それぞれの事情 其の三・間違った者

 ……ああ、なんでこんなことに……。


 そう思わずにはいられなかった。

 どうしてこんなことになったんだろう、と自分の行いを振り返って見る。

 ……ううん、振り返らないとダメだった。

 【一人称単数】は今、



――地獄のような場所にいるのだから――。




 【一人称単数】はごくごく普通の一般家庭に生まれていた。

 父と母と姉と妹がいる五人家族。

 あまり裕福ではなかったものの、家族の仲は良く、幸せに暮らしていた。



――あの日が来るまでは――。



 【一人称単数】は過ちを犯した。

 それは小学校五年生の時だ。

 【一人称単数】には幼馴染がいて、【一人称単数】はその子に助けられてばかりだった。

 だから【一人称単数】はその子のことが好きだったし、その子も【一人称単数】のことが好きだったんだと思う。

 告白されて付き合うことになった。

 その直後の授業だった。


 アレについて学んだ。


 先生もいい加減だったと思う。

 興味を引くように説明していたけれど、肝心なところはぼかして曖昧にするんだもの。

 だから【一人称数】 は気になってしまった。

 【一人称数】は互いにマセていたんだと思う。


 【一人称数】はそういう関係を持ってしまった。


 それがばれて、親にひどく怒られた――なら、まだ楽になれたのかもしれない。

 【一人称単数】の親は【一人称単数】を怒らなかった。


 代わりにひどく悲しんだ。


 【一人称単数】の家族の関係はこれをきっかけにして拗れることになる。

 ……当たり前だけど。

 みんなが【一人称単数】のことを危険物でも扱うかのように接するようになった。

 精神に異常があるとでも思われていたかもしれない。


 そして、幼馴染のご両親にはすごい勢いで謝られたことを覚えている。

 あの子も頭を下げさせられていて。

 それが、なんか、なんとも言い表しにくい気持ちにさせられた。


 嫌々だったわけではなかったのに……。


 その子の家族は引っ越していってしまった。

 なんでも、親同士が話し合って、【一人称数】が近くにいたらよくない、とか。

 あの子も転校させられてしまった。

 【一人称単数】は悲しくて堪らなかった。


 あんなことしなければよかった、って激しく後悔した。



 しばらくはあの子のことを引きずっていたのだけれど、中学生になって前を向くことを決めた。

 それからは、ぬくもりを求めていたんだと思う。

 委員会の先輩に告白されて、その先輩と付き合うことになった。


 関係はすぐに求められた。


 けれど、その先輩は乱暴だった。


 あの子とは比べものにならなかった。

 もう結構前のことだったから美化されてしまっていたのかもしれないけれど、それでも先輩のは酷かったのだ。

 【一人称単数】はその行為を拒むようになった。

 すると、その先輩は暴走し始めた。



――先輩は家族に手を出したのだ――。



 標的となったのは姉だった。

 無理やり乱暴されたらしい。

 それを知った【一人称単数】は折れた。

 姉を助けるために。


 けれど、やはり痛かった。

 ぬくもりなんて感じられなかった。

 相手は満足していたみたいだったけれど、こっちにはつらさしかなかった。

 それでも、耐えるほかなかった。

 家族を、姉を守るためには。


 あれ以来、姉は部屋に引き籠ってしまった。

 他人が怖くて仕方がない、と言うのだ。

 家族すら信じられなくなってしまったようで、お風呂やトイレのために出てきた際に顔を合わせると、それだけで異様なほどびくびくさせてしまう。

 そんな姉を見るのは忍びなかった。


 だから、我慢した。

 耐えて、耐えて、耐えて。

 そして、【一人称単数】も我慢の限界を迎えた。


 恐怖と苦痛に耐えられなくなった【一人称単数】は部屋に閉じ籠った。


 あの先輩から逃げたのだ。

