転生したら、アイドルのうんこだった。

よこちん。

序章 シュレディンガーのうんこ

 トラックに跳ねられての転生だったなら、こんなことにはならなかったのかもしれない。俺の死因はあまりに間抜け過ぎた。参加したくもない会社の飲み会で、食べた料理にあたった。いや、あたって死んだわけではないが、元を辿れば原因はたぶんあの鯛の刺身だ。色が変だったし、妙に生ぬるかった。飲み放題つき三千五百円という学生みたいなコース。社会人が使うなよ。しかも部長の送迎会で。しょぼい。あまりにしょぼすぎる。しかしまあ部長の送迎会ごときでただでさえ少ない給料から自腹を切って高い参加費を払うのはそれはそれで辛くはあるのだが。というか、そのくらい会社持ちにはできなかったのか。なんなんだうちの会社は。などと心の中で毒づきつつ二次会のカラオケは断固として辞退し駅へと向かう帰り道、下腹部に差し込むような痛みと猛烈な便意が俺を襲った。まずい。繁華街のど真ん中で三十を過ぎたいい大人がうんこを漏らすわけにはいかない。俺は走った。たしか駅の地下街にトイレがあったはずだ。括約筋に力を込めロボットのような不自然な動きで階段を駆け下り、多目的トイレに飛び込んだ瞬間、足を滑らせ前につんのめった。スローモーションのように迫りくる便器。避けられないまま頭をぶつけて床に転がる。尻に生暖かい感触が広がる。漏らしたなこれは……と思いながら、意識はブラックアウト。

 それが、俺の転生までの顛末だ。


 気がつけば、俺は真っ暗な闇の中にいた。

 かすかな蠕動を感じる。全身が粘膜のようなものに包まれて暖かい。まるで子宮の中にいるようだ。子宮の中にいたときのことは覚えてないし、物心ついてから子宮の中に入ったこともないけれど、たぶんきっとこんな感じに違いない。

 それにしても、ここはどこだ? あたりを見回せば、半分溶けかけた人参の欠片が見える。真っ暗闇にもかかわらず、何故か見える。それは目で見るというより、脳の視覚野に直接信号を受けて感じるといった感覚。見回せば他にも未消化の、あれはたぶん乾燥肉の類い、ベーコンか何か。いずれも消化途中の食物たちが見えた。

 最初は下水の中を漂っているのかと思ったが、どうも違う。何かが違う。たしかに細い筒状の管の中に俺はいるのだが、下水管ではない。無数の絨毛がゆっくりと蠕動している。

 そこが、生き物の腸の中だと気づくまでに少し時間がかかった。

 どうやら、俺はうんこに転生したらしい。


 うんこに転生。

 大事なことだから、もう一度言ってはみたが、しかし。

冷静、かつ論理的に考えれば、うんこに視覚があるのはおかしい。いや、それ以前にうんこに自我があるのはもっとおかしい。ここは素直に生きたまま、たとえば熊や鯨に飲み込まれたと考えた方が理には適っている。が、トイレで意識を失ったという最期の記憶。昨今の流れ的に、『転生したら○○だった』という現象が現実に起きてもおかしくはない世の中的状況。それらを鑑みて、俺はうんこに転生したという結論に達した。

 

 だが、ここにひとつ問題がある。

 それは、『俺が転生したうんこは、はたして誰のうんこなのか?』と、いうことだ。

 暗闇の中、俺は耳をそばだてる。うんこに耳があるのかといえば、それはもう間違いなくないのだけれど、視覚と同じく脳に直接響いてくるような感覚で、まわりの音が聞こえるのだ。腸が蠕動する微音に紛れて、「おはようございまーす」という、くもぐったような声が聞こえた。どうやら俺はこの声の主の体内にいるらしい。

「遅くなってすみません。渋滞でタクシーが動かなくて〜」

 鼻にかかった甘ったるい声。まるでアニメキャラのような、どこかで聞いたことのある可愛い声。

 いや、待てよ。この声は。

 俺の大好きなアイドル、鈴音みもりーーみもりんの声ではないか?

