⑩
朦朧とする意識の中、飛鳥は目をこじ開ける。
鼻腔に固まった血の臭いが溜まり、今にも吐きそうだ。
力強い腕に抱かれていると気づき顔を上げると、神楽の青い瞳と目が合った。
「お、気づいたか。大丈夫かい嬢ちゃん」
「なんとか……あの、ここは」
「おたくの二階。そこの白衣先生が「外に出るよりかここに籠ってたほうが安全」っていうからさ」
向けられた視線の先には、今鵺幹人がいる。
きょろりと部屋を見回せば、そこは「秘密の書庫」。
──先程正太郎たちが紛れ込んだ、大量の図書が保管された異空間である。
案内人となった幹人は、怯えて縮こまる双子達をあやしつつ、意識を取り戻した飛鳥に一礼した。
「すみません、許可なく一般人をここに通してしまいました。
ここは外部から攻撃を受けることのない空間なので、避難所としては最適かと思いまして」
「……いえ、構いません。非常事態ですし。
神楽刑事と追風刑事ですよね。兄の公太郎から話は聞いています。
兄が身分を明かした方々なら、信用に足る方ですから」
「ど、どうも……」
三好は妙な気分で周囲を見回した。
どう言い訳しても、現実的な場所ではない。
夜空と草原、光るキノコの椅子に、所狭しと並ぶ木製の巨大な本棚の列。
遊園地のファンタジックなアトラクションのオブジェみたいだ。
公太郎が自らを「魔術師」と名乗っていたことを思い出し、「魔術師の家ならこういうものなんだろうか」と自らを納得させないと、目まぐるしい非現実的な光景を前に、頭がおかしくなりそうだ。
そしてこんな状況だというのに、神楽刑事は変わらず冷静さを顔に貼り付けたまま、ハンカチで飛鳥の顔の血を拭う。
「確か、妹の……飛鳥さんだっけか。怪我の方は?」
「ああ、ご心配なく。額は血が派手ですが、傷そのものは浅いですので。
それより外の状況は?」
「自律式結界が破壊されました。その際に家屋も損傷してしまい、無事なのは二階エリアの二重結界のみです」
今鵺が答えると、飛鳥は「そうですか……」と少し動揺を交えた声で相槌を打つ。
三好は唇をもにょりと曲げて「あのう、結界って?」と神楽に問う。分かるわけもないのだが、聞かずには居られない。
すると本棚から本が一冊、我先にと飛び出し、三好の後頭部をべしり!と叩く。
「あいたぁっ!?なんすかいきなり!」
「今の質問に答えてくれるつもりらしいぞ」
神楽は宙に浮かぶ本を手に取った。「結界術の基本」と書かれた手書きの本だ。
勝手にぱらぱらと本がめくれていき、白紙のページに文字が浮かび上がる。
──結界とは、内側にあるものを外界から保護するための魔術的障壁を指す単語である。
条件さえ満たし、術者の能力次第では、堅牢な要塞となり得る。
結界は通常、保護すべき対象……つまりは人間の情報を識別し、それのみを通すようプログラミングされている魔術である。故に人間とは異なる情報体である、怪異や妖魔などの侵入者は、決して通すことがない。
中でも自律式結界は、術者の魂をベースとするため、より高度かつ複雑な魔術で、内部に別の結界術を付与したり、異空間を拡張することも可能だ。
だが結界術は所詮プログラムである。故に、弱点もあれば抜け穴もある。
人間と非常に酷似した生命体情報や、シンプルに結界を崩落させるだけの破壊力などがその一例だ。
それらを前に、結界はその役目を失ってしまうのである。
「……自律式結界を打ち破るだけの能力が、あの吸血鬼にあったとは誤算でしたね」
「あのう、訳知り顔のところ申し訳ないんですけど、あの吸血鬼ってそんなに強いんですか?」
「おそらくは」
飛鳥が自らの額の切り傷を拭うと、その傷口が一瞬にして消失する。
「あの吸血鬼は、おそらく覚醒して間もない暴走状態です。
そうした吸血鬼は、自らにストッパーをかけることなく活動します。
瞬間的な火力であれば、この結界術を破壊することも不可能ではないかと」
「なら、あんなのを相手してる彼らは、かなり危険な状態なんじゃ……!?」
「だが対抗できる手段がない。装甲車両でもあんなのを相手できるか難しいぞ」と神楽は冷静に一言を挟む。
「とあらば、力づくで消滅させる手段は現実的ではありません」
「他に策があるんですか?あんなのを倒せる方法なんて……」
「一つだけ、あるにはあります」
飛鳥は重い声色で告げる。
またも外部から衝撃音が轟き、ぱらぱらと星屑の埃が舞い落ちる。今鵺は僅かに眉間の皺を寄せ、しがみつく子供達の頭を撫でる。
「吸血鬼と契約し、強制的に隷属させます。
幸い相手は、自身の能力を過信して、思うさま暴れている。
でも暴走状態は長く続きません。いずれは隙が出ます。そこを突くのです。
最も、あんな暴れん坊を相手するとなると、最低一人は犠牲になる覚悟が必要やもしれませんが」
◆
高笑いが響いている。
中庭はほぼ半壊状態にあった。抉れた地面に黒い血溜まりが揺蕩い、爆散した虫の残骸が浮くさまは、地獄絵図そのもの。
その血溜まりを踏みしめ、正太郎はムツからの猛攻を必死に弾いていた。
一撃ひとつずつを打てど返せど、敵は疲弊するどころかさらに高揚し、攻撃はどんどん重くなっていく。
「嗚呼たまらん!血の巡る音、焼ける炎の色、汗の匂い、刀から伝わる体の悲鳴!
