⑥
『正太郎、退け!あれはお前の手には負えん代物だ!』
「今更だよシン、見て!あいつ、どんどん周りの奴を食べて大きくなってる!
見え始めてる子もいる!このままじゃモールの中が大変なことになる!」
怪物の咆哮がモール内に木霊する。
窓ガラスが震え、周囲の客が外の天気を気にしている。
正太郎はシンの忠告も耳に貸さず、ずるずると縦横無尽に這い回る怪物を追いかけていた。
怪物は手当たり次第に、近くを浮遊しては逃げ惑う小さな霊たちを次々に飲み込んでいく。
「あの子、知ってる。僕、一度視た。
買い物の途中、おじさんに踏まれてたんだ。僕、つい目があって……!」
シンは眉をつりあげる。
先程見かけた、粘液状の軟体の事を指しているのか、と察する。
正太郎が無意識に目線で追いかけた後、するりと人ごみに消える姿を認めた時が、最後に見た時だった。
『だが、奴はお前より遥かに小さかったぞ。それに敵意もなかった』
「もしかしたら、僕が視てしまったせいかも」
『そうか、公太郎は視ていなかった。お前を門にして、中途半端に干渉できるようになったなら納得はいく』
「シンが言うなら、多分そうかも」
『だが、周囲の生気を吸ってでかくなるにしたって、あまりに不自然だ。ただの浮遊霊の類じゃあないぞ、あれは』
ゲルの怪物を見ているものは殆どいない。
だが何か感じるものがあるらしく、子供や数人の大人たちの顔色が変わっていく。
怪物がぬるりと突き抜けて通過した瞬間、触れたせいか気絶する人間も何人かいた。
新たな被害が出る前に、あの怪物を止める必要があった。
「僕が連れてきてしまったなら、僕がとめなきゃ」
『それよりまずいぞ、正太郎。あやつ、完全に己たちを見ている。
あの様子じゃ、門として狙いをお前に定めているぞ!』
シンの言葉通り、怪物の目玉らしきものがぎょろぎょろと正太郎達を見据えた。
ヤモリのように壁をよじ登り、吹き抜けを挟んだ通路の正太郎を追ってきている。
策を練らなければ。おそらくこのままでは、怪物と戦わなければならなくなる。
だけど人前で暴れる訳にはいかない。なにより――
「うっかり変身してあの恰好を見られるの、恥ずかしいからなあ!」
『今更それを気にするのか!』
「だって結構見た目的にアブない奴でしょ!燃えちゃうし!火柱出るし!」
『物理的な炎ではない、本当に燃えるわけではないぞ!』
「人の目が集まっちゃうだろぉ!あの恰好とかどうヒトに言い訳するんだよぉ!」
真矢と戦った時、正太郎はどういう理屈でかは分からないものの、全くの別人に姿を変えて戦うことが出来た。
漫画やアニメでいうところの「変身して戦う」シチュエーションというやつなのだろうが、なにせいざ自分が当事者になってみると、かなり恥ずかしい。
もしまた変身してしまう事態になれば、衆目に晒された後の始末が大変そうだということは、子供心でも分かる。
正太郎は壁のモール内の案内図を見た。
三階建てのモールにはそれぞれ、地下と地上、屋上に駐車場が存在する。そして屋外駐車場には更に、ある大きなスペースが存在した。
「屋上遊技場……これだ!」
立ち入り禁止のシールが貼られているが、おそらく人目を気にせず戦うには十分だ。
怪物はますます存在を濃くし始めている。錆びた鉄のような臭いで鼻が曲がりそうだ。
『気をつけろ、奴がお前に目をつけたということは、お前を介して完全にこちら側にくるはずだ。捕まったら一巻の終わりだぞ』
「分かってる!」
相手は完全に標的を正太郎に定め、大きく跳躍してガラスの壁にへばりついた。
通路が揺れ、地震でも起きたかと周りはパニックを起こす。
