4話 深更と天明
①
〇
新みらいヶ丘市は山が多い。
かつては鉱山として有用な鉱石が採掘され、閉山した今も再開発により住宅街として機能している土地も多い。
中には、明治時代から保存され続けている洋館なんてものも存在している。
市内北西部に位置する、旭川洋館などがまさにそうだ。
山の中腹、崖っぷちに立つ洋館は、眼下に大きな河川を望むことができ、朝日を一番に拝める絶景スポットだ。
しかし、旭川洋館の周辺は落石事故も多く、一時期は事故の名所として悪名高くなっていた。
いつしか子供達の間では「洋館に幽霊が出る」「石を落とす化け物がいる」などと噂されるようになっていた。
今年の二月を以て、
「芙美様、おはようならぬ、おそようございます」
「既に起床時刻を十五分は過ぎておられますよ。さあ早くお顔を洗って」
洋館の二階、東部屋。そこが芙美の寝室だ。
窓という窓を分厚い遮光カーテンが覆い、朝の日差しを阻んでいる。
燕尾服の青年と嫋やかなメイドが、天蓋付きベッドに歩み寄り、一斉に掛け布団を引き剥がす。
小さな黒髪の普遍的少女は、くるんとハムスターのように丸まって、シーツに縮こまっていた。
「……あと5分……」
「ベタな寝言にございますね、芙美様、かっこ微笑かっことじ」
「仕方ありません。姫雪、お湯とタオルを持ってきなさい」
「はあ、芙美様でもないくせに命令しないでください、かっこ怒りかっことじ」
「立場は私のほうが上だ。とっとと行け」
縮こまった芙美は枕を頭にかぶり、是が非でも布団から出ないという断固たる意志を見せつけた。
執事は鼻を鳴らし、「失敬」と一言断って枕を剥ぎ取った。
「ああん、起きたくないわ」
「我儘をおっしゃらないで。もう朝食の時間を過ぎているんですよ」
「朝ごはんなんか要らないわ。一時間寝かせて……」
「お体に障りますよ。三食きちんと召し上がってくださいったら」
「お湯を持ってきました~」
メイドの姫雪は、湯気が立ち上る熱湯を並々注いだ桶を持ってくる。
水面をちらとも揺らさないまま駆け寄ると、一度サイドテーブルに置く。
タオルを熱湯につけてぎゅうっと絞り、桶の隣に添え置くと、姫雪は桶を掴んで流れ作業の如く、熱湯を執事に浴びせた。
「おぼぎゃあッ熱ァァアア!?」
「あらあら愉快なお悲鳴。芙美様、素敵な悲鳴でしょう?かっこばくしょうかっことじ」
「何をするこのサイコパスメイドッ!私じゃなかったら重度の火傷で病院行きだぞ!」
「ええ、なんでピンピンしてるんですかあ、90℃の熱湯なのに。この人こわ~い、かっこ棒読みかっことじ」
「当然のように熱湯を他人の頭におっ被せるお前の方が怖いわッ!」
「んもう、頭の上で痴話喧嘩しないでちょうだい……」
「痴話喧嘩ではありませんッ!」「痴話喧嘩じゃないですう」
カラスの喧騒よりも喧しい二人の間を這い出るように、芙美はやっとベッドから降りる。
主人が起きたとみるや、口喧嘩をしながらも、メイドは服を着替えさせて髪に櫛を入れ、一方で執事はタオルで芙美の顔を拭き、今日一日履く合わせの靴を選んで履かせる。
この屋敷に住むようになってから、芙美の一日の始まりは、概ねこんな賑やかさから始まる。
頭上でねちねちと繰り返される口喧嘩を右から左に受け流し、芙美はぼんやり、今日の朝ごはんはサンドイッチがいいわね、などと考えていた。
「芙美様。本日は来客がありまして、そのう」
「来客?」
「天道と名乗る例の不遜者です。
芙美様に御用があると言うなり、食堂を占拠しておりまして」
「私が呼んだんだから、そりゃあ来るでしょうね。
いいわ、一緒に朝ご飯にしましょうか」