 でも、それがよくなかった。

 あの先輩は家に押し入ってきたのだ。

 両親と妹がいない平日の昼間に。

 あの先輩は姉を人質に取った。

 いうことを聞かなければ姉に酷いことをする、と脅してきた。

 【一人称単数】はその脅しに



――屈した――。



 姉の泣く顔はもう見たくなかったから。

 【一人称単数】は部屋から出た。

 出たくなんてなかったけど、出ざるを得なかった。


 それから、【一人称単数】は酷い仕打ちを受けた。


 それまでの比じゃなかった。


 痛くて

 悲しくて

 空しくて

 悔しくて

 腹立たしくて

 怖くて

 恐ろしくて

 悍ましくて

 つらくて

 冷たくて


 泣き出したいのに涙は出ないほどに心が荒んでいた。


 不幸中の幸いとでも言うべきか。

 【一人称単数】は救出された。

 帰ってきたお母さんが警察に連絡してくれて。

 先輩は住居への不法侵入とその他諸々の罪で捕まった。

 十四歳以上だから不起訴処分とはならないらしい。

 これで一応、脅かされる生活からは解放されることになった。

 ただ、元の生活に戻れたというわけではなかった。

 【一人称単数】と姉に植えつけられた傷は深かった。

 あの先輩が捕まった程度で言えるほどのものではなかったのだ。


 あれがあの状況でできるベストな選択だったのは理解できる。

 お母さんは迅速に対応してくれたのだろう。

 けれど、もう少し早く帰ってこられなかったのか、とどうしても思ってしまう。

 そうすれば、【一人称単数】はあんな気持ちを経験することなく済んだのに、と。

 どうしても親に当たってしまいたくなる。


 そして問題は姉だった。

 【一人称単数】同様、抜け殻みたいになってしまった姉。

 【一人称単数】はそれが、姉をそのようにしてしまったことが申し訳なくて、申し訳なくて……。

 【一人称単数】はひたすら謝った。

 それはもうひたすらに。

 これで何か解決できるとも思えなかった。

 けれど、そうする以外にできることは思いつかなくて、謝り続けた。


 そうして、



――姉が死んだ――。



 自殺だった。

 耐えられなかったそうだ。

 遺書に書いてあった。

 謝り続ける【一人称単数】の姿に罪悪感を抱いていた、と。

 【一人称単数】が、

 【一人称単数】が姉を追い詰めてしまった。

 【一人称単数】が



――姉を殺したんだ――。



 【一人称単数】は塞ぎ込んだ。

 その日から、家族から笑顔が消えた。



 【一人称単数】は、起きては部屋の隅で膝を抱えるだけの生活を送っていた。

 死にたかった。

 けれど、いざ死にかけてみると、死にたくないっていう気持ちが沸き起こってくる。

 【一人称単数】は食べ物を食べた。

 飲み物を飲んだ。

 そうして、どうして自分は死ねないのだろう、と自責の念に駆られた。

 【一人称単数】は心の底から自分のことが嫌いになった。


 家族もめちゃくちゃだった。

 【一人称単数】の所為だ。

 【一人称単数】が姿を見せなくなったから、気持ちを沈ませてしまったのだと思う。

 暗くて重い空気が家の中に充満していた。

 【一人称単数】が頑張れば悪い空気を換えることはできただろう。

 けれど、【一人称単数】にはもう、そんな気力は残されていなかった。


 どんな死に方ならこんな【一人称単数】でも死ねるのか、という考えが頭の中に充満した頃。

 その日も、その日で、【一人称単数】は食べ物を欲した。

 ……本当に嫌になる身体だ。

 【一人称単数】は自分を卑下しながら、部屋の前に置かれているお膳を取りに行った。

 そこには、いつも通りにご飯と、いつもとは違うものが置かれていた。

 それは封筒だった。


 差出人はあの子。



――幼馴染のあの子――。



 その名前を見た瞬間、【一人称単数】の身体は勝手に動き出した。

