1章 チョコクリーム味の何か

 ようやくその結論に至ったとき、みもりんの声が聞こえてきた。

「わあ、美味しそう。ちょうどお腹ペコペコだったんだ。ひとつもらっていいですかあ?」

「あ、それはうずらちゃんからの差し入れだよ〜」

 この声はみもりんと同じくMIU-Cのメンバー、小鳥遊銀杏。通称『いっちょん』だ。そして、『うずらちゃん』というのも同じくMIU-Cのメンバー、天下茶屋うずらのことだ。

「ありがとう、うずらちゃん!」

 みもりんがお礼を言う。いい子だ。きちんとありがとうが言える。

「いいってことよ。遠慮なく食べるなり」

 うずらちゃんの声が応える。ラジオやイベントなどではいつも語尾に『なり』をつけるうずらちゃんだが、まさかプライベートな楽屋での時間でもつけていたとは。可愛い。うずらちゃん可愛い。

「うずらちゃんのお菓子のセレクトはいつも完璧ですからね」

 さらにもうひとり別の声が聞こえた。これもまたMIU-Cのメンバー、『しーぽん』こと楪葉しおんの声だ。

 そこで俺は気づいた。この4人ーーみもりん、うずらちゃん、いっちょん、しーぽんが一緒にいるということは。ここは、MIU-Cのライブ会場の楽屋ではないか。さっきスタッフらしき男性の声で「開場までまだ時間がある」と言っていた。テレビの収録なら『開場』とはいわない。たしか、俺が死んだ翌日がMIU-Cの名古屋ライブの日だったはず。俺もチケットを買おうとしたが、抽選に漏れて入手できなかったやつだ。


「それじゃ遠慮なくいただくね。どれにしよっかな〜…」

 みもりんの可愛い声が身体の内側から響く。

「……じゃあ、チョコクリーム味のこれっ!」

 みもりんは少し迷ったのち、何かはわからぬがチョコクリーム味を選んだようだ。咀嚼音に続いて、何かが胃の中に落ちてくるのを頭上に感じる。うんこの『頭上』ってどこだよ!というツッコミはさておくとして。

 やがてそのチョコクリーム味の何かも俺と同化し、うんこになるのか。

 そんなことを考えているところに、突然、それは来た。

 ぐるるる…と、激しい腸の蠕動。

 未消化のままの何かがどんどん上方から押し寄せてくる。

 どうやら、みもりんはお腹を壊したらしい。

 これはまずい。めちゃくちゃまずい。

 みもりんはこの後、ライブのステージに立つのだ。

 俺はいったいどうすれば。

 考えている間もなく、スタッフらしき男の声が聞こえた。

「MIU-Cのみなさん、そろそろでーす。ステージへお願いしまーす!」

「はーいっ」

 みもりんは可愛く返事をし小走りに駆け出したようで、その振動が腸に伝わってくる。衝撃で下方へと押し流されそうになるのを、俺は必死に耐える。ここは、うんこに転生した俺が踏ん張らなくてどうする。上方から押し寄せてくる未消化のあれやこれやに押し流されそうになるのを俺は必死で踏ん張り、耐えた。うんこに手足はないが、身体全体をできるだけ大きく広げて腸の内側から突っ張る感覚だ。

 が、しかし。

 腸の内壁はぬるぬるで踏ん張るには向いてない。ぬるぬると滑る。

 ぬるぬるぬるぬるぬるぬる。それでも俺は必死に耐える。みもりんのために。

 身体の外側から、「ワアアァァーーッ」という怒濤の歓声が聞こえてくる。

 イントロとともに音楽が始まる。

 曲はMIU-Cの代表曲、『スターライトメモリー』だ。

「スターライトメモリー♪ 私の身体を駆け抜ける〜♪」

 身体の内側に響き渡るみもりんの歌声。チケットの抽選に漏れたときはまさかこんな形で生のライブに参加できるとは想像だにしなかった。みもりんの生の歌声を、それもみもりんの体内、腸の中という特等席で聴くことができるとは。うんことして、ではあるが。


 みもりんの歌声にしばし聞き惚れ、じん…となっていると、ぬるりとまた腸の内壁が滑って押し流されそうになる。ダメだ。今はライブ本番まっただ中。こんなところで外に出るわけにはいかない。衆人環視の中、みもりんに恥をかかせるわけにはいかない。いや、そもそもみもりんはうんこなどしない。俺はうんこではない。シュレディンガーのうんこ。誰にも観測させてはならないのだ。


 激しいダンスと歌唱、スピーカーからの重低音がズンズンと身体中に響く。腸にも響く。みもりんの心拍もドッドッドッ!と早鐘のように打っている。腸の中はなんかいろいろ大変なことになっている。俺がここで踏ん張ってなければ、とんでもないことになっていただろう。だか、そんな俺の存在を抜きにしてもみもりんは凄い。お腹を壊して今にも漏らしそうなこの状態で何万人ものファンの前で歌い、踊っているのだ。なんというプロ根性。ただただ感服するしかない。ならば、俺もそんなみもりんのプロ根性に応えなければ。みもりんのアイドル生命は俺にかかっているといっても過言ではないのだ。なんとか、みもりんが歌い切るまで、MCの時間まで、衣装替えの時間までーー。

 だが、俺はみもりんの腸の中をずるずると滑るように少しずつ押し流されていく。やがて少し広がった空間に出た。視界の端に虫垂を感じる。小腸を抜け、大腸に入ったのだ。まずい。出口までもうそんなにない。早く。早く歌い終わってトイレに行くんだ、みもりん。俺もいつまで踏ん張れるかわからないーー。


 結局、その後、みもりんは3曲を歌いきり、愉快なMCまでこなして、衣装替えでバックステージに戻った。走るみもりんの荒い息使いが聞こえてくる。どうやらトイレに間一髪、駆け込むことに成功したようだ。

 よかった。間に合った。

 バタンと便座の蓋を上げる音。ぎし…と便座に座る音。そしてーー


 ぶばっ!

 ぶびばぶばばびっ!

 ぶりぶりぶりぶりぶりぶりーーーっ!


 豪快な音とともに、俺は一気にみもりんの体外に排出された。

 おそらくそこは便器の中。が、みもりんのお尻で塞がれて便器の内側は真っ暗なままで、俺は自分の姿を『観測』できない。まだ、『不定』の状態だ。

 フラッシュバルブの音がする。同時に押し寄せる濁流。俺は誰にも観測されないまま、あっという間に便器から下水に流された。

 良かった、みもりん。俺は、俺の役目を果たしたよ……。満足して目を閉じる。様々な汚物にまみれ下水管の中を流されながら、俺の意識は再びブラックアウトした。

 我が人生に、一片の悔いはなし。


     *   *   *


 気がつけば、俺は真っ暗な闇の中にいた。

 かすかな蠕動を感じる。全身が粘膜のようなものに包まれて暖かい。まるで子宮の中にいるようだ。子宮の中にいたときのことは覚えてないし、物心ついてから子宮の中に入ったことも…………えっ?

 あたりを見回せば、未消化のコーンの粒が見えた。

 まさか。

 俺は、またうんこに転生したということなのか? 

 また、みもりんのうんこか? それとも誰か別のーー

 そのとき、体内にくもぐった声が響いた。

「おはようございまーす。あっ、なにこれ美味しそう〜」

 この声は………小鳥遊銀杏! いっちょん!

 今度は、いっちょんのうんこに転生した、ということらしい。

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