第三話 勉強の日々

 この国に「マリ」という二文字の名前はないそうで、彼女の名前はマリーとなった。苗字はクッケルンに変わっている。王子の婚約者になるため、ある程度の身分が必要になり、養子になったのだ。

 彼女に話しかけてきたのは、王子の幼馴染であるアンナ=クッケルン、くるんとした茶色い髪が腰まである、おっとりした雰囲気の女の子である。同い年だが預けられた当初から、なぜか万里を妹のように甲斐甲斐しくあれこれと気にかけていて。

 今日は足りないドレスを、着なくなったものから選んでくれるらしい。アンナはうきうきと、これでもないあれがいいかもとやっている。


 今二人がいるのはアンナの家、その衣装部屋だ。貴族とはいえ、身分としてはそう高くないため、慎ましい王都のお屋敷と都隣みやこどなりの少々の領地がクッケルン家の所有物である。


『んー、ワシとしてはさっきのドレスの方が好みじゃな』


 食事も美味しく、ひと月も経つと彼女はこの生活に慣れ始めていた。


『ちょ、ワシのこと無視するのやめてくれんかのぅ』


(王子の敵を早いところ改心させて、早く元の世界に戻りたい。弟が心配だし、例えもう無理でも特典付き新刊ゲットの努力はしたい)


『まじ無視?!』


(うるさいなぁ、なんの用事?)


 万里は、アンナの好意でドレスをあててもらいながら、神様への腹いせに虫を決め込んでいた。けれど流石に泣きそうな雰囲気の声に、渋々相手をすることにする。


『塩対応! まぁよい、ワシ人格者じゃからの。さて、敵を改心と思うておるようじゃが、難しいぞぃ』


(じゃあぶっ倒していいわけ?)


『物騒ぢゃのぅ。殲滅せんめつもやむなしの場合もあるが、基本は話し合いと萌えと魅了の魔法と、萌えかのぅ』


(魔法でそんなことできるんだ)


『ちょっと好意を持たせる、くらいならできるぞ。下僕は無理じゃが……お主のスペックならニッチな需要に供給過多くらいにはなるじゃろて』


(不穏?! ちょっと発言が怪しいんですけど)


「……マリー? どうかして」

「いえ、なんでも。このドレスとか、布で作ったお花がついていて素敵です!」


(アンナ様との交流に邪魔だからすっこんでて欲しかったけど、これも介護ね)


『ひどっ!』


(冗談よ。思ってないからね、介護なんて)


 軽口を叩きながら、彼女は神様に話しかける。出来事を受け入れるには、それに関わっている人物を理解するのは大切だ。


「なら、これを少し手直ししてもらいましょう」

「何から何まで、ありがとうございます」

「マルク様のお願いですもの、幼馴染の頼み事は断らないことにしているのよ」


 言うのと同時に花がほころぶ様に微笑む。

 彼女の王子への信頼が、万里には見えた気がした。


「……彼は、アンナ様にとって素敵な人ですか?」

「あら、それは婚約者であるマリーの方が、よく知っているのではなくって? まぁ、幼馴染としてからなら、そうね。とても聡明で、楽しくて、優しい人よ」

「そうですか、答えてくださってありがとうございます」

「どういたしまして? じゃ、これとこれを、直しに出してくるわね」


 言うと、アンナは部屋を出て行く。残ったのは二人だけだ。

 万里はアンナとのやり取りに気を取られて尋ねられなかったことを、今度は口にして神様に尋ねた。


「で。具体的に何をどうすれば良いわけ? 魔法少女って」

『単刀直入じゃのぅ。そうじゃな、お前さんがドボンと言いながら目を見た相手の魅了、眠れと言って見た範囲の人間の気絶。殲滅せよって言いながら名前を思い浮かべたやつの死、くらいが授けられる力かの』

「充分過ぎるし」

『ワシとしてはファンミするくらいの勢力にしたいのぅ』

「ファンミーティングはアイドルの仕事でしょジジイ」

『外交も内政も、敵にせず味方や仲間と思わせたが勝ちぢゃよ。要はふぁんにすればよい。その点アイドルといえなくもないじゃろ?』

「なんか違う気がする」

『まぁ何はともあれ、行動あるのみじゃて』


 婚約者という立場、存分に使うと良いぞい。そう言った後、神様は沈黙した。アンナの足音を聞きつけたらしい。


(行動って言ったって、さぁ……)


 万里はちょっと困ってしまった。なんと言ってもこの間まで小学生で、お姉さんのなりたてだ。何をすればいいのか方法の想像すらつかなかった。




 ※




 戸惑ったまま、貴族のお屋敷の中で婚約者としての教育が始まった。この国の歴史、他国の歴史、近年の外交事情、貴族女子の振る舞いエトセトラエトセトラ。


「マリー、そこ間違っているよ。正しくは、」

「え、どこ。あ! わかるわかる、デムトラード皇国だよね。うっかりしてた」

「ふふ。うっかりに気付けたんだから、マリーはすごいよ」


 万里はマルクに褒められた。

 ちょっと得意げにすると、しょうがないなぁと彼が笑う。


 今彼女たちは王城で後継者としての勉強中だ。

 万里は日本でとった杵柄きねづかとばかりに猛勉強し、王子の学習している範囲に追いついたので、たまに一緒に机を並べさせてもらっている。

 この半年、何くれと情報をもらったり、こうして一緒の時間を過ごしていく中で、万里とマルクはちょっと仲良くなった。何よりも仮の婚約者であったし、そうみせる必要もあったので、彼女がそれはもう積極的に仲良くなりにいったのも、ある。

 ただそれ以上に、万里が勉強を一緒にする様になってから観察していると、本当に国のことを思っていて熱心な様子が見てとれた。周りに仕える人にも優しく、不調なんて本人より早く気づいて休みをあげていたりする。けれど甘やかし過ぎない感じで、万里はアンナがベタ褒めするのも理解できるような気がしていた。


「あれ、マリー。ちょっとじっとしていて」

「え」


 そんな、遠くない日々のことを振り返っていると。

 ふいに手が伸びてきて彼女の頬を擦った。


「とれた」


 微笑まれて見せられた彼の親指には、いつの間についていたのか、ペンのインクが掠れてついていて。


「……あり、がとう」

「どういたしまして」


 声がインクのように掠れていませんように。万里はそう願いながら声を振り絞った。



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