになりますよね」

「……そうなるな?」


 何が言いたい? 俺を動揺させるためのハッタリか? いや、ここで俺を動揺させてもミルキィが得られるメリットはない。俺に何か見落としがあったとでも?

 俺はミルキィから視線を逸らした。こういう場合、思考の参考になりそうなものが周囲にあることが多い。右に左に視線を動かす。だが、一歩遅かったようだ。俺が真実に辿り着けないことを悟ったミルキィが溜息をついた。

 スッと、プリンカップが俺の方へ差し出される。


「デルゲン君、これは高かったですよね?」


 俺は悟った。


「ま、待ってくれ。これは店主が俺の日頃の行いを評価してくれて……。む、無料で良いって……」


 即座に誤解だと意志表示する。こういうのは速度が肝心だ。料理が熱々な方が美味しいのと同じで、人間関係も早い内に手を打つのが最適だと決まっている。


「ふーん、デルゲン君は街の人達にそんなに好かれてましたっけ? それに、さっき私が『高かったよね?』って聞いたとき、デルゲン君は否定しませんでしたよね?」


 つまり、ミルキィはこう言いたいのだ。

『デルゲン君はお金を持ってないのにどうやってプリンを買って来たんですか? 誰かに乞食してお金を貰ったんじゃないんですか? ……女の人に』

 俺は自分で言うのも何だが男よりも女に好かれることが多い。いや、この言い方だと語弊があるな。女に好かれることも限りなく少ないが、男には嫌われていることが多いから、相対的に女の方が好感度が高いという言い方が正しい。つまりは俺はモテる。

 っと、俺が男よりも女に好かれているイケてるボーイなのは今は関係のない話だ。今の問題はミルキィが言っていることが事実であるということだろう。


 俺は動揺を隠せなかった。視線が左右にぐらぐらと動く。無意識の内に状況を好転させるアイデアを探してしまっていた。

 バンッ、とテーブルが叩かれる。俺はハッとなってミルキィへと視線を戻した。


「お金、その人に返しに行こう? 私もついて行くから……。ね?」

「…………うん、わかった」


 何でミルキィが俺のマミーみたいな感じになってるんだ、と思わなくもなかったが、俺には発言権がなかったため、俺は渋々承諾した。

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