⑦
〇
五歳の誕生日のことだった。
その日は春一番と共に、季節外れの嵐が日本列島を縦断していた。
連日体調不良を訴えていた母が高熱を出し、父は近所の七生家に正太郎を預け、病院へと連れ添った。
生きていて一番慌ただしい誕生日だったと記憶している。
父母の姿がない代わりに、見知らぬ大人たちがぞろぞろと七生家に集い、誰も相手にしてくれなかった。
代わりに、正太郎には、大好きな友達がいた。それが、「シンヤ」だった。
気づけば隣にいて、よく正太郎を外に連れ出してくれる、同い年の男の子。
よく気が利くといわれるほどに世話好きで、正太郎より誕生日が遅いくせに、お兄さんぶっていた。
あの日も、大人たちの輪に入れない正太郎を、自分の部屋に呼んでくれた。
「きょう、おじさんたち、いっぱいいるね」
「……うん」
「しょーたろーのたんじょうびなのになー」
「…………うん」
「なんだよー、しょんぼりさんしちゃってさあ。おかーさん、しんぱいか?」
「うん」
「でもさあ、しょんぼりさんになってるほうが、おかーさん、かわいそーだぞ」
「かわいそう?」
「かなしくなっちゃうんだぞ。ないちゃうぞ」
「それはいやだ……」
振り返ってみれば、五歳の頃から、既にシンヤは誰かを気遣うことに長けていた。
正太郎からしてみれば、同い年で誕生日が遅いなんて不思議だと思えるほど、彼はどこか大人びていた気がする。
しょんぼりと縮こまる正太郎に、シンヤは自分のクッキーを分けてくれたり、折り紙で王冠を作ってプレゼントもしてくれた。
正太郎は、自分より大人びて、思いやりのあるシンヤが大好きだった。
「しょーたろー、おたんじょうびおめでとうー、しようぜ」
「うん」
「おかーさんがかえってきたら、わらっておかえり、ってしてやるんだぞ」
「……うん」
「よしよし、やっとしょんぼりさん、いなくなったな!ゲームしようぜ、しょーたろー」
「うん!ぜったいまけないよ!」
「いったな!おれがぜったいかつぞ!」
そうだ。何故、忘れてしまっていたんだろう。
シンヤは、七生真矢は――大好きな、友達だったのに。
いじめっ子が正太郎を殴れば、今度は真矢がいじめっこを殴り倒した。
大事な花瓶を割ってしまった時は、一緒に謝りにいってくれた。
幼い頃の真矢は、本当の意味で、誰からも愛されるほどに、他人想いだった。
そんな真矢が正太郎は、羨ましかった。
彼のような他人想いになれるほど、正太郎は成熟した精神もなく、だからこそ早く大人になりたかった。
難しいことを沢山知れば、誰よりも賢くなれば、真矢に勝てる、大人の仲間入りができると思っていた。
最初に真矢の手を離して、突き放したのは、正太郎の方だ。
「ぼく、もうシンヤとあそばない。ゲームばっかりして、ガキみたいじゃん」
決別の言葉を告げた時の真矢の顔を、はっきりと思い出した。
あの日、初詣を断った時と同じ、寂しさと悲しさで圧し潰されそうな、優しい笑顔だった。
〇
「心を燃やす」 正太郎は繰り返す。
「助けたい、僕は、真矢を助けたい!」
炎は更に威力を増す。小さなライターから噴き出るとは思えない火力が溢れ出る。
めくるめく姿を変えながら、七生を燃やし尽くそうとする。
その炎につられるように、正太郎の心臓もまた、火にくべられたかのように熱を知る。
痛みはない。むしろ、溢れ出る感情を糧に、全身が心地よく熱くなっていく。間隔すらも置き去りにして。
「助けたい。助けるために、勝ちたい、僕は勝ちたい。
僕の弱さに勝ちたい。僕は……僕の弱さに、負けたくない!」
突然のことだった。青い炎は正太郎と幽霊を包み込んだ。
不思議と、恐怖は感じない。それどころか、力が漲ってくる。心臓そのものが、炎になってしまったかのようだ。
「正太郎」幽霊の声がした。正太郎の頭に直接響いている。
『力を貸そう。真矢を憎しみから自由にしてやるんだ』
「うん!」
正太郎の髪は、幽霊と同じように白く染まり、白い鶴の翼のように伸びていた。
顔や腕には真っ赤な紋様が浮かびあがり、白装束を身にまとう。右手には、銀の鞘が収まっていた。
鞘を振ると、青い炎が刃となって顕れる。七生はしわがれた侮蔑の笑い声をあげる。
