「晩御飯、なにがいいかな。そろそろレトルトは卒業したいね」


ショッピングモールの中で、カートを押しながら公太郎は言った。

ガラガラ鳴る車輪を眺めながら、内心、僕が押したいな、と思いながらも正太郎はカートから目を離す。

休日ということもあって、子供連れの家族でにぎわっている。

それに、人の気につられてか、奇妙な気配もちらほら感じた。

右目のみで焦点を当てるように意識を集中させると、景色が一変する。


「(うわ…………!まるでオバケのお祭りだ……!)」


境目に隠れていた有象無象の視えざるものたちが、人目を憚ることなく闊歩しているさまが、色鮮やかに浮かび上がってきた。

一つ目の肉塊に犬の足が生えた何か。

蝙蝠に似た、ぼろぼろの羽を生やし、傘のような胴体を持つ飛行生物。

頭は花で胴体は鉄の棒みたいな、しかし全体的に見ればアリのような何か。


今まで視えていなかった時も、こんな風に魑魅魍魎が自分たちの傍にいたのか、と考えると不思議な気持ちだ。

いっそ、奇妙な生き物たちを見ていると、未知の動物園に連れてこられたような気にさえなってしまう。

公太郎にも見えているのだろうか。素朴な疑問が沸いたが、口を噤んだ。

目の前を、膨らませたアイスのような物体が通り過ぎたが、公太郎は気にも留めない。


「あまり目を使わない方がいいよ、正太郎くん」

「へっ」


出し抜けに公太郎が口を開く。

頭上近くを浮遊していたシンの顔がこわばった。


「視ることは相手の存在を認めることだ。

彼等は君や僕のような、視える人間を「門」にして、こちら側に侵入しようとする。気づかれたら付け回されてしまうよ」

「……ごめんなさい」

「怒るつもりはなかったんだ。視えるようになったなら、視たくなる気持ちは分かるさ」

「おじさんは視えてるんですか?」


足元に広がる粘液状の生き物が公太郎の足をすり抜け、カートは通路の角をスムーズに曲がる。

正太郎は横目で、濁りのような生き物の、鈍い足取りを見送った。


「視なければ僕らは彼らに触れもしないし、あちらも僕らに危害を加えることはできない。認めてやらないことが一番の優しさで、互いに唯一身を守る方法だよ」


お菓子を買ってとねだる子供を避け、公太郎の背を見失わないよう、一歩後ろをついて歩く。

買い物は滞りなく進んだ。

食品コーナーで食材を選ぶ公太郎を見て不安を抱いたが、それを察したのか「大丈夫、明日からは妹が来て作ってくれるから。今日は外食だよ」と笑った。

公太郎は雑貨店に入り、道具を熱心に眺めている。


「正太郎君、暇なら欲しいものを見て回るといい。

 携帯電話はちゃんと持ったね?」

「はい」

「知らない人にはついて行っちゃだめだよ」

「はい」


しかし、欲しいものなど、特にあるわけでもない。

暇を持て余し、店の外で呆けていると、ホビーショップで新作のゲームやカードのコーナーに群がる同年代の子供達が目についた。

ふと、真矢のことを思い出す。彼もゲームに目が無かった。

七生真矢は、大山正太郎にとっての唯一無二の親友だった。


「(ゲームかあ。良い思い出ないんだよな)」


その関係が崩れたのは、三年生の夏休みのことだ。

劇的な事件があったわけではない。ほんの些細なすれ違いだ。

その夏、あるゲームが新発売された。

周りの友人たちはこぞって親にねだって手に入れ、その中には真矢もいた。正太郎だけが、そのゲームを買わなかった。

欲しくない訳ではなかった。ただ、ゲームより彼は父親の本に夢中になっていた。

難しいことを知りたい年頃ということもあり、周りが知らないことを自分だけが知っている、その優越感に浸りたい気持ちも多少あった。


その結果、クラスの流行に乗れなかった正太郎は、徐々に孤立していった。

ひとりでいることが多くなった正太郎に対し、真矢が気遣って輪に入れるよう、とりなしてくれることもあった。


──ぼく、もうシンヤとあそばない。ゲームばっかりして、ガキみたいじゃん。


だが正太郎はつまらない意地で、輪に入ろうとしなかった。

ゲームを持っていないだけで友達関係が薄れる事実から、目を背けたかったのかもしれなかった。

次第に、真矢も自分から話しかけることはしなくなり、いつしか正太郎はいじめられるようになっていた。


「(僕、今思えば、すごくイヤな奴だったな……)」


大人たちはこの事実を知らない。

母親にですら、正太郎は友達がいないことを決して口にはしなかった。

奇しくも、ホビーショップに集まった子供達の注目を集めているのは、あの夏休みに発売されたゲームの新作だった。

新しく通う学校では、あのゲームが流行しているだろうか。

つま先を眺めながら、店にいる公太郎に尋ねてよいものか、と思案していた。


「正太郎くん?」


その時、視界にさらりと黒髪が立ち入った。

あどけない少女の声が名を呼ぶので、訝って面をあげる。

すると、ひとりの少女がいた。

黒い髪、丸くて白い顔、長い睫毛の下で輝く、ぱっちりとした黒い瞳。

背丈は正太郎よりも低いが、顔立ちはどこか大人びている。黒髪の少女は正太郎だと確信するや、人形のような顔をほころばせた。


「やっぱり正太郎くんだ。覚えてる、私よ」

