⑨
時に、正太郎は失念していた。
飛鳥の帰宅が、そう遅くはならないことをすっかり忘れていたのだ。
店の惨状をそのままにして、長時間居なくなれば、帰宅した叔母がどう考えるかなどと、頭を巡らせる余裕もなかったのである。
尤も、すぐ帰ってきたところで、破壊されたドアや窓をどうにかする手立てなどないが。
「どこ行ってたんですか!心配したんですよ!」
「ご、ごめんなさい。色々あって……」
「部屋は半壊、ドアと窓は粉々、商品は滅茶苦茶!
色々、の一言で片づけていい話じゃありません!」
「本当にまったくその通りで!」
結果、帰宅して早々、真っ青になった飛鳥の怒号を一身に受けることになった。
騒ぎを聞いてかパトカーも到着しており、飛鳥たちが対応している最中に呑気に戻ってきてしまったのが運の尽き。
警官と飛鳥から質問攻めに遭い、どう誤魔化すかで頭をフルスロットル回転。
「変な男に攫われそうになり、必死に抵抗して逃げ回っていた」と言い訳することでその場を凌いだ。
別に半ば嘘はついていない。
殺されそうになったか、攫われかけたかの違いだけだ。
誘拐と聞いて更に事情聴取を受け、更には怪我も負っていたので(といっても擦り傷程度だが)、病院にまで連れ回された。
「入院するほどの怪我でもない」という医者の言葉で、やっと飛鳥が納得し自宅に帰ることが出来た。
解放されるころには、とっくに夜の帳が降りていた。
「当面は一人きりになることは禁止します。
変質者が出たなんて、おぞましい。
貴方が攫われたことを考えると、寿命が縮まりますよ」
「はい……」
「私もつとめて、家に居られるようにしますので。
良いですか、犯人が捕まるまでは、私か公太郎さん、でなきゃ射羽先生のもとにいるんですよ。約束ですからね」
「わ、分かりました……」
飛鳥には、本当のことを話すべきか迷った。
彼女が公太郎と同じ側の人間かどうか、まだ判断に悩む。
関係性を察するに兄妹なのだろうが、何も事情を知らない一般人である可能性も捨てきれない。
正太郎の心境を知ってか知らずか、飛鳥はそれ以上は問いただしてこなかった。
ただ、「無事に帰ってきてくれてよかったです」と安堵の声を漏らし、正太郎をきつく抱きしめた。
隠し事をしたことに良心が痛むが、あの一連の騒ぎを信じてもらえる可能性が低いことを考えると、ムツや天道なる男たちの話をすることはどうしても躊躇われる。
シンもそれは分かっているのか、正太郎に耳打ちした。
『公太郎に相談したほうが良さそうだな。彼奴なら何か知っているはずだ』
「うん。……おじさん、いつ帰って来るかな」
しかし、期待に反して公太郎は戻ってこない。
遅めの夕食の時間になっても、風呂に入っても、歯磨きをしても、やはり戻ってこない。
飛鳥が一度電話をかけた後、「公太郎兄さんは、今日は戻れないそうです」と告げ、家事の続きに入った。
タイミングの悪いことだ。だが連絡を取れた、ということは、少なくとも彼も元気だということ。
明日には戻って来るだろう。そう信じ、疲れた体に鞭打ってベッドにもぐりこむ。
体は疲労を覚えているというのに、中々寝付けなかった。
「なんだったんだろ、アイツ……」
『吸血鬼もどきか?それとも』
「天道ってやつ。あいつ、僕らのことを知っているみたいだった。
何者なんだろう?」
吉備津山ムツ。吸血鬼。連続殺人事件。天道。怪異狩り。討伐人。
考えれば考えるほど、突飛な発想が浮かんでは沈み、また浮かんでは弾けて消える。
彼等は何者なのか。なぜ吉備津山は我が家を襲ったのか。
天道は何故自分を知っているのだろう。
大山の名が泣く、とはどういう意味を持つのだろう。
色々聞きたいことはあったのに、彼には結局撒かれてしまった。
『あの吉備津山のヤローを先に捕まえるなり倒せたら、ちったあお前を見直して、何か話す気になるかもな』
去り際に言い捨てた言葉が、耳の中で何度も循環する。
明らかに馬鹿にしていた。
手も足も出なかった自分を嘲笑い「弱いお前には無理だ」とばかりに見下していた。
……なぜだろう。天道の小馬鹿にしたような笑顔を思い出す度、苛立ち、向かっ腹が立つ。
初めて会うはずなのに、一方的に相手は自分を知っている。
もどかしさと、腑に落ちない焦燥ばかりが腹の底をちろちろと舐めるような不快感。
やり場のない感情を拳に込めて、思わず枕にばすんっ、と叩きこんでいた。
「んあーっ、もう!なんっど思い出しても腹立つ、
「枕に八つ当たりするな、可哀想だろう。枕が」
「じゃあ何に当たればいいのさッ!」
「腕立て伏せか腹筋でもして寝ろ、物に当たる癖がついたら後々辛いぞ」
「くそーっくそっくそっくそーっ!見つけたら絶対げろげろに吐かせてやるんだからなーッ!」
「なんだかな、今日の
「変身してから妙に苛々してんの!なんかもう、誰でもいいから殴りたいくらい!」
「ふうむ……」
怒りの赴くまま、正太郎はベッドから転がり落ちて、そのまま腕立て伏せを始めた。
間抜けなことこの上ない光景だが、体を動かすなりしないと、発散先のないまま眠る気にすらなれない。
普段体力づくりなどしてない体では、せいぜい30回が限度だというのに、この日の正太郎はどちらも50回をきっちりこなしても眠気が収まらないほどだった。
しまいにはベッドの上で自転車こぎをしながら「アイツ、まじで、ホント、ムカツク!」と喚き散らし、飛鳥に「早く寝なさい!」と叱られてホットミルクを飲まされるまで、「癇癪」が収まることはなかったのだった。
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