②
光の先に飛び込んだ矢先、浮遊感が二人を包んだ。
爽やかな春の匂いが鼻をくすぐる。
眩しい月の光が、朧雲にうすく覆われた夜空を照らし、眼前に広がる。
天道が降り立つと、そこは黒々と広がる草原だ。
左手に森が鬱蒼としげり、右手には整備された道と、小さな灯りが点々と見える。
「こりゃ近くに人里があるな」と天道は目を細めた。
「あれ、外?」
「いや、真魂回録の中に侵入した。ここは
まだ溶けきってない、栄養にされちまった魂の記憶の領域だ」
「ここが?じゃあ犠牲者の記憶が再現されてるってこと?」
「そーいうこった。こりゃあ更に潜らねえとな。
記憶が濃い方……ま、この場合は人里があるほうだな、あっちに行こう。
真魂回録は過去を遡れば遡るほど、より深く潜れる。
この場合、栄養になってる魂たちの記憶を辿って、記憶のつなぎ目を探す手が一番てっとり早い」
「……他人の記憶を盗み見るみたいで、なんかヤだなあ」
「なあに、他人の着替えをうっかり見るようなもんだと思えばいい。付いてこい」
先に歩き出す天道。正太郎は不服そうに溜息をつき、後を追う。
広い畑がどこまでも広がり、雪帽子を被る山々が月明かりに照らされている。
しばらく歩くと、田舎の小さな村が見えてきた。
だが奇妙な事に、家屋はどれもレンガや石造り、木造のもので、まるで西洋のお伽噺
に出てくるような建物ばかりだ。
村に続く道に建てられた看板には、アルファベットで単語が書かれており、読み解くことが出来ない。
「何て書いてあるんだろ、これ?」
「あん?……ドイツ語だな。ハノーヴァーのナントカ村、って書いてある」
「読めるの?」
「ちょっとだけな。ともあれ村ってことは間違いねえ」
二人は街道を進み、村の入り口となる門をくぐった。
おざなりに舗装された道を歩き、周囲を見回す。
村は活気に満ちていて、村人らしい姿が多く見受けられた。正太郎たちに気づく様子はなく、彼らは生活の営みを繰り広げている。
所詮は記憶が見せる過去でしかない、ということだろう。
「うわ、結構人多いなぁ。にしても格好が……なんか、変わってるね」
「時代錯誤ってやつだな。日本じゃ見ねえ格好だ」
彼らの服装は古めかしく、小綺麗で、黒を基調とした衣服を着た者が多いという印象だ。
不思議なことに、月明かりと、設置された僅かな松明ばかりが光源だというのに、彼らはこの暗がりを不便に思うことなく活動しているようだ。
夜だというのに畑を耕したり、眠る牛や豚たちの横で厩舎の掃除に勤しんだり、井戸端会議に興じている様子。
「あの人たち、こんなに真っ暗なのに平気なのかな?」
「そりゃあ平気だろうよ。あいつらの顔、よく見てみろ」
「耳?……あっ」
正太郎は、すぐ脇を通り過ぎていった農夫の横顔を見て、はっと目を見開く。
その肌は青白く、その耳は尖り、開いた口には鋭利は牙がにょっきり覗いている。
それも一人二人ではない。
全員がまさに、吉備津山ムツのような、鋭い牙や死人のような青白い肌の持ち主だ。
「まさか、この人たち……全員吸血鬼!?」
「ははぁん、昔聞いたことがあるぜ。
世界各国には、吸血鬼だけで暮らす
ここもそういった場所の一つなんだろうよ」
やにわに、建物の一つから怒号が上がった。
そちらを見れば、人だかりが建物の出入り口をぐるりと囲い、怒号や歓声を上げている。
人だかりが囲っているのは、一人の吸血鬼らしい男だった。
着ている上着はぼろぼろで、黒ずんだ汚れが染みついており、浮浪者と見まがうような様相だ。
男が蹲るその足元には、彼の服装には不釣り合いな貴金属類が散らばっていた。
