第5話 ヘヴンス・フォール・ダウン③

 魔法陣から現れたのは、深い夜を思わせる一人の小柄な女性だった---。



 魔法陣が現れてから一秒にも満たない間に女性が現れた。深緑のミディアムヘアに、夜空のように深い藍色の帽子とローブ。焦茶の杖。


 奏太と盗賊然とした男は、空間転移魔法〈白黒盤面の僧正ビショップ〉で現れたその人物を見て驚いた。盗賊然とした男は畏怖し、奏太は笑った。そして、二人は同時に呟いた。


「そ…ソフィー…」


 その女性ソフィーは安心したような柔らかな笑みを浮かべて、「奏太」と返した。


 ソフィー。奏太の元冒険仲間で、二十八歳にして現代最強と云われる魔法使い。その割に、小柄で可愛らしい顔をしている。街中で会っても彼女がそうであると気づく者は少ない。彼女の通り名は、その身に似つかわしくない忌まわしき名がついているため。



「チッ!〈黒葬いみしここくそうのソフィー〉、何故気付いた…?!」


 と、盗賊然とした男は呟き、ソフィーに奏太を盾代わりに投げつけた。


「テメェは今千㌔離れたゴルゴンにいるはずだろうが」


 一方でマーシャはその女性が眼中になかった。だから、勢いそのままに女性の背にぶつかった。しかし、それも意と介さず、奴に届くと思ったマーシャは剣を振り下ろした。


「殺してやる!」


 叫びながら振り下ろしたマーシャの剣先が、盗賊然とした男の左目をおでこから頬に掛けて斬った。男が悲鳴を上げながら左目を押さえる。同時に、奏太が女性にぶつかり抱えられる。


「あ"あ"あ"あああー!イッテエエ!」


 だが、男はすぐに怒りで我を忘れた顔をして叫び、殴る体勢に入った。



「クソガキがぁーーー!!」


 そのとき、ソフィーに奏太とマーシャがくっついた状態だったが、咄嗟に奏太は「まずい」という顔をして、最後の力を振り絞り、マーシャと女性を横に弾き飛ばした。奏太が二人に微笑む。


「あとは頼む」



 男の拳が見えないほどの速さで奏太の胸を貫いた。その拳風は数十メートル離れた森の木々を次々に薙ぎ倒していく。胸を失くした奏太を目の前にし、間一髪で逃れたソフィーとマーシャは絶句した。盗賊然とした男は奏太の胸から腕を引き抜き、奏太は力無くそのまま崩れ落ちた。マーシャが叫ぶ。


「とうさん!」


 ソフィーは口を一文字に縛り、ショックを受けて固まっていた。男が足をジリっと捻り、二人を見遣る。それをキッカケにソフィーは我を取り戻し、マーシャを脇に抱えた。


 ソフィーが震える手をして杖を構える。

 大気が集まり、空気の壁が、屈折率の異なる透明な壁が目の前にできた。防御魔法〈空気障壁エアダンプ〉。通常の魔法使いであれば勢いを殺す程度に留まるが、ソフィーのそれは空気抵抗を減衰するだけではなく、触れたモノを弾き飛ばすほどの圧力となる。攻守一体の魔法カウンター・マジック。生成時間は一秒にも満たない。マーシャが氷を作るのに十秒掛かるのと比べれば圧倒的な力量と言える。しかし。


 男が二人に向かって拳を突き出すと、それは常人には不可能なはずの空気障壁を貫通した。ソフィーはすぐに一つ上の防御魔法〈水障壁ウォーターダンプ〉も作ったが、拳は減衰しながらもソフィーの顔に到達した。ソフィーと抱えられるマーシャは数十メートル飛ばされた。


 直ぐに立ち上がり戦闘体勢を取ったソフィーの鼻から血が垂れる。マーシャがソフィーに叫ぶ。


「離してください!奴を殺すんだ!」

「ダメ。逃げるの」


 男が片目を押さえたまま、炎を背景にゆっくりとこちらに歩いてくる。


「ガキ、ただで死ねると思うなよ」


 マーシャは足掻いたが、ソフィーの腕から抜けることができなかった。ソフィーは杖を水平に斬るように振った。


「〈図書化ライブラリー〉」


 すると、ソフィーの手元に革表紙の本が顕現した。ソフィーはそれを一見して告げる。


「マーシャ。奏太の最期の一言忘れないで」

「うっ」

「逃げるの」


 ソフィーはそう告げると、大気の圧力を奪った。圧力の低下した一帯に一瞬で雲が発生し、ソフィーとマーシャの姿を隠した。支援魔法〈朝を告げる雲モーニング・グローリー〉。


 男はその場で手を振った。その風圧で雲が薙ぎ払われる。が、しかしもうそこに二人の姿はなかった。故に、雲の狭間に零れたソフィーの涙を知る者はいない。


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