非常階段だ、正太郎は踵を返し、屋外駐車場に繋がる階段を駆け上がる。
怪物は奇声を発しながら、よろよろと正太郎の跡を追う。
相手の足が鈍いのが幸いした。子供の正太郎の早さでも、間をあけて逃げることができる。
ぐずぐずになった体から、吐き気をもよおす生臭さが絶えず噴き出す。
真矢と対峙した時も、同じ臭いがした。腐臭に近いものだ。胃からせりあがってくるものをどうにか堪え、上を目指す。
【マテ マテマテマテマテマテマテマテママテマテ】
「こっちにこい、こっちにこい、こっちにこい!」
怪物は思惑にはまったらしく、べちゃべちゃと汚い粘着音を立てながら、次第に正太郎の後をつけていた。
いつか映画で見た、巨大なモンスターと少女の逃走シーンを思い出す。
相手はさほど足が速くない。正太郎は無我夢中で、屋上へ走る。
屋上の駐車場は満車で、誰もいないのか静まりかえっている。
下がパニックに満ちていた分、そのギャップは激しい。
遊技場は、屋外駐車場に隣接している。大きな柵がぐるりと四方を囲い、入口は鍵がかけられている。
「くそ、開かない!」
正太郎は悪態をつきながら、遊技場の扉と格闘する。
蝶番に南京錠がかけられ、錆びた鎖の上から新たに頑丈な鎖がかけられている。
すぐ後ろから敵は迫ってきている。正太郎は雄叫びをあげ、体当たりで扉を開けようと躍起になった。
『正太郎、魂の証だ。炎を喚び出せ!』
「っそうだ!ここなら誰もいないもんね!」
シンの言葉に従ってライターを取り出す。
あの時はスイッチを押すなり、天を突くほどの火柱があがった。
──だが、何も起きない。かちっ、かちっと空しく音が響く。
「なんで……なんで点かないんだ!点けよ、点けったら!」
何度押しても、ライターはうんともすんとも言わない。
カチカチと虚しく音が鳴って空回るだけだ。
シンの顔が強張る。その間にも、じわじわと周囲からどす黒くヘドロのようなものが床から、壁から染み出しはじめる。
『火力が足りないんだ』
「火力?」
『魂の証は、使い手の力量に応じて反応するものだ』
正太郎は焦るあまり、何度もスイッチを押す。
押せば押すほど、乾いた音が何度も鳴り響き、正太郎を絶望感に追い込む。
『お前が色んな事に考えすぎるあまり、感情が散漫としているのだ。
正太郎、今のお前ではそのライターは使えない』
「そ、そんな!あいつとどう戦えばいいの!?」
これでは戦うことができない。正太郎の顔色は急速に蒼褪めていく。
刹那、いやな地響きと腐臭をつれ、怪物が階段からのそりと這い出た。
先程よりも怪物の体は数倍にも膨らみ、いくつもある傷口から、澱んだ体の中身が漏れ出している。
体液は赤黒色から臙脂色に、派手な紫色に変色し、駐車場の床を染めていく。
「ぐ、グロッ……!」
『あの者、ただの怨霊の類ではないぞ。
おそらく生き霊の魂を核に、幾つもの死霊たちが取り込まれている』
シンは鼻を覆い、顔をしかめた。
『核となる者が中にいるはずだ、それさえ引き剝がせばどうとでもなるが』
「武器もないのにどうやって?」
正太郎のヒステリックな返事はそのまま、甲高い悲鳴に変化した。
怪物が吐きだした濁りの塊が、もろに正太郎にあたり、そのまま遊技場の扉を突き破る。
正太郎は敷地内を転げまわり、遊具のひとつにぶつかって止まった。べとべとした粘液が体じゅうにへばりつき、酸と生臭さが入り混じった悪臭を放つ。
「うええ、何これ!?」
『霊障だ!はたき落とせ、お前も毒されきると、こやつらの仲間入りだ!』
正太郎は腕を持ち上げて粘液を振り払おうとした。
