⑧
〇
霧がたちこめる夜。月は雲に隠れ、街の明かりで星もみえない。
新みらいが丘市の名物、からくり仕掛けの大時計が、深夜を告げる音楽を鳴らしている。
怪物が好き放題暴れた、モールの遊技場跡地で、一人の少年がフェンス越しに街を見下ろしていた。
年は十四、五ほどだ。年齢に不相応ながっしりした体格と、短くはねた髪が目立つ。
左目の深い傷跡をぽりぽりひっかいて、ぼんやり呆けている。
「何とかと煙が高いところが好きというわね」
暗闇から少女の声が響く。少年は振り返らない。
相手が何者なのかはとっくに気づいているからだ。
少女の声の主――芙美は、まるで影から生まれたかように、ぬるりと現れた。
「どうだったかしら、観戦の感想は」
芙美は尋ねた。少年は顎をかき、「そうだな」、と口を開く。
「まだまだ弱っちいけど、及第点ってところだな。
あいつにはもっと、強くなってもらわなきゃ。俺が倒すに値しない」
「少年漫画のライバルみたいなことをいうのね」
「当たり前だろう。俺の宿命だぞ」
少年は振り返る。
幾多ものライトに照らされ、左目の目尻に刻まれた縦一文字の傷跡が生き物のようにうごめく。
胸元では金色のペンダントが輝き、夜の暗がりの中で、まるで太陽のように輝いた。
「大山正太郎。俺の敵。俺の宿命。
あいつを打倒して、俺はようやく先に進めるんだ。だが魂が弱すぎる。まだまだ鍛えてやらねえと。
俺以上の強さになってもらわなきゃ意味がねえ」
「まだ10歳の男の子よ。ちょっと期待が重すぎるわ」
「しかし意外だな。お前みたいな奴が、正太郎に執着するなんて」
「縁があるのよ、あの子「たち」とはね」
芙美は嘆息し、懐から水筒を取り出した。
少年はしきりに、少女が手に持っている弁当を気にしているが、芙美は言葉をつづけた。
「でも、好都合だったわ。正太郎くんは私をさほど警戒していない。
それに、”アブラハム”の弱味になっている」
人形のような愛らしい顔をゆがめ、芙美は微笑む。
「使わない手はないわね」
「アイツのことまでわざわざ警戒する必要、あるか?ろくに魔術も使えない腰抜けのくせに」
「侮らないことね。
ジェンキンス、ナイトスワロー、カムイ、西の十使徒、人狼王ロボ……。
名だたる魔術師たちに並ぶ七十二の「ソロモンの悪魔」たちが一柱。
正太郎を相手にするなら、いずれはあの男とも戦わなくてはならないのよ。
アブラハムは貴方にとっても、因縁深い相手でしょうに」
「あいつの話はするな。虫唾が走る」
少年は芙美の手から弁当をひったくり、箸を割った。
中身は彼のリクエストした和風オムライス定食だ。
熱々の小さいオムライスをほおばり、口の端にそぼろ肉をひっつけ、少年はご満悦そうだ。
犬みたいな食べ方はおよしなさいな、と芙美は眉をひそめたが、少年は聞く耳は持たない。
「にしても、この町は相変わらずだな。
ちょっとつつけば、悪霊だの霊障だの、妖怪達がうようよ沸きやがる」
「貴方からすれば、格好の修行の場でしょ?」
「張り合いがねえんだよなあ。
お前が来てからというもの、お前の「お仲間」だってナリを潜めてるじゃねえか」
「警戒されてるのよ。悲しいわ、私ってばこんなにいい子なのに」
「元「女王」の台詞かよ、それが」
溜息を漏らす。一瞬の沈黙。
ばさばさと無数の羽音が響く。ぐるりと、いつのまにか烏たちが、少年と芙美を取り囲んでいた。
烏たちの目は、赤くぎらぎらとルビィのように煌めいている。
その双眸は、まぎれもなく人の目玉だ。
「にしても、お前がけしかけたあの浮遊霊、弱すぎやしないか。
せいぜい精神攻撃ができる程度だったじゃないか」
「あらあ、だから強化してあげたんでしょう。
ちょっと私の霊力を食わせただけで、あんなに大はしゃぎしちゃって」
「やり口が陰険だ、お前は。次からやめろ。俺は陰険が嫌いだ」
「あら、じゃあ私のことは嫌い?」
あどけない普遍的美少女の顔が、くすくす、と夜の闇を伴うような笑みを浮かべる。
そんな芙美の顔を見やり、「オムライスが美味いからなあ、嫌いにはなれん」と少年は返す。
「よかったあ」と呑気に芙美は笑って、隣に腰を下ろした。
「でも、忠告通り、もうやめておくわ。本来なら、”救済の教義”にも反するもの」
「キューサイのキョーギ、ねえ。
なんでもいいけど、俺の目的は正太郎だ。そこんとこ、線引きはしろよ」
「そっくりそのまま、貴方に返すわよ。
けれど彼が強くなるためには、試練が必要ではなくて?」
「だから、お前がいるんじゃないか。使い魔のストックはまだあるんだろう?」
少年が問う。
ぞるりと不気味に、少女の影が蠢いた。ライトの下であらゆる不定形の怪物たちが、出番を待ちわびて、踊るように身をくねらせる。
芙美のヒールがカン、と床を蹴ると、吸い込まれるように影の怪物たちは一瞬にして沈黙し、少女の影に戻った。
「そうね。貸し出すのはいいけれど、貴方にもそろそろ、働いてもらうわよ」
「いわれずともさ。お前の計画に興味はねえけど、”同盟”だからな。
腕っぷしだけなら、幾らでも貸してやるよ。――悪企みは、面白いしな!」
「【世界一の悪い奴になる】だっけ?貴方の目標ってちょっと抽象的よね」
「分かってねえな、芙美は」
頬についたおかずを舐めとり、少年は片眉を吊り上げる。
「いつだって、世界を制するのは、強くて悪い奴なんだぜ。
覇道を極める俺様には、一番具体的な目標だろ」
「あら、勝者の本質は正義よ?勝った方が偉いの。世の理でしょ」
「でも悪い奴等だ。いいか、本当に強い奴っていうのはな、自分が悪い奴だってわかってて、「絶対に負けらんねえ」って腹ぁ括ってる奴等なのよ」
空っぽになった弁当箱のふたを閉め、少年は手を合わせる。
「お前もそうだろ。今ある世界を相手に、負けらんねえ戦いをしてる。
お互いの「目標」のためにゃ、俺達は誰よりも悪くて、強い奴にならなきゃなんねえ」
「……そうね、背に腹を変えられない、覚悟した生き方は」
芙美はビニール袋にごみを丁寧に詰めながら、妖しく笑んだ。
「お互い、変わらないってことよね」
「頼りにしてるわ。
「おう。ところでおかわりは?」
「ないわよ」
「……………………」
〇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます