それぞれの事情 其の六・ついてない者
……畜生、腐ってやがる。
けど、――ハッ。
【一人称単数】の人生なんて、こんなものだったな。
最低、最悪の両親。
酒に溺れ、暴力を振りまくるクズ野郎。
そんなクズ野郎のためだけに生きている傀儡。
【一人称単数】はそんな奴らを、当の昔に親だなんて思わなくなっていた。
奴らと血が繋がってるんだと思うだけで吐き気がする。
四六時中家にいるあの飲んだくれは、奴の操り人形と化した傀儡――母親を怒鳴っていたぶって嗤う。
痛めつけたあとは決まって泣きながら謝るのだという。
母親はそんな奴のために金を稼ぎ、奴のために身の回りの世話をして、奴のためにその身を捧げていた。
そうしてできたのが【一人称単数】であり、母親はあんな奴でも愛していたからか、その子どもである【一人称単数】のことも愛していた。
あの乱暴クズ野郎はそうでもなく、【一人称単数】のことを邪険に扱ってきたが。
そんなだったから、母親は【一人称単数】のことを一人で育てていた。
当然、育てられれば情も移るというもの。
【一人称単数】は母親のことを愛していた。
母親や【一人称単数】に暴力を振るうあいつのことを許せなかった。
小学校に上がった頃、【一人称単数】は到頭行動を起こした。
……起こしてしまった。
今から思えば、あれは蛮勇だったとはっきりとわかる。
【一人称単数】は、母を殴ったりその髪の毛を引っ張ったりする男と、母の間に割って入って立ちはだかろうとした。
しかし、こっちはガキで、あっちは大人だ。
敵うわけがなかった。
【一人称単数】は容易くぶっ飛ばされた。
クッソ痛かった。
それでも、母を守ろうとして立ち上がったんだ。
けど、【一人称単数】は絶望することになる。
そんな男に媚び
どうしてそっちに行くのか?
どうしてこっちの心配をしてくれないのか?
その疑問が頭の中を駆け巡った瞬間、
――母への思いは、脆くも崩れ去った――。
愛情が反転して、憎悪へと変わっていった。
あんなのはもう母親でもなんでもい。
ただの、傀儡だ。
【一人称単数】はそういうふうに認識を改めた。
これは今の【一人称単数】の人格を構成する大きな要素となる出来事だった。
家の中にはもう【一人称単数】の居場所はなかった。
そうなると、自然と外に居場所を求めるようになった。
つっても、親戚とか近所付き合いとかなかったから、その場所は必然的に学校になるわけで。
【一人称単数】は積極的に友だちをつくった。
友だちと遊んでいれば、その楽しさがあれば、あのクソみてぇな空間に押し込められる苦痛に耐えられたんだ。
だが、
やっと築いた【一人称単数】の居場所も崩されることになる。
あのクズどもの所為で。
――『【固有名詞】くんとはかかわらない方がいいんだよ!』――
ある時の、友だちになった一人の男子児童の言葉だ。
曰く、「【固有名詞】くんのお父さんは働いてなくてお酒ばっかり飲んでて痛いことばっかりしてくるクズっていう最低な人間なんだよ!」と。
曰く、「そんな【固有名詞】くんのお父さんと一緒になった【固有名詞】くんのお母さんも同じくらいクズなんだよ!」と。
曰く、「お父さんもお母さんもクズだから【固有名詞】くんもクズになるんだよ!」と。
曰く、「クズは
曰く、「お母さんがそう言ってた!」と。
……はぁ? 何言ってんだこいつ、って思ったね。
クズが感染するとか、んなアホなこと抜かしてんじゃねぇぞ? って。
まあ、仲間は呼ぶかも知れねぇがな、なんて。
ともかく、そいつの発言は親からの受け売りもいいところの酷い言いがかりでしかなかった。
【一人称単数】は否定した。
「【一人称単数】は違うんだ」って。
「あいつらと一緒にするな」って。
同列に扱われて不快だったから、語気は強まってたんだろう。
それが、いけなかった。
――『うわーっ! 怒った! クズだーっ!』――
【一人称単数】の態度が、そいつの発言に何故か信憑性を与えてしまった。
ガキっていうのは純粋ゆえにどこまでも残酷だ。
周りの奴らに「ああいうのがクズっていうのか」と捉えられてしまった。
友たちだと思っていた奴らが、一気に【一人称単数】の周りから離れていった。
【一人称単数】はその日から、早急に無視されたり、物を隠されたり壊されたり、嫌なことをされるようになって、
――翌日には、【一人称単数】の居場所はどこにもなくなっていた――
ああ、くそっ。
またあのクソどもかよ。
とことん【一人称単数】の人生を邪魔してきやがる。
親がクズってだけでこっちまでクズ扱いだ。
好んであんなのの元に生まれてきたわけじゃねぇのに。
マジで勘弁してほしい……。
【一人称単数】は度重なる嫌がらせを受けて、それを奥歯を噛みしめて耐えていた。
ここで手を出してしまったら、本当にあのクズ野郎と同類に、落ちぶれてしまうって思ったから。
担任が面倒事を引き受けたくなかったんだろう。
学校での出来事は両親に知らされることになる。
あのクズ野郎は、自分がクズだと認識されている事実を目の当たりにして腹を立て、【一人称単数】への虐待はエスカレートした。
【一人称単数】は耐えきれなくなって家を飛び出した。
つっても、当時の【一人称単数】は小学生だ。
日も暮れれば補導される。
まったく、この国の優秀な国家公務員サマはいい仕事をしてくれるぜ。
あの暴力クズ野郎の元に帰してくれたんだからな。
そのあとはまた暴力。
さっきより過激になった暴力を受けた。
逃げても無駄なのだ、と【一人称単数】はその幼さで絶望を知った。
みんなが【一人称単数】に酷いことをするか、それとも離れていくか、その二択を選ぶなか、一人だけ、【一人称単数】に関わってくる奴がいた。
クラス委員をしている奴だった。
【一人称単数】がハブられる前には接点なんてなかった奴なのだが、一人になった【一人称単数】に話し掛けてきた、まあ、なんとも変わった奴だった。
そいつは言っていた。
「おかしい」と。
「証拠もないのに決めつけるのはどうかしている」と。
どうも正義感が強いらしい。
なんの根拠もなしに【一人称単数】を除け者にしようとするみんなの姿勢に腹を立てたんだそうだ。
そいつは【一人称単数】とよく接するようになった。
そいつのお陰で、【一人称単数】は孤独になることはなかった。
だが、嫌われている【一人称単数】とつるむということはどういうことかっていうと、そいつも嫌われるっていうのと同義だった。
そいつも嫌がらせを受けるようになってしまった。
元々そいつは人気者だったんだ。
成績も良くて、頼りになって、顔もまあ良かったから。
そんな奴が、「まだなんの問題も起こしていない【一人称単数】を、親が問題を起こしているからこれから問題を起こすかもしれないって言うだけで仲間外れにするのはおかしい」って言ってくれた奴が、目の前で乱暴されている現実に、
――【一人称単数】はどうしようもなくむしゃくしゃした――。
こいつは間違ったことをしていない、言っていない。
それなのにこんな目に遭わなければいけない不条理に、気づけば【一人称単数】は、
――そいつに乱暴している奴らをぶっ飛ばしていた――。
これで【一人称単数】は名実ともにクズのレッテルを貼られ、見事、【一人称単数】が大っ嫌いな奴らの仲間入りを果たした。
人様の子どもに手を上げたってことで学校側はてんやわんや。
【一人称単数】は相手側の親に謝らせられ、
家に帰れば、「恥をかかすな」と何発も
「委員長に振るわれてた暴力は許されるのか」と【一人称単数】は抗議したが、取り合ってもらえず。
【一人称単数】は、またも世の中の不公平さを知らしめられた。
【一人称単数】は荒れた。
これで荒れない方がどうかしてるだろ。
それでも、【一人称単数】を庇ったあいつは【一人称単数】と接することをやめず、その所為で委員長をやめさせられていた。
どうして【一人称複数】がこんな仕打ちを受けねぇといけねぇのか?
どうして他の奴らは【一人称複数】みたいにならねぇのか?
奴らは【一人称複数】の苦痛なんて知らずに、知ろうともせずに幸せそうに笑って過ごしていやがった。
……本当に、嫌になった。
【一人称複数】は疎まれ続けながら中学生になった。
本当は【一人称単数】みたいなクズじゃなくて誰よりも慈しみの心を持っている委員長(【一人称単数】の中では、この人以外をそうだと思ったことはない)が嫌われているのが我慢ならなくて何回も突き放そうとしたけど、委員長は【一人称単数】についてきて離れようとしなかった。
【一人称単数】と一緒にいる所為で煙たがられてることは一目瞭然だったから、委員長のためを思うなら離れた方がいいに決まっていた。
それなのに、あいつはそれをわかっていたはずなのに。
中学では、【一人称単数】は喧嘩に明け暮れることになる。
ただ、ちょっと弁明させてもらうとすれば、こっちから吹っかけたことは一度だってねぇ。
態度が気に食わないって理由で、向こうから絡んできたんだ。
まあ、他にも一つ、理由はあったんじゃねぇかって推測はしているが。
兎に角、そんなわけで【一人称単数】の中学校生活は血生臭いものになった。
最初はビビっちまってたんだよなぁ。
何せ、殴られそうになった時、あのクズ野郎の幻影を見ちまったから。
けど、振られた拳に威力はなかった。
あの暴力クズ野郎が異常なまでに強かったってことを、【一人称単数】はそこで初めて知った。
ガキの頃からあんなイカれた力で殴られ続けてたんだ。
そりゃあ、今更中坊のパンチなんて屁でもねぇって感じになるわな。
更に言えば、【一人称単数】は強かった。
あの暴力クズ野郎からの遺伝だろう。
皮肉にも、それが助けになって、【一人称単数】が負けることはなかった。
それでも、【一人称単数】はあのクズ野郎みたいになりたかったわけじゃねぇし、基本は相手が諦めるまで回避に徹してたんだが。
ただ、委員長が絡むと話は別だった。
あいつを困らせたり、【一人称単数】を負かすためにあいつを利用したりしようものなら、【一人称単数】は容赦がなかった。
自分が抑えられなくなって、怒りのままに相手をボッコボコにしていた。
それも、一方的に、だ。
あれはもはや、喧嘩の
この力任せにやりすぎてしまう辺りが、【一人称単数】は奴らにつくられた存在で、やっぱりクズなんだな、ってつくづく思わされるんだ。
【一人称単数】が委員長に絡む奴らを
……解せない。
成績は良かったのに。
授業態度だって悪くなかったはずなのに。
ただ、少し人相が悪くて、突っかかってくる奴らの対応をしていただけでこの有様だ。
納得がいかねぇ……。
教師も他の生徒の奴らも、【一人称単数】が
そんななか、委員長だけはずっと傍にいた。
そんな中学生生活も終わりに差し掛かったある日のことだった。
学校から帰ったあと、あいつが――委員長が六人の野郎どもに囲まれているところを目撃した。
六人ともガラの悪い奴らだった。
委員長の背後で、少年が怯えてその背中にしがみついていた。
その少年を委員長が守ろうとしたのが瞬時に理解できた。
委員長はそういう奴だから。
困ってる奴を放っておけない、そんな性格だから。
そんなところに【一人称単数】は好感を持っていて。
……なんて、悠長に考えている場合ではなかった。
一人の男の手が、委員長に伸びていっているのを【一人称単数】は視認した。
その瞬間、【一人称単数】は駆けつけていた。
委員長に迫ろうとしていた奴を問答無用でぶっ飛ばし、仲間がやられて激昂して襲ってきた奴らを返り討ちにした。
【一人称単数】はこれで何度目かわからない委員長の護衛を成し遂げた。
守ったにもかかわらず、委員長は小言を言ってくるのだ。
やれ、「助けてくれたことには感謝するが、すぐに手が出るのはどうなんだ?」だの。
やれ、「話し合いで解決できれば敵を増やさずに済むのではないか?」だの。
毎度、毎度、そんなことを。
……うるせぇ。
毎回のことだからもう慣れてはいたが。
お前は【一人称単数】のオカンか? ってツッコみたくなった。
まあ、実際のオカンはそんなことしてくれたことなんてねぇから、あくまでフィクションの中、想像の話でしかなかったけど。
いつものようにそんなやり取りをしていたそのあと、恒例とは違う展開がやってきた。
委員長に守られていた少年が話しかけてきたのだ。
――舎弟にしてください――と。
【一人称単数】は子分なんてほしくなかった。
別に不良になりたくてなったわけではなかったのだから。
断ろうとした。
けれど、そいつがあまりにも熱心すぎて。
渋々、【一人称単数】は折れることになった。
しかし、【一人称単数】は思いもしなかった。
このこいつとの出会いが、
――【一人称複数】の運命を大きく捻じ曲げることになろうとは――。
―――――――――――――
「ああ? 最初に裏切ったのはテメェだろうが。抜かしてんじゃねぇ。――ぶっ殺してやる!」
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