2章 恐ろしい可能性

 みもりんはうんこをしない。

 が、いっちょんはたぶんうんこをする。しないかもしれないが、たぶんする。いっちょんがうんこをするかどうかに関しては、俺は特にどっちでもいい。いっちょんのうんこに転生したことについては、すんなり受け入れることができる。それにしても、なんでまたうんこなんだ。どうなってんだ、俺の転生は。

 などと考えてると、またみもりんの声が聞こえてきた。

 今度は体内ではなく、身体の外側からだ。

「おはようございまーす! 遅くなってすみません。渋滞でタクシーが動かなくて〜」

「おつかれさま、みもりん。急がなくても大丈夫。開場までまだ時間あるから」

 ん? このやりとりは……。

 もしかすると俺は、さっきと同時刻、同じ場所にいるいっちょんのうんこに転生したということなのか?

「わあ、美味しそう。ちょうどお腹ペコペコだったんだ。ひとつもらっていいですかあ?」

「うずらちゃんからの差し入れだよっ」

「ありがとう、うずらちゃん!」

「いいってことよ。遠慮なく食べるなりよ」

「うずらちゃんのお菓子のセレクトはいつも完璧ですからね」


 間違いない。さっきと同じやりとり。

 ということは……。

「それじゃ遠慮なくいただくねっ。どれにしよっかな〜…」

 ダメだ、みもりん。それを食べちゃ。さっき、その差し入れのチョコクリーム味の何かを食べてお腹を壊したんだ。なんとかして止めなければ。

 しかし、俺はうんこ。しかもいっちょんのお腹の中のうんこ。文字通り手も足も出ない。なんとか止める方法はないのか。せめて、いっちょんと意思疎通ができれば。いっちょんが俺の存在に気づいてくれれば、止めさせることもできるのに。

 俺は必死にいっちょんに話しかけた。うんこに声帯はないけど、念じれば伝わりはしないか。頼む、いっちょん。みもりんに伝えてくれ。食べちゃダメだと。食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだああああああああああああーーーーーっ!


『……え? だれ? 何この声……?』

 いっちょんの声が聞こえた。

 それはさっきまで体内に直接響いていたくもぐった声とは違い、いっちょんの心の声だ。奇跡だ。俺の声が通じた。俺はいっちょんのうんこのまま、いっちょんと意思疎通が可能になったのだ。やればできる。できた。すごいぞ。

 が、ここで「俺は君のうんこだよ」と言ってもいっちょんはおそらく混乱するだけだろう。もしかすると自分は気が狂ったと思うかもしれない。ひとまず、俺の正体は伏せたまま、語りかけた方が良さそうだ。みもりんを止めるんだ。それを食べちゃダメだ。みもりんを止めろみもりんを止めろ食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだーー。


「どうかした、いっちょん?」

 みもりんの声が聞こえた。おそらく、俺の声が聞こえてい混乱しているいっちょんを心配して声かけたのだろう。みもりん、優しい。可愛い。いい子だ。

「あ、うん、なんだかわかんないけど……それ、食べない方がいいって……」

 いっちょんが戸惑いつつ、答える。

「どうして?」

「わかんない。身体の内側から声が聞こえたの」

「え〜、なにそれ、いっちょん」

「あー、わかった。うずらちゃんの差し入れ独り占めするつもりだなっ」

「違うって。そんなんじゃないよ〜」

「それじゃ、チョコクリーム味のこれにしよっと」

 あぁ、ダメだ食べちゃーー。だが、いっちょんの腸の中にいる俺にはそれ以上はもうどうすることもできない。間もなく、みもりんのお腹はぐるぐると鳴りはじめ、大変なことにーー。が、そこまで考えて、気づいた。

 早すぎないか? 

 いくらなんでも食べてすぐに反応しすぎではないだろうか。普通の食中毒ならそんなにすぐに症状が出るだろうか。ここに来る前に食べた何かが原因ではないか。いや、しかし。みもりんはお腹ペコペコだって言ってた。ここに来る前は渋滞に巻き込まれたとも言ってた。何か食べ物を口にする機会はなかった筈だ。

 だとすれば、導き出される結論としてはやはりチョコクリーム味の何かが原因ということになる。それが何かはわからないが、差し入れにもってくるようなものにあたることがあるのか。あたると言えば、まず思い浮かぶのは生牡蠣だが、チョコクリーム味の生牡蠣なんてないだろうし、あっても差し入れにもってくる類いのものではない。だとすれば、もしかすると……。


 俺は恐ろしい可能性に気づいた。

 誰かが、みもりんに下剤を持ったーー?

