『白菊の花』
思えば、教室に入る前からおかしかった。
何人かの生徒がこっちを見てひそひそと話し合っていたのだ。
「……ね、ねえ、あれって……」
「……ああ。『予兆』、だよな……」
「……や、やっぱり、そう、だよね? ってことは、あの人も……」
噂になっている。
――『白菊の花』――
俺たちの通うこの学校に存在する七不思議のひとつだ。
――「この花が置かれた席を使っている生徒は一週間以内に行方不明になる」――
というのが、この怪異の内容であった。
俺はこの手の話を信じていない。
七不思議なんてものはある意味訓戒の一種だと捉えている。「子どもが夜遅い時間まで出歩かないように」とつくられた脅しの類である、と。
この世には科学で説明がつかないものがあることは理解しているが、噂はあくまで噂でしかなく、実際に確かめた者は殆どいないだろうと判断している。俺は小学生のころ校舎で行われたキャンプの際に調べたことがあるが、何も起こらなかった。よって、こういうものは根拠のないジョークかジンクスといったものを元とした創作物だと認識していた。
しかし、この学校の七不思議『白菊の花』で被害者らしき生徒が現れてしまった。
十三日前から同じ学年の四組に在籍する
それだけなら「彼女が不登校になったのでは?」で、片づけられるのだが、九日前から同学年二組の
特に鬼灯は一年の時、無遅刻無欠席の模範的な生徒だったため、彼女が四日も欠席しているというのは異常事態と言っていい。
学校側はこのことについての言及を避け、生徒たちには説明を行っていない。ただ、その所為で余計な憶測が立てられてしまっているのが現状だ。
彼女たちがいなくなる前、彼女たちの机の上に白い菊の花が置かれていた気がする――誰かがそういえば、七不思議『白菊の花』の怪異の内容の信憑性が増していった。
――置かれれば行方不明になる白い菊の花――。
それが今、俺の机の上にある。どうして俺なのか、がさっぱりだが……。
「に、兄さん……っ」
俺が訝しげにその花を睨んでいると、一緒に登校していた妹のミキが物凄い心配顔をこちらに向けてきた。この子も噂は知っていたようだ。俺は大事な妹の不安を取り払うように笑顔を向けて言った。
「大丈夫だって。ただの悪戯かもしれないだろ?」
そう言いながら頭を撫でてやる。妹は顔を
しかし。とは言ったものの……。何かしらの対策は必要かもしれない。
七不思議が事実かどうかは定かでないが、三人の生徒が消息を絶っているのは事実なのだ。何かがあって妹を悲しませることだけは避けたい。そう思った俺は周囲を見渡した。
既に半数近くのクラスメイトたちが登校していた。俺と目が合うとその九割の生徒が視線を外す。……この花について何か知っているのか? それとも後ろめたいことでもあるのか……。ただ、俺は目つきが悪いらしい。睨まれていると勘違いして視線を逸らしただけという可能性もある。
彼らが視線を逸らした理由を見極めようとしていると、ある二人の生徒が俺たちの元へやってくる。俺をずっと見ていた生徒だ。
「きしゃしゃしゃしゃ! な~んか浮かない顔してるっスねぇ~! ど~したんスかぁ~?」
……何をわかりきったことを。交友関係を持たない俺だってこの花が置かれていることの意味を知っているんだ。こいつが知らないとは思えない。ミキも村主に対して嫌悪感を露わにして、俺の後ろに隠れた。
「……そりゃあ、生きてるのにこんなことされちゃあ、誰だって気分はよくならないだろ、普通」
とりあえず、一般的なことを述べておく。
「机の上に白い菊の花を飾る」というのは、死んだ人に対して行われる行為であるはずだ。俺には身近でこういったことが行われた経験がなく、調べたこともないから全くもって現実味がなくて知識としてあやふやだった。だが、死者に対して行われるべきことが生者に対して行われたのだとしたら、それは嫌がらせ以外のなにものでもないだろう。それも相当悪質なものであると言える。それならば、俺が不機嫌になるのも道理であるはずだ。傍から見ても村主の方が的外れな質問をしている。
俺がそう返すと、村主は小馬鹿にするような笑みを浮かべて言ってきた。
「いやいやいや! 知らないんスかぁ? 今持ち切りっスよ? この学校の七不思議『白菊の花』は! これを置かれた席のヤツは一週間以内に行方不明になるっス! もう既に怪異に呑み込まれた子たちもいるんスからね! 四組の笹川さんとか、二組の月見里さんとか! あとは一組の真菰ちゃんと、五組の男子……あれ? 名前、なんて言ったっスかねぇ……」
「……
「そう! それっス! それで、今回がアンタ! アンタもすぐにいなくなっちゃうっスよ!? なんてったって、もう四人もいなくなってるんスから! ってことはこの七不思議、確実に存在してるってことっスもん!」
途中、付き添いである大柄な男子生徒・菖蒲
それにしても……なんなんだ? なんでいきなりこんなに絡んでくるんだ? これまで接点なんてなかったというのに……。俺が『白菊の花』の標的になったからか? 違和感しかない。
とりあえず、新しく出てきた情報は精査した方がいいだろう、と俺は尋ねた。
「……甘花? そいつも学校に来なくなったのか? 笹川たちのことは噂で知ってたけど、そいつの話は初めて聞いたぞ?」
俺は甘花まつりという人物について知りたかった。
それまでの三人は女子生徒だった。それも全員が可愛い、綺麗だ、と評判の。だから俺は、この『白菊の花』というのは七不思議を
しかし、ここで男子だという甘花まつりが標的になっていたことを知らされる。男子の名前を出されたとなれば、俺の推理には穴があったと言わざるを得ない。犯罪の線が薄れてしまった。
俺の問いに村主が答える。
「いんや? 甘花はまだ消えてないっスよ? でも、もう時間の問題っスよ。あいつの机には菊の花が置かれてたんスから! それが四日前! 絶賛呪われ中なんスよ、あいつは! 残された時間は最大で三日! 相当参ってたみたいっスけど、これから何が起こるんスかねぇ~!?」
きしゃしゃ、と村主は嗤いながら語った。……こいつ。他人の不幸を娯楽か何かと勘違いしてるんじゃないか? ミキもまるでゴミムシでも見るかのような視線を俺の背中から少しだけ顔を覗かせて向けていた。
このままではミキの精神衛生上よろしくない。こいつとの会話は早々に切り上げるべきだ。そう判断し、俺はこれを最後にしようとツッコんだ。
「……っていうかさ、なんで俺に絡んできたんだよ? 俺を不安にしようとしないでくれない? あと俺に、何浮かない顔してんだって聞いてきたくせに七不思議のことは知ってたし、その怪異の巻き込まれた人たちのことも知ってたよな? 甘花の
――この七不思議の何を知ってんの?――」
「っ!?」
俺は凄みながら質した。声を幾分か低くつくって。悲しいことに俺には変声期などついぞ訪れなくて、こうでもしないと威厳を出せなかったから。
こいつには何かある。俺を不安に駆らさせようとしている様子から何か企んでいるのは明らかだ。それがなんなのかは判然としなかったけど。ただ、パターンは二つだと思う。
「七不思議を構成し、広めて生徒たちを畏怖させたい」か、
「七不思議を隠れ蓑として悪事をカモフラージュするために利用しているか」だ。
どちらにしても、この七不思議のなんらかの情報は得ているに違いない。
俺の言葉に、村主は驚愕の表情を浮かべて
数十秒、ビビり散らかしていた村主であったが、我に返って俺に言葉で噛みつき出す。
「は、はぁ!? な、何も知ってるワケないじゃないっスか! ウチは何も知らないっスよ!? い、いや! そうじゃなくて……っ! そ、そう! 知ってるも何も、これが七不思議なんスよ! 怪奇現象! 科学では説明がつかないことが起きてるんス! 今まさに! 朝学校に来たら誰も知らぬ間に白菊の花が置かれてて、笹川さんたち三人は不可解な力によって消えちゃったんス! で、甘花も消されようとしてる! もちろん、アンタも! 理解ができなくて受け容れられないからって妙な言いがかりをつけるのはやめてほしいっスね! 巻き込まれたくないっていうのはわかるっスけど、実際に三人は行方不明になってるんス! 今のところこの七不思議は百発百中なんスから、諦めて残りの時間を楽しんだ方が身のためなんじゃないっスか!?」
焦ったように早口で捲くし立てる村主の様子に、俺の疑念は確信へと変わっていった。
――村主は『白菊の花』に隠されている秘密を知る人間だ――と。
俺がそう結論付けていると、村主が吐き捨てるように言った。
「そうっスよ! アンタは既に呪われてるんスから、もうどうにもならないんスよ! 消えるまであと最大一週間! その間、いつ消えるかびくびくしながら過ごすといいっス!」
負け犬の遠吠えのようなセリフを吐き出した村主は、「行くっスよ、菖蒲っち!」と、従者に呼び掛けて自席の方へと向かっていった。移動をせっつかれた菖蒲だが、彼は一度、ほんの僅かな時間こっちの方を向いた。菖蒲の外見は「とある科学者がつくしだしたとされる人造人間」のように大柄で厳つく、常にムッとしたような表情なのだが、その時に見せた顔はどこか物悲しさが感じられるものだった。
「……私、あの人、好きじゃありません」
それまで黙っていたミキが離れていく村主を見て、届かないように小声で言ってくる。俺は苦笑しながら同意し、机の上を我が物顔で占領している花瓶を教室後方にあるロッカーの上に移した。
コトッと置いた時、振動で一輪の花が傾き、その正面を俺の方へと向けた。それはまるで俺を狙っているかのようで、本当に呪いがあるのではないか、と感じさせるほどに俺の瞳には不気味に映った。
――『今のところ七不思議は百発百中なんスから』――
村主の言葉が思い返される。……さて。どうしたものか。この失踪事件が七不思議の呪いによるものなら対処するのは至難だろう。けれど、そうではなく、これが七不思議を騙った呪いとは全く関係のない科学で説明のつくことであったなら、予防することは可能だ。
どうにもあいつの語る七不思議『白菊の花』は胡散臭い。態度とセリフが七不思議を支持するオカルトマニアのそれとは合っていない。畏怖を感じられないのだ。自分が巻き込まれるとはまるで思っていない。いいや、あれは自身が巻き込まれることなど絶対にないと確信している振る舞い方だった。……まあ、そう見えただけという可能性もなくはないが。さっきは特殊なフィルターをかけて見ていたから。オカルトなんて信じたくないっていうフィルターをかけて。
「兄さん、本当に大丈夫?」
思考の海に
「大丈夫だよ。そんな顔すんな。俺はお前の笑ってる顔が一番好きなんだ。だから、お前から笑顔を奪い去るようなことなんて絶対にしないって」
そう言うと、ミキは複雑そうな顔をする。嬉しそうに笑っているのだけれど、そこにどこか寂しさのようなものが垣間見える気がした。
ミキの不安を払拭したくて頭を撫でていると、続々と生徒が教室に入ってきた。時計を見るとあと二、三分で朝のホームルームが始まる時間になっていた。俺たちもそろそろ席に着いておこうか、などとミキと話していると今教室に入ってきた一人の男子生徒が話しかけてくる。
「お、おおおお、おおおおおおおおはようっ!」
「……おはよう」
俺たちと節分はちょっとだけ長めの付き合いだが、ミキはこいつを苦手としているようだ。興奮気味の節分の挨拶に俺は返したが、ミキは黙って俺の後ろに隠れた。節分はそれを気にすることなく、自分の席に着いてカバンから用具を取り出している。それを見た俺たちは、まだカバンの中身を取り出していないことに気づいて慌てて席に戻った。
ちなみに、このクラスは三十六人の生徒がおり、席は六×六の配列で、俺の席は一番後ろの真ん中の左側であり、節分とは反対側のミキの隣だ。
教科書類を机の中に入れ終えて少し経つとチャイムが鳴り、担任の先生が教室に入ってくる――のがいつものことなのだが……。
この日は違っていた。
「えー、山中先生は急病でお休みとなります。山中先生が戻られるまでのしばらくの間は私が代理を務めさせていただきます」
教室に入り、教壇に立ってそう言ったのは学年主任を務める教師・
雛菱先生は続けざまにこう言った。
「それから日直は誰ですか? 日誌を取りにくるルールになっているはずですが?」
紙の束を挟んだ黒いファイルを掲げながら。
……あ。いつもと違うことが起きていたからすっかり忘れてた。今日は俺とミキが日直だった。
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