⑨
正太郎の父サトルは、メモ魔だった。
思いついたこと、新たに知ったこと、その日に買うべきもの、家の家事のこと、スケジュール。全てきっちり書き込むタイプであった。
本人曰く、「僕は物覚えが悪いから、ちゃんと自分のために分かりやすくメモしておくんだ。後で読み返した時に、自分でどう考えて書いたか思い出せるだろう」とのことだった。
幼い息子の目には、角ばった綺麗な字でメモを取る父親の姿は、かっこいい理想の大人に見えた。
憧れの父を真似て、正太郎も常に、メモ帳と鉛筆を持ち歩いている。
公太郎に新しく買ってもらったばかりのメモ帳には、早くも正太郎の字が、十数ページにかけてギチギチにつまっていた。
「それじゃあ、復習といこうか。まず、魔法と魔術の違いは?」
「はい。魔術は周りにあるエネルギーに対して、術式という、働きかける命令や計算を使います。
魔法は、自分の中にあるエネルギーを使って、自分の思い通りに命令します。でも、魔法を使える人は殆どいません」
「正解だ。では、魔術師と超常者と魔女の違いは?」
「ええと、ええと……あった。
【魔術師】は、魔術を使って怪奇現象や怪物と対決する人たちのことです。社会のルールを守るために活動する人達が大半です。
【超常者】は、魔法を使える人達のことで、魔術師より力が強いけど、寿命は魔術師より短い人たち。主に魔術や魔法を研究したり、魔術師を育てたりします。
【魔女】は、魔術師や超常者と違って、魔術も魔法も使える存在です。ルール違反の存在だから、数えるほどしかいません。
魔女というけど、性別は関係ないし、分かっていないことが多い。災害の原因は大体魔女……で、合ってますか?」
「よく出来ました。君は飲み込みが早いな。
あとは知識と語彙力……まあ、言葉の違いや意味を沢山飲み込むうちに、もっと理解力は高まるだろうね」
正太郎は自前のメモを見つめて唸る。
射羽から教わったことの全てを紙に書き出してみると、あまりに情報量が多い。
父の言葉を思い出す。――理解の基本は、とにかく知識を自分から知りたい、分かりたいと思う気持ちが大切だよ。
メモ帳をぱたむと仕舞った矢先、ばん!と激しく書斎の扉が開いた。
「おかーしゃん、おかーしゃん!お話おわった~?」
「しょうちゃんと遊びたい~!おかーさんばっかりずるい!」
「ああ、もうこんな時間か。長い時間、拘束してしまったね」
双子たちが、正太郎の両腕をそれぞれホールドする。
射羽が書斎の時計を見る。既に二時間以上も話し込んでいたようだ。
時刻は昼すぎ。そろそろ昼食にしようか、と射羽が言い、双子がわーいと正太郎の手を掴んで大バンザイ。絵面はブラックメンに攫われる宇宙人。
すると双子が「あ!」と揃って声を張り上げた。
「おかーしゃん、おしょとで食べよ!」
「ラーメン食べたい、ラーメン!」
「ラーメンか、いいね。正太郎くん、どうだい?」
「あ~……いえ。僕、そろそろ家に戻ります。家にお昼ごはんあるだろうし……」
「えー!一緒に食べようよー」
「そうだよ、この町のラーメン、美味しいんだよ~」
結局、正太郎は押しに負け、ラーメンを食べることにした。
双子に手を繋がれたまま、自宅までの道を歩いていた。
射羽の前を三人で横並びに歩く。昼間故にか、人はあまりいない。
「三人とも、前から人が来たら道を譲るんだよ」
「はあい」
「はあい」
もうすぐ小学五年生なのに、女の子と手を繋ぐなんて。
大変気恥ずかしいが、しゅうも真尾も「しょうちゃん手あったかいね~」などと呑気にニコニコ笑う。
春の日差しが真上から差し、木々が影のアーチをつくる。
その下を歩くうち、通行人の若い男とすれ違った。
フードを被っている。ジョギングの途中なのだろう。
双子は「どっちが前になる?」と言い合いながら、手を繋いだまま一列になって「お先にどうぞ」とニコニコ笑う。
青年は「ご兄弟ですか、可愛いですね」と愛想よく笑ってすれ違った。
平和だな、と正太郎は、青年の背を見送り、両手の掌のあたたかさに、そう思った。
「しょうちゃん、ラーメンなにがすき?」
「……とんこつ塩ラーメン」
「しゅうはねー、みそ!」
「真尾もみそ!いっつも半分こするんだー」
「それ、お腹すかない?」
「二人とも、あんまり食べれないからいーの!」
「それに、いっしょに食べると、二倍おいちい!
今日はしょーちゃんもおかーしゃんもいるから、四倍、ううん、八倍おいちい!」
「なにそれ……」
「食べてみれば分かる!」
三人に連れて行かれた先は、こぢんまりしたラーメン屋だった。
昔ながらの風情が漂い、カウンターとテーブルが十席ずつある程度。
メニューにはラーメンがいくつかと、チャーハンやら唐揚げ、おつまみだらけのサイドメニュー、お酒にジュース、シャーベットにフルーツの盛り合わせ。
射羽は「気負わず沢山食べたまえ」というと、食券を買い、店主に手渡す。
無口な店主が作った、麺の固めのラーメンには、二枚多くチャーシューが乗っていた。
家族以外と一緒に食べるラーメンは、今までとは違う、不思議な美味しさがあった。
「ねえしょうちゃん、明日も遊ぼ!」
「あしょぼあしょぼ!お外行こ!」
「えっと……うん。また明日」
双子はご機嫌らしく、終始にこにこ笑っていた。
結局、自宅まで送ってもらい、手を振って別れを告げる。
「また明日」。その言葉が不思議と、心にじんわりしみた。
麗らかな日差しと、元気な一家の元気な空気に当てられたから、だろうか。
己をじっとりと見つめる、湿った視線と殺気に、正太郎が気づくことはなかった。
〇
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