「はあ……しかし芙美様。
あのような腕っぷしだけの下賤な男と食事をなさるなど、如何なものかと……」
「あら
執事・宗城は渋い顔を浮かべ、それっきり黙り込む。
食堂に向かうと、広い空間の中央に設置された豪奢な長机の一席に、一人の少年が座していた。
その表情は、不機嫌極まるといったところで、芙美が入ってくるなりぎろり、と睨みつけた。
「おはよう、天道」
「遅ぇぞ、芙美。テメェが起きないせいで、俺ァそこのクソ執事達に風呂ん中突っ込まれちまってさあ」
「ああ、道理でいい香りすると思った」
「芙美様にお目通りするというのに、小汚い恰好で会わせると思うのか」
「風呂は嫌いだ」
宗城が睨み返す。芙美はいつもの自分の席に座ると、「朝食にしましょうか」と笑う。
朝食にはぶりの照り焼きにだし巻き卵、ホウレンソウのごまあえ、切り干し大根、湯豆腐、白米などといった和食であった。
いただきます、と天道は手を合わせるや否や、もりもりと平らげていく。よく食べること、と感心しつつ、箸でちまちまとつついていく。
「時に天道、さっそく仕事をひとつ、頼まれてくれないかしら」
「ああ、この間そんなこと言ってたな。良いぜ、退屈だしよ」
「この町に害虫が入り込んだわ。それを懲らしめてほしいの」
芙美が目配せすると、宗城執事が打ち合わせしたかのように手を鳴らす。
控えていたメイドの一人が恭しく小さな封筒を天道へと手渡す。箸を咥え、天道は封筒を開けた。
中には写真が数枚入っている。顔色が悪く、髪は短く、落ち窪んだ目をした若い男だ。いずれの写真の中でも、背を窮屈そうに曲げ、カメラを睨んだり、明後日の方向を見ていたりしている。
「誰だ、こいつ」
「近頃、新みらいヶ丘に侵入してきた余所者よ。名前は知らなくていいわ、顔だけ覚えなさいな」
「ふうん。こいつが邪魔なのか」
「外じゃちょっとした有名な連続殺人鬼なんですって。
経緯はさておき、吸血鬼化して、町の子たちを片っ端から食い荒らしているの。
私としては、低級な吸血鬼風情が粋がって暴れるのが許せないわけ」
「強いのか?こいつ」
「肩慣らしにはなるんじゃないの。大人しくさせるか外に追い出してくれるなら、生死は問わないわ」
「あっそ。でも、この町の魔術師たちに倒される方が先じゃねえの」
「”血”の元が問題なのよ。あの愚鈍たちじゃ、ちょっと手を焼くかもね」
やや憂鬱げに、芙美はぷつぷつと湯豆腐を食べにくそうについばむ。
天道は既にすべて平らげて、おかわりまで要求しつつも、そわそわと芙美のだし巻き卵を見やる。
暫し悩んだものの、芙美はだし巻き卵の皿を天道へと押しやった。
天道の表情がぱあっと明るくなる。
「血の元ねえ。誰だ?」
「”真祖”の一柱よ。鬼だと聞いているわ」
「……ああ、そりゃあ。並の術師じゃ、手を焼くだろうなあ。
お前、”エンターテインメント”ってやつを分かってんじゃねえか。陰険だけどよ」
「一言余計よ。貴方の腕を試すって意味もあるの。引き受けてくれるわよね?」
言葉の意味を理解し、天道はにやにや笑い始めた。だし巻き卵は既に腹の中だ。
運ばれてきたおかわりも、構わず天道はつるつる胃袋におさめていく。
芙美も楽しそうにふふふ、と笑い返して、白米を丁寧にかき集め、つるりと食べていく。
空になった皿を前にして、天道は「ごちそうさま」と手を合わせた。
「任せろ。お前からの挑戦状、この天道様が受けて立つぜ!」
「口をお拭きなさい、はしたないったら」
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