舞台ダブルの感想。
荒川 麻衣
第1話 儚くもつたない、演劇に対する感想と、どうしても捨てきれない夢と。
その劇作家が、学生運動をやめたあと、公務員になった人間をこころよく思ってないのを知ったのは、大学生時代に住んでいた、女子寮の共用スペースにおいてあった、朝日新聞の追悼特集だと記憶している。
わたしが学生運動をやめたのは、高校卒業と同時に、である。大学に入ってからふ抜けと化した私は、演劇に対する情熱も失いかけていたし、人生に対して大きな挫折を。具体的には引きこもりという形で、社会からはずれたので、本当に、あの頃感じた劣等感、周りは着実にキャリア、実績を積み重ねていた。
高校時代、私の周りには、才能のかたまりしかいなかった。演技のレッスンに通ったことないのに、演技の上手い女の子。
アナウンサーばりに原稿を綺麗に読む女の子。
絶対にかまない、アクセントに間違いのない男の子。
脚本が面白く、全国を狙えるんじゃないか、という天才的な男の子。
2003年、高校二年生の秋、という中途半端な時期に入った、水戸一高の放送委員会には、才能の塊しかいなかった。
それから20年経った今。
自分よりはるかに演技がうまくて、脚本を書くのがうまかった彼らを、芸能界で見ることは、ない。
ぼんやりと生き残ってしまった。
1997年。
私は、脚本の勉強をするために、児童劇団に入った。
あれから26年。
児童劇団は、もう、ない。
自分だけが生き残っていて、ひとりきり、という気分だ。
結局のところ、私は今、つかさんが嫌っていた、「学生運動をやめたあと公務員になった連中」になっている。
正直、舞台ダブルを見た前、半分、つかさんに申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、つかさんの写真を見ただけで泣いたし。
周りの女性客、自分と同じ年頃の女性たちが、原画を見てきゃあきゃあ楽しんでいたり、俳優さんの写真にキャーキャー言っているのを見て。
わたしは、結局、どこでもひとりなのだと思った。
あの時もひとりだったし、結局これからは、どんどん、先輩は亡くなり、後輩はやめていき、自分だけが残る。
つかさんが生きていた時代も、蜷川さんがいたことも知らない世代がこの世界に来るのだろう。
背中で見せることもせず、中途半端に芸能界を横目で見ながら、それでも、同期の死体を横目に、死んで行った人間の遺影を目にしながら、わたしもいつかは死んでいくのだろうな。
舞台ダブルの感想。 荒川 麻衣 @arakawamai
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