「真矢、今助けるから!」
「そんな小さな剣で何ができる?ちょっと姿が変わったくらいでイキがってんじゃねえぞ!」
「お前の憎しみと痛みを断つ!この刃は、僕の想いそのものだ!」
巨人の手が、己を燃やす炎に構わず、正太郎を圧し潰そうと振りかぶる。
正太郎は膝にありったけの力を入れ、跳んだ。
今の正太郎は、ありあまるほどの力に満ちていた。普通の人間では成し遂げられない動きも、軽々とこなせる。
正太郎は迷うことなく、巨人の腕を駆けあがる。捕まえようとする反対の手を蹴り上げ、その反動で巨人の頭まで肉薄する。
振りかぶった土の腕に、刃を振り下ろすと、まるで水を切るように澱みなく刃が通る。やすやすと斬られた腕が、地面にぼとりと落ちて塵と化した。
「う、腕が、俺の腕ッ……!」
「シンヤぁぁあ!!!」
正太郎は力の限り吼える。大上段に構えるや、巨人の頭に深々と、炎の剣を突き刺した。
突き刺さった箇所からは、眩く青い輝きが噴き出す。
重力に従い、刃は躊躇うことなく巨人を一撃で縦断。
輝きは炎に変わり、内側から巨人を瞬く間に焼き尽くしていく。
「こんな……ちっぽけな炎に、負けるのかッ……!」
「違う!負けるんじゃない、僕は君を助けたいだけなんだ!」
炎の中で、何かが身悶え、悲鳴を上げる。
めらめらと踊り狂う蒼炎の中に、正太郎は無我夢中で手を伸ばした。
熱い。己の身を焼かずとも、熱は痛みとなって全身をさいなむ。
それでも正太郎は、悪臭を放ち燃える親友の手を掴む。
「真矢、しっかりしろ、真矢!!」
「……しょ……たろ……たす……け、て……!」
「ああ!助ける!こっちだ、おいで!」
よろよろと、棒きれのような、頭のない肉体が、正太郎の腕の中に飛び込んできた。
この地に埋められた、七生の体に違いなかった。
七生の体は浅い呼吸をしている。正太郎は何度も真矢の名を呼んだ。
呼びながら、涙があふれてきた。
巨人の体が崩れ落ちていき、二人の体もゆっくり落下する。
「真矢。ごめんね、傷ついてることに、気づけなくて」
真矢は底抜けに優しいからきっと許してくれる。
そう思っていたからこそ、彼が正太郎をいじめはじめた時、とてもショックだった。
冷たく人をつき離せば、情なんて切れてしまうことを、認めたくなかった。だから、「友達」という事実から、ほかならぬ正太郎が目をそらした。
真矢を「いじめっこの怪物」にしたのは、自分自身だった。
「……真矢。謝っても、許されるとは思ってないよ。
でもあの日、僕が一緒に初詣に行っていたら、君は死ななかったんだよね。
ごめん。……本当に、ごめんなさい……ひとりにしてしまって……」
ようやく、真矢は瞼を開けた。
土と木の根と虫で出来た偽物の頭だ。
ドロドロに濁って腐りかけた目玉のようなものが、正太郎を見据えた。
憎しみだとか、暗い情念がすっかり抜け落ちた目には、一抹の寂しさだった。
「初詣の日のことさ……俺、ちっとも、怒ってないよ。……謝りたかったんだ。
いじめて、ごめんって。許してもらえなくてもいいけど……。
せめて、友達に戻りたかったんだ。それだけなんだ……」
七生は正太郎の手を掴み、笑った。
その表情は、嫌味でも恐ろしくもない、普通の子供が浮かべる、優しい笑顔だった。
五歳の頃から、笑い方だけはちっとも変わっていなかった。
ぼろぼろと目から溢れる熱が止まらないまま、正太郎は必死に笑顔をつくった。
「じゃあ、今日から戻ろう。友達に」
「……ありがとう、正太郎」
涙が地面に吸い込まれた時、真矢の笑顔は輝き、霧散する。
輝きはつむじ風にさらわれ、後には黙したままのの死体が残った。
正太郎は呆けたまま、空っぽになった両手をずっと見つめた。
ついこの瞬間まで、この腕の中に真矢の心があった。今は、欠片が少し残っている程度だ。
「……ごめんね、真矢……」
正太郎は消えゆく欠片に向かって呟いた。
七生真矢は本当の意味で、この世を去ったのだと実感した。
変身が解け、全身が急速に熱を失っていく。やがてその熱が完全に消え去る頃、正太郎は意識を失った。
〇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます