霧がたちこめる夜。月は雲に隠れ、街の明かりで星もみえない。

新みらいが丘市の名物、からくり仕掛けの大時計が、深夜を告げる音楽を鳴らしている。

怪物が好き放題暴れた、モールの遊技場跡地で、一人の少年がフェンス越しに街を見下ろしていた。

年は十四、五ほどだ。年齢に不相応ながっしりした体格と、短くはねた髪が目立つ。

左目の深い傷跡をぽりぽりひっかいて、ぼんやり呆けている。


「何とかと煙が高いところが好きというわね」


暗闇から少女の声が響く。少年は振り返らない。

相手が何者なのかはとっくに気づいているからだ。

少女の声の主――芙美は、まるで影から生まれたかように、ぬるりと現れた。


「どうだったかしら、観戦の感想は」


芙美は尋ねた。少年は顎をかき、「そうだな」、と口を開く。


「まだまだ弱っちいけど、及第点ってところだな。

 あいつにはもっと、強くなってもらわなきゃ。俺が倒すに値しない」

「少年漫画のライバルみたいなことをいうのね」

「当たり前だろう。俺の宿命だぞ」


少年は振り返る。

幾多ものライトに照らされ、左目の目尻に刻まれた縦一文字の傷跡が生き物のようにうごめく。

胸元では金色のペンダントが輝き、夜の暗がりの中で、まるで太陽のように輝いた。


「大山正太郎。俺の敵。俺の宿命。

 あいつを打倒して、俺はようやく先に進めるんだ。だが魂が弱すぎる。まだまだ鍛えてやらねえと。

 俺以上の強さになってもらわなきゃ意味がねえ」

「まだ10歳の男の子よ。ちょっと期待が重すぎるわ」

「しかし意外だな。お前みたいな奴が、正太郎に執着するなんて」

「縁があるのよ、あの子「たち」とはね」


芙美は嘆息し、懐から水筒を取り出した。

少年はしきりに、少女が手に持っている弁当を気にしているが、芙美は言葉をつづけた。


「でも、好都合だったわ。正太郎くんは私をさほど警戒していない。

 それに、”アブラハム”の弱味になっている」


人形のような愛らしい顔をゆがめ、芙美は微笑む。


「使わない手はないわね」

「アイツのことまでわざわざ警戒する必要、あるか?ろくに魔術も使えない腰抜けのくせに」

「侮らないことね。

 ジェンキンス、ナイトスワロー、カムイ、西の十使徒、人狼王ロボ……。 

 名だたる魔術師たちに並ぶ七十二の「ソロモンの悪魔」たちが一柱。

 正太郎を相手にするなら、いずれはあの男とも戦わなくてはならないのよ。

 アブラハムは貴方にとっても、因縁深い相手でしょうに」

「あいつの話はするな。虫唾が走る」


少年は芙美の手から弁当をひったくり、箸を割った。

中身は彼のリクエストした和風オムライス定食だ。

熱々の小さいオムライスをほおばり、口の端にそぼろ肉をひっつけ、少年はご満悦そうだ。

犬みたいな食べ方はおよしなさいな、と芙美は眉をひそめたが、少年は聞く耳は持たない。


「にしても、この町は相変わらずだな。

 ちょっとつつけば、悪霊だの霊障だの、妖怪達がうようよ沸きやがる」

「貴方からすれば、格好の修行の場でしょ?」

「張り合いがねえんだよなあ。

 お前が来てからというもの、お前の「お仲間」だってナリを潜めてるじゃねえか」

「警戒されてるのよ。悲しいわ、私ってばこんなにいい子なのに」

「元「女王」の台詞かよ、それが」


溜息を漏らす。一瞬の沈黙。

ばさばさと無数の羽音が響く。ぐるりと、いつのまにか烏たちが、少年と芙美を取り囲んでいた。

烏たちの目は、赤くぎらぎらとルビィのように煌めいている。

その双眸は、まぎれもなく人の目玉だ。


「にしても、お前がけしかけたあの浮遊霊、弱すぎやしないか。

 せいぜい精神攻撃ができる程度だったじゃないか」

「あらあ、だから強化してあげたんでしょう。

 ちょっと私の霊力を食わせただけで、あんなに大はしゃぎしちゃって」

「やり口が陰険だ、お前は。次からやめろ。俺は陰険が嫌いだ」

「あら、じゃあ私のことは嫌い?」


あどけない普遍的美少女の顔が、くすくす、と夜の闇を伴うような笑みを浮かべる。

そんな芙美の顔を見やり、「オムライスが美味いからなあ、嫌いにはなれん」と少年は返す。

「よかったあ」と呑気に芙美は笑って、隣に腰を下ろした。


「でも、忠告通り、もうやめておくわ。本来なら、”救済の教義”にも反するもの」

「キューサイのキョーギ、ねえ。

 なんでもいいけど、俺の目的は正太郎だ。そこんとこ、線引きはしろよ」

「そっくりそのまま、貴方に返すわよ。

 けれど彼が強くなるためには、試練が必要ではなくて?」

「だから、お前がいるんじゃないか。使い魔のストックはまだあるんだろう?」


少年が問う。

ぞるりと不気味に、少女の影が蠢いた。ライトの下であらゆる不定形の怪物たちが、出番を待ちわびて、踊るように身をくねらせる。

芙美のヒールがカン、と床を蹴ると、吸い込まれるように影の怪物たちは一瞬にして沈黙し、少女の影に戻った。


「そうね。貸し出すのはいいけれど、貴方にもそろそろ、働いてもらうわよ」

「いわれずともさ。お前の計画に興味はねえけど、”同盟”だからな。

 腕っぷしだけなら、幾らでも貸してやるよ。――悪企みは、面白いしな!」

「【世界一の悪い奴になる】だっけ?貴方の目標ってちょっと抽象的よね」

「分かってねえな、芙美は」


頬についたおかずを舐めとり、少年は片眉を吊り上げる。


「いつだって、世界を制するのは、強くて悪い奴なんだぜ。

 覇道を極める俺様には、一番具体的な目標だろ」

「あら、勝者の本質は正義よ?勝った方が偉いの。世の理でしょ」

「でも悪い奴等だ。いいか、本当に強い奴っていうのはな、自分が悪い奴だってわかってて、「絶対に負けらんねえ」って腹ぁ括ってる奴等なのよ」


空っぽになった弁当箱のふたを閉め、少年は手を合わせる。


「お前もそうだろ。今ある世界を相手に、負けらんねえ戦いをしてる。

 お互いの「目標」のためにゃ、俺達は誰よりも悪くて、強い奴にならなきゃなんねえ」

「……そうね、背に腹を変えられない、覚悟した生き方は」

芙美はビニール袋にごみを丁寧に詰めながら、妖しく笑んだ。

「お互い、変わらないってことよね」


「頼りにしてるわ。天道てんどう

「おう。ところでおかわりは?」

「ないわよ」

「……………………」



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