 コンマ数秒ではないかと思わせるほどの早業で開封し、中にあった紙を広げた。

 そこに記してあったのは、あの子の近況報告とあの時の過ちの謝罪、そして、「また会いたい」という言葉だった。


 涙が出てきた。

 あの日から一向に出てこなかった涙が。

 止まらなかった。

 堰を切ったように溢れ出した。

 温かかった。

 たったそれだけの言葉が凍り付いた【一人称単数】の心を融かしてくれた。


 【一人称単数】は改めた。

 あれが最後だったなんて考えたくない。

 もう一度、あの子に会いたい。

 その思いが、【一人称単数】の自殺を思いとどまらせた。


 【一人称単数】は一年半ぶりに自分の部屋を出た。


 それから必死に勉強して元の学力を取り戻した。

 学校の授業の内容にもなんとか追いついて、学校へ行ける目途が立った。

 外に出るのは怖かったけれど、勇気を出した。

 ずっと家の中にいてはあの子に会えないから。


 けれど、


――またしても、運命は【一人称単数】に牙を剥いた――。


 【一人称単数】は久し振りに中学校へ行こうとしたその日の朝、誘拐された。

 あとで知ったことだけれど、その犯人は有名な資産家の息子だったらしい。

 取り巻きを二人連れていて、三人がかりで【一人称単数】を連れ去った。


 最悪だった。

 いきなり眠らされて、どこかに運ばれた記憶はあったけれど、目が覚めたら知らない部屋に閉じ込められていたのだから。

 そしていつも傍には資産家の息子がいて。

 【一人称単数】は相手をさせられた。

 一緒だった。

 あの先輩と。

 こっちのことなんて考えていない独りよがりの行為。

 正直、気持ち悪かった。

 それでもずっと監視されていたから逃げることはできなくて。

 従うしか、なくて。


 何日、そうしていたのだろう。

 時間感覚が狂っていて、数日だったかもしれないし何カ月も経っていたかもしれない。

 【一人称単数】の心は壊れかけていた。

 それでも、完全に壊れなかったのは、幼馴染のあの子の言葉があったからだ。

 あの手紙が、【一人称単数】を繋ぎ止めていた。

 心を保てていたからあの息子にやられるのがよりつらかったのだけれど、それでも、心を保てていたからこそチャンスは訪れた。


 資産家の息子に用事ができて丸一日出かけることになったのである。


 【一人称単数】がそこへ連れられて行ってから、あいつが長いこと【一人称単数】から離れるのは初めてのことだった。

 こんなチャンスは二度と訪れないかもしれない。

 絶対にものにしてやる。

 【一人称単数】は虎視眈々と、けれど、慎重にタイミングを窺った。


 取り巻きの二人が【一人称単数】を見張ることになった。

 あの息子が出ていって数分後、二人は【一人称単数】に迫ってきた。

 幸い、【一人称単数】の運動神経はいい方で、その二人はどうにも運動ができなさそうだった。

 だから、難なく躱すことができた。

 そのまま【一人称単数】はこの部屋と他の空間を間仕切る扉へと直行した。

 ……ラッキー。

 鍵は掛けられていなかった。


 【一人称単数】はその部屋を出て、玄関へと向かい、施錠を外して外へ出た。

 知らない場所だったけれど、走った。

 走った。

 走った。

 走った。

 走った。

 無我夢中で。

 けれど、土地勘がなかったのが災いした。

 資産家の息子とその取り巻きたちが【一人称単数】に追いついてしまったのだ。

 【一人称単数】は抗ったけれど、捕まってしまった。

 彼らの目から逃れようとして人通りの少なそうな場所を選んでいたのが裏目に出た。

 そこには【一人称単数】と【一人称単数】を連れ去ろうとする彼らしかいなくて。

 【一人称単数】は諦めかけた。

 その時、



――一人の人物が近くを通りかかった――。



 小柄で前髪が伸びていて目元を隠している、猫背でその身を小さくさせていてなんとも気弱そうな人物だった。