生きてる、って感じするなあ!たまらんわあ!」
「(この変態、いつになったら隙を見せるんだ……!?)」
「おうおう、焦りが顔に出よるぞ、餓鬼ぃ。子供は風の子やろがい、根性見せぇや!」
にたりと笑い、ムツの腕に無数の虫が集まり巨大な刃となる。
その刃が横薙ぎに払われ、咄嗟に刀で受けるも、正太郎の体は吹き飛ばされる。
刀は刃こぼれしても、すぐに回復するが、正太郎の体力はそうは行かない。
掠った斬撃が頬を、脇腹を、脹脛を斬る度に、体の中の血が吸われて気怠さを覚える。
「(クソッ、人に押しつけておいて、天道は何やってんだよ!)」
視線を彷徨わせると、天道は屋根の上にいた。
目を閉じて両腕を振り回し、銀色に鈍く輝く奇妙な鎖を手に巻いて、複雑な「印」を結んでいる。
集中しているのか、眼下で何が起きているかも把握しているか怪しい。
はっと視線を戻した直後、「どこ見てんだ!」とムツが声を張り上げ、回し蹴りが炸裂。
受け身をとれなかった正太郎は腹にもろに喰らい、地面に叩きつけられる。
「げぶぁっ!がは、げほっ、ぐふぁっ……!」
「ゲロ吐いてグロッキーになっとんなあ、ダボが。オラ起きろ!」
「うぐっ!?」
悠々と歩み寄ると、ムツは正太郎の長く白い髪を掴み上げ、無理矢理立たせる。
間髪入れず腹に拳をめりこませ、また正太郎は「がぁっ!?」と悲鳴を漏らし嘔吐する。
びちゃびちゃと血と吐瀉物が混じったものが足元に散らばり、正太郎の両足がガクガクと震えた。
「くくく……そないにカワイイ顔されると、意地悪したくなるやないのォ。
ただ吸うのもつまらんわ。ここで「吉備津山様の奴隷にしてください」って言えたら、殺さんといてやってもええでぇ?
その代わり、手足捥いでくくりつけて、血液樽にしてちまちま一生吸い尽くしたるからさぁ。
あぁ、舌噛むなんて自決も許さんからな。歯も丁寧に全部抜いたろうねぇ。
安心しぃ、これでも世話上手やねん。ゲロみたいな飯毎日食わせたるからな、きゃはははっ!くふふ、ぐふっ、キャハハハアッ!」
「こ、の、変態ッ……手を、離せッ……!誰が命乞いなんかするかッ……!」
「口の利き方なっとらんなあ!
腕の一本でもへし折って黙らせたろか、生臭坊主ぅ!
ほらほらぁ!いーのちごい!いーのちごい!可愛くおねだりしてみんかい!」
「あ、ああああっ!ぐうッ、離せッ、嫌だッ!」
ぎりぎりと、掴む腕に力がこもる。腕が悲鳴をあげ、激痛に正太郎の喉から苦痛の声が漏れ出る。
相手は絶妙な力加減で、正太郎を嬲っているのだ。
無様な命乞いで自分に媚び諂う様を見たいあまりに、悲鳴を上げて白目を剥く子供の顔を楽しみ、殺す以外の楽しみを見いだしている。
──だからこそ、反応しきれなかった。
印を結び終え、
ほんの瞬きの間に間合いを詰め、銀色の鎖を巻いた拳が背後に迫る瞬間にも。
その拳が心臓を貫く瞬間にも。
「が、あッ……!?こ、の、ガキ……!」
「お楽しみの最中失礼!その薄汚ぇ魂の真髄、表に引ずり出してやる!
正太郎、歯ぁ食い縛れ!此より先は地獄、記憶と感情の渦巻く渦潮だ!
直後、中庭の血という血、散らばった肉片や虫の残骸がムツの元へ集結する。
悪臭放つ血は赤と黒で彩られた、水の竜巻となり、辺りを飲み込む。
そして身構える暇など与えず、正太郎を、天道を、そしてムツを引きずり込んでいった。
◆
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