「……芙美ふみ、ちゃん?」


小さくて白い手には覚えがあった。

自身が身を寄せていた、あの養護施設での記憶がよみがえる。

正太郎は意外な再会に面食らった。


「久しぶり。元気にしてた?また、家出したりしてない?」


少女、芙美は小首をちょんと傾げ、ふふと花のような笑みをこぼす。正太郎は赤面し、「してないよ」とどもり気味に語気を強めた。

芙美は目を細めて破顔し、「そんなに、むきにならなくてもいいのに」、と抑えた笑い声を漏らす。


「フミちゃん、どうしてここにいるの。施設にいるんじゃなかったの」

「正太郎くんが出ていった後、新しい家族が出来たの。元々この辺りの生まれだから、戻ってきたのよ」


話題をすり替えようと、正太郎は言葉を濁しながら芙美にそう聞いた。

正太郎が施設を出る時、芙美はまだあの田園に囲まれた孤城に居残っていた。


「そ、そうなんだ。よかったね」

「でも偶然ね、正太郎くんもここの近くに住んでいるの?」

「まあ、そんな感じ」

「じゃあ、また一緒に遊べるわね。

 私、お名前も変えるけど、フミちゃんって呼んでくれていいからね」

「分かった」

「私、このあたりは詳しいの。学校もきっと、一緒になるでしょうし。

 そしたら色々、教えてあげる。楽しみね」

「そうだね」


正太郎はそっと店内に目配せした。

公太郎が会計を済ませていないかと期待したが、変わらず鍋と睨みあっている。

視線を追った芙美が、公太郎の顔をちら、と見やる。


「家族?」

「う、うん。おじさん……」

「そうなんだ。素敵な人ね」


──その時。


【 オ ト ォ サ ァ ァ ァ ア ア ア ア ア ア ン  ! !】


凄まじい絶叫が、モール内に響く。正太郎は弾かれたように辺りを見回した。

今の声は、どこから?

不意に、首筋が泡立つ。

再三味わった、体が覚えている独特の冷たさが今、正太郎の肌を串刺しにする。

見計らったように、シンが気を張り詰めた顔をして姿を現す。


『…………流石に人が多いと、出るな。大きいのが』

「今の、なに?」

『怪異の「声」だ。凄まじい声量だな……』


忘れるはずもない、怪物と化した真矢と対峙した時と同じ気配だ。

恨みや憎しみ、痛みを抱えた、人でない物の感情が、よりによってこの人通りの多い場所で徘徊している。

視れば、モール内にうようよと飛びまわっていた他の異形達の姿も見当たらない。

怯えているかのようだ。

すれ違う人の話し声や生気で満ちているはずなのに、その隙間をぬうように嵐の前の静けさのような薄気味悪さが漂う。


「どうしたの、正太郎くん。いきなり怖い顔して」

「ううん、何も」


さきの、くれあい山で繰り広げた、真矢との戦いが何度も記憶の渦で泡立つ。

──あと三人殺すと言っていた。


過去の扉から、憎しみで溢れる声が轟く。


──俺はお前の親父が許せない。お前の父親だ、俺は見たんだ。


はっきりと記憶が蘇り、拳大の心臓がどくどくと早鐘を打つ。


──お前の父親さ、正太郎。


真矢のぎらついた血眼が、正太郎に閃きを与えた。

あの声は、憎悪や苦痛で苦しみ藻掻く、亡霊の声だ。


「……ちょっとトイレ!」

「え。お手洗いはあっちよ、正太郎くん。……正太郎くん?」


下から噴きあがる冷気の元へと駆けだしていく。

正太郎くん、と呼ぶ芙美の声はすぐさま遠のいた。

モール内は三層の吹き抜け構造となっており、ガラス張りの壁越しに様々な階層を一望できるが、モール自体の構造は緩やかなカーブ状となっており、先は見えない領域が存在する。

客は領域を移動しつつする広い視覚で空間を把握ことで、新たな空間を発見する仕組みとなっている。

正太郎は目で追える気配を頼りに店内を走る。

相手の姿はまだ見えないが、モール内の一階、屋外駐車場に通じる入口の付近にいるようだ。

赤ん坊のような泣き声がやたらと耳について、正太郎の苛立ちと焦りが更につのる。


『正太郎、どうするつもりだ。公太郎は視るなと言っていたぞ。俺たちに何が出来る』

「分からない、でも嫌な予感がするんだ」


シンが諫めるものの、正太郎は足を止めなかった。

声を聞いてしまったらもう、正体を確かめずにはいられない。

金属を擦るような耳障りな音が、たえず床から波状に伝わってくる。

視えないのに、気配が視覚にあらわれるのは、なんとも奇妙な感覚であった。


「お前が出る幕じゃない。放っておくべきだ。

 真矢の時はまだしも、手出ししていいか判断できないだろう、お前は。子供が危険に首を突っ込むな」

「それでも」


正太郎は歯を食いしばる。

真矢の笑顔が、彼が最期に残した言葉が、どうしても忘れられない。

最も正太郎を突き動かしたのは、山で味わった無力感だ。


「聞こえちゃったんだ。何かあってからじゃ、遅いだろ」


正太郎はエスカレーターを駆け下りる。

直後、そこかしこで悲鳴があがった。

何事かと思い、正太郎はその場で立ち止まる。

信じられないことだが――モール内の一階と二階を繋ぐエスカレーターが全て、一斉に急停止し始めていた。



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