 チョコクリーム味の何かに下剤が仕込まれていたのではないか。だとすればもう手遅れだ。さっきは俺がいたから踏ん張ることができた。だが、今回、俺はいっちょんの中だ。みもりんの便意のために踏ん張ってやることはできない。

 そうこうしているうちに、スタッフの声が聞こえる。

「MIU-Cのみなさん、そろろそろでーす。ステージへお願いしまーす!」

「はーいっ」

 まずい。なんとかしなければ。

 俺はいっちょんに状況を伝えるべく、必死に声を上げた。

(トイレだ!トイレだトイレトイレトイレーー)

『え? トイレ? でももう本番だしそんな時間は……』

(ステージに行く前にトイレだ。みもりんをトイレに!みもりんをトイレに!)

 ええいこうなったら、何が何でもトイレに行かせてやる!

 俺は自分の意思で腸を下った。滑るように大腸へと向かう。いっちょんに便意を催させ、トイレに行かせる。そのとき一緒にみもりんを連れて行かせるのだ。

 俺は高速でいっちょんの腸を下り、大腸から直腸へと到達した。

『やだ。こんなときにトレイ……』

 いっちょんの心の声が響く。

(そうだ、いっちょん。トイレへ行け。スタッフに行ってなんとか時間を作れ。そして、みもりんも一緒にトイレに連れて行け。みもりんも一緒にトイレに連れて行け。みもりんも一緒にトイレに連れて行け。みもりんも一緒にトイレに連れて行け。みもりんも一緒にトイレに連れて行け。みもりんも一緒にトイレに連れて行けええええええーーっ)


「あ、あの、すみません、ちょっとトイレに!」

 いっちょんがスタッフに声をかけた。そして、みもりんにも。

「みもりん、トイレ一緒に行こ!」

 成功だ。いっちょんが駆け出す振動が伝わってくる。

「ちょ、ちょっと、いっちょん……」

 戸惑いつつも、みもりんも一緒についてきたようだ。よかった。これでみもりんは救われた。シュレディンガーのうんこは守られた。みもりんのうんこは、『不定』だ。

 いっちょんがトイレに駆け込む。バタンと個室のドアが閉まる音。ほとんど同時に、おそらく隣のトイレの個室のドアも閉まる。そして、聞こえてくる排泄音。


 ぶばっ!

 ぶびばぶばばびっ!

 ぶりぶりぶりぶりぶりぶりーーーっ!


 間に合ったーー。

 同時に、いっちょんの括約筋も広がって、俺も体外へと排出される。

 ぽちゃんっ!

 俺は、便器の中に落ちる。便座はいっちょんのお尻で塞がれていて、相変わらずまわりは真っ暗のままだ。俺は自分の姿を『観測』できない。いっちょんのうんこも『不定』のままだ。いっちょんがうんこをするかどうかはどっちでもいいが、とりあえず『不定』のまま、フラッシュバルブの音がして、俺は下水へと流された。

 良かった、みもりん。俺は、ここでも俺の役目を果たしたよ……。満足して目を閉じる。様々な汚物にまみれて下水管の中を流されながら、俺の意識は再びブラックアウトした。

 我が人生に、一片の悔いはなし。


     *   *   *


 気がつけば、俺は真っ暗な闇の中にいた。

かすかな蠕動を感じる。全身が粘膜のようなものに包まれて暖かい。まるで子宮の中にいるようだ。子宮の中にいたときのことは覚えてないし、物心ついて…………えっ?

 あたりを見回せば、未消化のワカメらしき欠片が見えた。

 まさか。

 俺は、またうんこに転生したということなのか? 

 今度は誰のうんこだ?

 そのとき、体内にくもぐった声が響いた。

「おはようございまーす。これ、差し入れなり。美味しいなりよ〜」

 この声は………うずらちゃん!

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