 実際、【一人称単数】の置かれているこの状況を目にして逃げ出そうとしていた。

 ……ああ、あの弱そうな子ではどうにもならないだろう――なんて【一人称単数】も思った。

 けど、奴らの手が【一人称単数】の身体に迫ってきた時、【一人称単数】は思わず叫んでいた。


 『助けて!』と。



 ……………………。


 思ってもみなかった。

 【一人称単数】はまた、あの生活に逆戻りさせられるのだ、と諦観していた。

 けれど、そうはならなかった。

 あの気弱そうな子が庇ってくれたから。

 お世辞にも恰好良いとは言えない姿だったけれど。

 それでも、その身を挺して【一人称単数】を守ってくれた。

 ボコボコにされて、ボロボロになりながらも、その子は決して奴らの手を【一人称単数】に触れさせようとはしなかった。

 結局、その気弱そうな子が奴らを倒すことは叶わなかった。

 それでも、しつこく縋りついて奴らにやりたいことをやらせなかったことで、フラストレーションが溜まった奴らは叫び、それが近隣の住民に聞かれて警察を呼ばれたことで、奴らは逃げ出した。

 決して身体は強くはなかった。

 けれど、心は、

 心は誰よりも強かった。

 【一人称単数】はその姿に惹かれていた。


 【一人称単数】はその子に告白した。

 初めての自分からの告白。

 それは受け容れられて、【一人称数】は付き合うことになった。

 こんなにも温かい気持ちになったことはなかった。



 幸せだった。

 【一人称単数】と【一人称単数】を助けてくれた子の通う学校は違ったから長い時間を一緒にいることはできなかったけれど。

 この気弱そうでいてその芯はしっかりと通っている子は、【一人称単数】のことを何よりも大事にしてくれた。

 これまではすぐにああいう関係を迫ってくる人しかいなかったけど、この子は違った。

 【一人称単数】のことを大事に、大事に扱ってくれた。

 まるで宝物を愛でるかのように。

 それはそれでよかった。

 ……のだけれど。


 【一人称単数】は物足りなさを感じていた。


 端的に言うと、切なかったのだ。

 この子にはそういうことを求めてほしかった。


 そんなもやもやを抱えながら、【一人称単数】は高校生になった。


 通うのはあの子と同じ学校。

 これで進展できるって考えていたけれど、あの子は【一人称単数】を傷つけたくないって言ってそういう行為を避けた。

 「そういうのは君をちゃんと幸せにできるようになってからしたい」って言ってくれたのは嬉しかった。

 嬉しかったけど……!


 【一人称単数】はもうとっくに傷だらけなのだから、そんなことは気にしないでほしかった。


 なんとかしてあの子にその気になってもらうにはどうしたらいいか、と考えていた矢先のこと。

 ある生徒に囁かれる。



――『その子には危機感が足りないんじゃないかなぁ?』――と。



 その生徒曰く、「あの子に嫉妬させられれば独占欲を植えつけられるのではないか」とのことだった。

 【一人称単数】はこの言葉に、一理ある、と感じてしまった。

 だから【一人称単数】は、



――『君と楽しい日々を過ごしたいだけなのに』――。



 そう言ってあの子の元を去った。

 そして、あの生徒の企んでいることを見抜けなかった【一人称単数】は、


――地獄に堕ちた――。


 魔が差したんだ。

 あの子の、あの子の意見を聞いていれば、こんなことにはならなかった。

 【一人称単数】は自らあの幸せを手放してしまった。

 後悔してももう遅い。

 十分すぎるほどの幸せだったのにそれで満足できなかった強欲な【一人称単数】。

 それはあまりにも罪深くて。

 だから【一人称単数】は、


――死ぬのだ――。



―――――――――――――



「ごめんね、○○くん……。本当に、ごめんね……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る