 みもりんというのは、4人組のアイドルグループMIU-Cのセンターだ。最近はソロでの仕事も増え、バラエティからドラマまで幅広く活躍してる。初めての主演映画、人気ライトノベル原作の『マルチバースで転職したら幼なじみの部屋にある椅子の左前足でした』も公開されたばかりだ。

「おつかれさま、みもりん。急がなくても大丈夫。開場までまだ時間あるから」

 今度は身体の外側から声が聞こえた。

 やはり間違いない。俺がいるのは、みもりんの腹の中だ。

 つまり、俺は、アイドル・鈴音みもりのうんこに転生したというわけだ。


 が、そこまで考えて、俺は激しく戸惑った。

 そんなわけはない。あるはずがない。俺がみもりんのうんこに転生しただと? 何を馬鹿げたことを。転生自体はあっさり素直に受け入れられたとしても、それがみもりんのうんこへの転生となれば話は別だ。そう簡単には受け入れるわけにはいかない。

 何故ならば。

 みもりんはうんこなどしない、からだ。


 いや、待ってくれ。わかってる。

 いい大人の言うことではないのは十分過ぎるほどにわかってる。

 昔は本気でアイドルはうんこをしないものだと思っていた俺も、さすがに大人になればある程度は現実を受け入れる。受け入れるが、しかし。哀しいかな、それでもまだわずかな可能性を捨て切れずにいるのだ。もしかすると本当にアイドルはうんこをしないのではないか? みもりんはうんこをしないのではないか?

小学生の頃、クラスの好きな女子がトイレから出てくるのを見たときの衝撃は忘れない。他の女子はうんこをしても彼女だけはしないと思っていたあの頃のように、俺は今もみもりんだけはひょっとしたらうんこをしないのではないかと心の片隅で信じようとしているのだ。それはあながち荒唐無稽とは言い切れない。世界は広い。排泄しない生物だっている。たしか、蟻地獄は排泄しないんじゃなかったっけ。いや、違ったか。この前どこかの小学生によって蟻地獄のうんこは発見されたんだっけか。余計な発見しやがって、くそっ。

 とにかく、だ。

 要は、シュレディンガーの猫と同じなのだ。

 そう、観測するまでは不定。アイドルのうんこは誰も観測していない。だから、不定。トイレの扉を開け、便座の蓋を開けて中を見るまでは不定なのだ。それに、たとえ便座の蓋を開けたとしても、排泄されたソレはたぶん流されたあとだ。誰も見ることはできない。誰からも観測されない。観測されないまま下水に流される。もし、確定させるために開けるとしたらそれはトイレの扉ではなく、便座の蓋でもない。腹だ。アイドルの腹を開いて、中を見るまで不定ーー。

の、筈だったのに。

 その腹の中に俺がいるってのはどういうことだ。

 俺は本当にうんこなのか。うんこ以外の何かではないのか。腸の中の何か。たとえば寄生虫とか。あ、それはそれで嫌だな。みもりんは寄生虫など飼ってない。寄生虫以外の何かだ。それが何かは自分で観測はできない。だから、つまるところ不定なのだ。

 そんな屁理屈を自分で自分に無理矢理言い聞かせようとして俺は泣きそうになった。いいかげん無理筋な話だ。それはわかってる。認めよう。わかった。認める。みもりんはうんこをする。そして、俺はうんこだ。アイドル鈴音みもりのうんこだ。みもりんのうんこなのだあああああああああああーーーーーーーーっ!


 そう認めた瞬間、自分が転生した理由が天啓のように降りてきた。

 そうか。そうだったのか。みもりんのうんこに転生した俺に与えられた使命。

 それは、誰にも『観測』させないことだ。

 俺が『観測』されさえしなければ、みもりんはうんこをしないということになる。誰にも『観測』されないまま、ひっそりと下水に流され、消える。

 それが、みもりんのうんこに転生した俺に唯一、与えられた役目なのだ。

 任せろ、みもりん。俺はみもりんのために下水の藻屑となるーー。

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