液体の中からボコボコと浮かび上がる白いものがある。不意に白いものは目のない顔となって、ケタケタと笑い出す。
正太郎は絶叫して顔を叩き潰した。顔は卵の殻のようにたやすく割れ、笑い声だけが残される。
濁りからは次々と白く小さな「顔」が浮き出ては、笑ったり怒鳴り声を散らしたり不愉快な子供の泣き声で叫ぶ。中には正太郎の柔肌に牙をたてるものもある。
「このっ、気持ち悪いッ、取れろ、取れろッ!助けて、シン!」
『無茶を言ってくれる!精神を集中させろ正太郎、このままだとお前まで取り込まれるぞ!』
そっちこそ無茶を、と悲鳴をあげ、正太郎は無我夢中で、顔という顔を叩き潰していく。
そうしている間にも怪物は、熊のようなどっしりとした歩みで、四方八方に濁りを吐き散らしながら正太郎へと近づく。
かろうじて距離をおいていられるのは、シンが正太郎と怪物の間に入り、なけなしの小さな火柱で遠ざけているからだ。
『正太郎、隠れろ!お前にかなう相手じゃない!』
「は、っはあっ、変身できれば戦えるのに!」
火柱があがり、怪物は炎をおそれるように二、三歩後退る。
その隙をつき、シンは正太郎の腕を掴んで、アスレチック遊具の影に隠れた。
シンの半透明な体が、小さな正太郎の体を抱き込み、庇うように縮こまる。
『お前を助けてやりたいところだが、己は戦えん。
せいぜい小さい火でおどしをかける位が手一杯だ。お前が戦える手助けならしてやれるのだが』
「ご……ごめん。シンの言うこと、ちゃんと聞いていれば、こんなことには……」
『泣き言を漏らすな!戦うと決めたなら、後悔する前に奴と向き合え!』
正太郎は震える手でライターを強く握った。
噛みつかれた部分がじわじわと熱をもち、痛みを訴えてくる。
骨が折れるような激痛だ。
『奴め、かなりこちら側に踏み込んできたようだな。ほぼ実体化してしまったようだ。上におびき寄せたのは怪我の功名だな、正太郎』
「あんまり慰めになってないんだけど!」
『慰めてはおらん、事実を言ったまでだ』
「それよりどうすればいいのさ、この状況!まだライターつかないし……」
怪物は敷地を動き回り、しきりに正太郎を探しているようだ。
濁りからうまれた顔が地面という地面でけたけた笑い、ノミのように跳ね回る。
嬌声が耳障りだったのか、正太郎が見つからない苛立ちからか、怪物は吼えて再び濁りを掃き出し始めた。
『よけろ、正太ろ……』
「え、ッ……うわあああっ────!?」
その噴出された濁りのひとつが、正太郎達の隠れている遊具を吹き飛ばす。
少年の体も遊具ごと弾き飛ばされた。
正太郎は痛みに呻きながら、どうにか入口まで逃げようとする。
だが足が動かない。遊具の残骸の重みに、足をとられてしまっていた。
血の臭いを嗅ぎつけた獣がごとく、血走った怪物の目玉が正太郎をとらえた。
足を引き抜こうと正太郎がもがく間にも、一歩一歩、確実に近づいてくる。
【アソボ、アソボ、アソボ、アソボ、アソボ、アソボ、アソボ……】
「く、来るな。こないで、あっち行け!あっち行けったら!」
【ヘッタ、ヘッタ、ヘッタ、ハラヘッタ】
挟まれた足が抜けたなら、自由に動けるのに、圧し掛かっている遊具が恨めしい。
怪物は正太郎の怯えを吸って大きくなるかのように、体を膨らませていく。やがて、肥大した腹に、切り裂かれたかのような巨大な分厚い舌と、人間の歯が突き出た。
食われる。
声すら出てこず、正太郎は逃避するように、我が身を抱いて縮こまる。
次の瞬間、肉を裂く嫌な音がその場に響いた。
〇
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