公太郎の尻ポケットで、スマートフォンが電子音を鳴らす。

画面を見ると、高雄の名前が表示されている。

カラフルなシリコンの調理器具を脇に挟み、通話ボタンを押す。


「俺だ」

「やあ、ジュン」


開口一番、高雄が唸るような声をあげた。


「さっき事務所に飛鳥あすかが来てよ、散々愚痴って帰って行ったぞ。

 お前、またキッチンを吹っ飛ばしたのか」

「吹き飛ばしてなんかいないさ。フライパンに穴は空いたけど」

「普通フライパンに穴は開かねえんだよ。お前、もうキッチンに立つの諦めろ。

 飯作るならうちの八戸を貸してやるから、電化製品にもう触るんじゃねえ」

「これでも修行の成果は出ているんだよ?着実にさあ。

 というか八戸くんは貸し借りするものじゃないだろ」

「当人はさっきの惨劇を聞いて、すっかりやる気だぜ」

「お心遣い、ケッコーです!」


むっとして公太郎は言い返す。

目をつけた鍋のパッケージには、シリコン製ならではの耐久性の高さを謳うフレーズが並んでいる。

どれを買っても自分なら壊しかねないが、妹へのプレゼントということにしよう。

触らなければ穴が開く事も、壊れることはないのだ。コンピューターとは違って。


「ところで、何の用かな。愚痴のたらいまわしってだけなら、切るよ」

「例の件、ホラ、事故に遭った子供についてだ」


切られてはたまらないとばかりに、高雄は強い口調で本題に切り出した。

その言葉で、公太郎はすぐさま思い出す。

数ヶ月前に起きた、ショッピングモールでの転落事故についてだ。



このショッピングモールが建つ土地では、十数年に一度の頻度で、転落事故が発生していた。

最初に建てられたのは、とある中小企業の事務所だったそうだ。

ひとりの社員が酔っ払った勢いで窓から転落死して以降使われなくなり、売地に出された。

それ以降、駐車場が建てば壁が崩壊し、新しい会社のビルディングを建てる最中に工事現場のクレーンが倒れ、デパートが出来れば巨大バルーンに足を引っかけた子供が宙に放り出される、など、あげていけばきりがない。

事故の数々を知った当時の土地の持ち主は、悪霊の仕業と考えてお祓いを依頼したらしい。

その”お祓い”には、公太郎も関与した。

実際、この土地に性質の悪い低級の悪霊がいたことは事実だ。

その悪霊を退けた今、以前のような不幸は、そうそう起きないと思っていた。

このショッピングモールで、迷子になった子供が、屋上から転落するまでは。


「ああ、高橋頭一たかはしとういち君だっけ。彼、どうだった?」

「お前が紹介してくれた、数人の術師に診せたよ。やはり”引っこ抜かれて”いたそうだ。、魂ってやつが」

「そうか……」


公太郎の眉間に皺が寄る。

事情を聞いたところによると、ショッピングモールの屋上には、子供が遊ぶための屋上遊技場なるものが設置されている。

かなり高いフェンスで囲ってあるため、子供が誤って屋上から落下するなんてことはない。

落下した少年は、正太郎と変わらない年頃で、分別もある。

普通ならその高さや危険性を思えば、登ろうとはしないはずだ。

しかし現に、どういうわけか、子供はそのフェンスをよじ登って落下した。

落ちた先で観賞用の大きな広葉樹がクッションになってくれなければ、今頃は通夜に参列することとなっていただろう。


だが、話はここで終わらない。

頭を含めて全身打撲ではあったものの、足の指の軽い骨折以外に、異常は見られなかった。

だが少年はどういうわけか、この事件以降、すっかり性格が変わってしまったのだ。

殆ど口もきかず、機械的に動き、かと思えば動物のように怒り狂う。

ただ事ではないと家族は気づいたものの、医師だけではどうにもならず、公太郎に連絡を寄越してきた――という顛末である。


「正直、不気味な話だ。息もしてる、食事も摂る、会話もする。

 言われなきゃ、魂がないなんて気づかないわな」

「ジュン、そんな言い方はするものじゃないよ」公太郎はすかさずたしなめる。

「今は生きているだけ儲けものだ。多分、引っこ抜かれた魂は、まだショッピングモールにいるはず。回収は僕に任せてくれ」

「なんだ、心当たりがあるのか」

「当然だよ、僕だってそっちの道の専門だからね」

「ならお前に一任するか。それよりお前、正太郎に言ってないのか?」

「なにをだい」


フライパンを買い物かごに放り込む。

近頃の台所用品は、フードプロセッサーだの、ボタンだけで簡単操作だの、炭酸水製造機だの、便利なものが増えてきた。

これなら機械音痴の自分でも操作できるかも――などと思いながら、公太郎は逐一吟味する。迂闊に自分で操作方法が分からないものを買って、また妹にどやされるのはごめんだ。