人だかりの吸血鬼たちが男に蔑む視線を向け、ひそひそ話し合っている。
「あいつ、またやりやがったな」
「人里に降りて追い剥ぎとは、救えないヤツだ」
「その上返り討ちだと。弱っちいくせに、生前の悪癖も治せないまま、人里に馴染もうとした結果があれだ」
「救えないやつだねえ。いっそ日晒しにしてやった方が情けってもんだ」
そのうち、建物の中から、数人の男達が出てくる。
蓄えた口ひげや立派な身なり(に正太郎の目には映った)からして、村の中でも立場が高いほうなのだろう。
彼らは貴金属類を拾い上げると、重たそうな袋につめ、男に無造作に放った。
「アダルウィンよ。死の恐怖を分かち合い、我らの真祖より同じ血を分けし者よ、卑しくも昼の民たちから命と財産を奪った罪人よ。
お前の罪を聞いた。生前と変わらず、山賊めいた卑劣な行為に手を染めているそうだな。
その罪科は銀の十字架を背負うよりも重く、染みついた私欲の咎は死して尚その魂から剥がれきらぬとみた。
尊き十の祖先らが立てた夜の立法に従い、貴様に罰を下す。
盗んだ宝一つ一つを人里に返し、盗んだ宝の数の年数だけ、人に仕えよ。
己の悪業を反省し、穢れた心を禊ぎ、高潔な魂となるまでは、再びこの地に戻ることは許さん」
アダルウィンと呼ばれた男は、その言葉を聞くと項垂れ、震える手で袋を持ち上げた。
そして冷ややかな目を向ける吸血鬼たちの輪を抜けていき、背中を丸め、村から出て行く。誰もそれを追う者はいない。
姿がすっかり見えなくなると、人々は一斉にその場を離れていく。
厳かな葬式よりも、冷たく緊迫した時間だった。正太郎は息も忘れて、その光景に見入っていた。
直後、村人たちや町の景色が一変する。少しずつ彼らは黒い墨汁のように溶けていき、景色が黒一色に塗り潰されていく。
「あれっ!?け、景色が……」
「多分、あの盗人吸血鬼の記憶なんだろうな。
この村を出て行ったから、もう記憶としての役割を果たして消滅していってるんだろ。あいつに付いていくのが一番らしいな」
村に背を向けて、追い出された吸血鬼の後を追いかける。
正太郎もそれに倣いながら、黒に塗り潰されていく景色を一瞥した。
消えゆく過去の残滓たちは、無機物的に、責め立てるような侮蔑の視線で、男の背を突き刺し続けている。
ずらりと並ぶ能面のような表情は、不気味でもあり、どこか物悲しくも感じられた。
ふいっと視線をそらし、天道の隣に小走りで駆け寄る。
「なんか、意外だね。吸血鬼ってもっとこう、一人で自由に生きてるもんだと思ってた」
「ま、その辺は連中も、人間と大差ないさ。
それなりに仲間がいりゃあ、ルールは必要になるし、上下関係も出来る。
お互いに平和に生きていくためには、仲間だろうと厳しい罰を与える。
元はヒトだったくせに、ヒト以上の生命体、っていう矜持がある分、連中の方が規律にゃ厳しいぜ」
「ふゥン」
男はとぼとぼ森の道を、ひとり歩く。
その後ろを着いて歩く、正太郎達の背後の道は、用済みとばかりに黒に塗り潰されて崩れていく。
月明かりだけが、次の記憶への旅路を照らす道標だ。
次第に、男は深い森を抜け、別の明るい灯火の群れの方へ向かっていく。
天道は「記憶の繋ぎ目だ。行くぞ」と正太郎の手を掴み、光へと走り抜ける。
男の隣をすり抜ける時、彼は不貞腐れたように笑って、呟いた。
「次はうまくやればいい。今日を捨てても、明日があるさ」
◆
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