「お前が悪魔憑きの魔術師ウィザードってこと、教えた方がいいんじゃないのか」

「……………………」

「悪魔に憑かれてるだけの一般人、で通すのは、だいぶ厳しいと思うぞ」

「……そのうち、ちゃんと話すよ。まだ信用してもらってないみたいだしさ」

「また”騙された”って泣かせるのだけは、よせよ」

「分かってるよ。……でも物事には、順序ってものがあるだろう?」


公太郎は言葉を濁した。高雄もそれ以上、特に追及はしない。

代わりに高雄は、「それはそうと、朝のニュースのこと聞いたか」と話題を変えた。

「何を」と返そうとしたその直後、思わずスマートフォンから耳を離す。

激しいノイズがスマートフォンから迸ったためだ。ひどい耳鳴りに苛まれる。


「なんだ、今のひどい音は。そっちから聞こえたぞ」

「霊障だ、ジュン。モールに大きな霊が出たらしい」

「はあ!?今昼間だろ!」

「昼でも夜でも、出るものは出るよ。君だって何度も見てきたろ」


休日の巨大施設で人は多く、特に今日は子供が多い。

幼児や十歳前後の少年少女の中には、視えやすい、あるいは感じやすい子供もいる。それで高揚した霊が障りを起こしたのかもしれない。

だが此処は元々、子供連れの多いショッピングモールだ。

霊がこんなあからさまにいきり立つなんてことがあるだろうか?


【 オ ト ォ サ ァ ァ ァ ア  ア ア ア ア ア ン ! ! ! 】


だが間もなく、ひときわ強い霊の気配を肌で感じた。

子供の悲鳴を金属音で再生するような、不愉快な叫び声。

モール内を浮遊しているものたちより遥かに強大で、禍々しい気配を醸し出している。

公太郎はよもやと、外で待っているだろう正太郎の様子をうかがう。が、いない。


「しまった!」


公太郎は電話を切り、店の外へ飛び出す。

視える人間は、人ならざるモノ達に目を付けられる。

生きている人間達の世界の梯子となる存在、中間地点とも呼べる存在だからだ。

その特性に目をつけ、悪用するものも少なくない。特に正太郎のような性格の子供は標的にされやすい。


「(まさか、あの声に気づいて正太郎君が接触しようとしてるんじゃ……!?)」


一刻も早く見つけるべきだが、休日の昼下がりの人ごみの中から、たったひとりの少年を探すのは困難を極める。

唇を噛み、意識を集中させる。正太郎自身が持つ気配を頼りに、人の波を逆流する。

少年に近づけば近づくほど、禍々しい気配も色濃くなっていく。それもどうやら、正太郎の方が妖しい気配に自ら近づいている。

よすんだ、正太郎くん。君が迂闊に触れていいものじゃない。祈るような公太郎の思いとは裏腹に、あちらこちらで異常が起こる。


「エスカレーター止まっちまったぞ!」

「きゃあっ!暗い!?」

「なんだなんだ、イベントか?」

「びっくりしたあ~」


エスカレーターが何の前触れもなく停止し、いぶかる声が次々に沸く。

今度は一階の電気が次々と停電していき、女性客が驚きのあまり悲鳴をあげ、赤ん坊や子供達は火がついたように泣き喚き始めた。

公太郎の目にははっきりと、その元凶が見てとれた。

ぶくぶくと膨れ上がった、半透明のゲル状の怪物。車輪のような四つの足部で、人々をすり抜けていく。


【 ドコドコドコドコドコドコサビシイサビシイサビサビシイコワイワコワイ

 コワイワコワイコワイタノシイタノシノタノシイオイカケッコオニゴッコ! 】

「この短時間で実体化し始めている!?さっきまで大人しかったのに……!」


怪物が残したどす黒い足跡は、血痕のようだ。

手負いの獣と似た動きで、理解し難い言葉を喚き散らしながら、不規則に走り回っている。

もしこの場にいる全員が視える体質であったならば、そのおぞましい姿を見て更に混乱に陥っただろう。

そして、どよめく人の群れの中をかいくぐり、駆ける一つの姿がある。

正太郎だ。公太郎はそれを見つけるや、合流すべく駆け出した。



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