踏切にて【5】結衣

「夢の連鎖で紡がれた世界の終着地点、テルミナスを探し見つけ出す。でも、きっとまだその世界は存在していない。だからそれになりうる世界の道を正して導く。それが私達の目的だよ」

 テルミナス、終着地と言う意味か。かなり安直だが、そこに意味は求めていないのだろう。


 私は再度椅子に座りなおして、少女の話を聞く。条件を飲んでしまった以上、できるだけ彼女と話をする方が得策だと切り替えることにした。


「そして私達が目指す世界に一番近い道を栢野雪のいるこの空間は持っている。それは誰か1人のおかげではない。この世界の最適な運命を操作した未来の人と、その未来の人で...とその過去は計り知れない。だから、このチャンスを逃せないの」

 そこまで言うと、彼女は表情を暗くした。

「人間に知が与えられ、国を形成してからこの世界に至るまで私達は順調だった。けれど、栢野雪の望みで作られる橘夏向の世界はなんとしても止めなければいけない。こんなたった1つの過程の世界で途切れるなんてあってはいけないの」


 つまり、夢を見て、過去の世界に変えてほしい事を伝え世界の運命を変える。その世界でまた誰かが夢を見て運命を変えてもらう。その幾億万人の理想の世界から1番テルミナスに近い世界にフォーカスする。彼らはきっとそれを繰り返しているのだろう。


「宇宙が遠ければ遠くなるほど時間が過去になっていく様に、その先にある真の地球を探しているみたいだね」

 ふと思った事を呟くと、彼女は好反応を示した。

「貴方はやっぱり才があるわ。それとも昔の集会で誰かが言っていた事を覚えてたのかな。

 何はともあれ、つまりそういう事。今いる宇宙には限界があって、その先に新しい地球がある。そこは前の地球から1つ運命が変わった世界があり、またそこで運命を1つ変える。その有り得るであろう数えきれない世界から、1つを見つけ出す。そう説いているの」

 未来の雪の世界が最適なのだというのなら、人類が夢を見始めてから今までの出来事は全て正しいルートであるという事だ。


 そして、この夢の連鎖は相当規模が計り知れないものだった。

 この理論で行けば、誰かが夢を引き継ぐその世界も、その人がその夢を引き継がせるための世界であるのだ。

 つまり私が生きている世界は夏向くんが運命を変えるための世界で、彼が運命を変えた瞬間、全人類かはわからないが、その他の人が過去の誰かに変えたい運命を伝えることができるようになる。そしてその伝えられる一人一人に世界が存在し、そこで運命を変えた後、誰かがまた過去の人に伝えられるようになる仕組みであった。

 普通なら頭がこんがらがっておかしくなるはずなのだが、意外にもすとんと理解できたあたり、きっと昔散々聞かされていたのだろう。


「栢野雪が望める世界を作ったのは、幼いアフリカの少年らしい。国の内戦で母と共に人質にされ、母は少年を庇って死んだ。その絶望で気を失った彼が見た夢で、その内戦を引き起こした革命軍のリーダーと会った。さらにその時のリーダーは、まだ軍を発足しておらず思い悩んでいる時期だった。幼い少年が戦争で喪う罪なき人、母の死の嘆きを聞いた彼は、その世界で内戦を引き起こす事はなかった」

 彼女が先程から黙っている私を見つめる。

 涼しげな眼の奥に神秘的な何かを感じた。それが彼女の、人間を超越したかのような雰囲気を醸し出している。


 彼女は話をつづけた。

「この夢の連鎖はあまりにも果てしなく膨大なものだと思っているよね。

 確かにこの世界が1つの神を信じ、1つの言語しか存在せず、肌の色や物の考え方で争わなければ、この夢をの連鎖などする必要もなく幸せに暮らせるだろうね。

 でもこの世界は言語も違えば信じる神も違い、銃声が鳴りやまなければ、流れる血の涙も止まらない。肌の色や能力の優劣で差別が起き、人間こその性のあり方を特別に区分けして、特別な対応をとろうと必死になっている。

 そしてなにより、夢で過去に自分の運命を委ねられるのは、それ相応の想いがなければいけない。

 アフリカの少年に限らず、あの内戦の影響でほとんどの人が夢を見ることができた。しかしその多くは言語が違い、言語が通じ合ってもそれが真逆の思想であればその場で殺し合いになる。そんな中、彼が唯一の正解に導かれた。実際にあの内戦の猛火は消えることなく、その戦争の規模はどんどんと大きくなり、やがて大国を引き入れ世界大戦となる。軍事力が上がっている今の時代に起こる戦争は、復興の余地なく全てが塵と化した世界は混乱の渦から抜け出せなくなってしまう。あの少年がいなければ、今のような幸せな生活はなかったって事だよ。

 つまり何が言いたいかってね、夢で言語が通じ合いその夢を引き継いで叶えるなんて、ほとんど有り得ない事なの。

 だから今回のケースは本当に珍しくて、だからこそ、注意深く監視しなければならない。すると栢野雪は橘夏向になんて言ったって?それは本当に、本当に阻止しなければいけない事なんだ。このままでは夢はリセットされ、計画は大破綻しちゃう。

 どう?私の言っている事は伝わったかな」

 

 長いようであっという間に伝えられたその内容に、私は何とも言えぬ心境に陥っていた。

 少年は確かに夢で運命を変えたいと願った訳だが、きっとそれは夢の中で嘆いただけであって、目が覚めて平和になっている事なんて有り得なかった。きっと少女らは、今の世界も過程の一部であって、その世界自体どうでも良いと考えているのだろう。


 そう考えるとやはり彼らの言い分は受け付けられるものではなかった。

「両親がああいう人だから慣れてるところもあるかもしれないけど、私は基本的にそういうスピリチュアルな事信じてないんだ。まぁ、実際にこういう話を、こんな夢の世界で伝えられたら信じてしまいそうになってしまう。

 でも私はすでに私だけのスピリチュアルを持ってるから、なんと言われようともそれを信じることはできないよ。

 スピリチュアルっていうのは、自分だけの精神哲学だと思っているよ。モチベアップとか理不尽なことが起きた時の気持ちの切り替えには悪くないと思う。

 でもそれで他人を否定したり強要するのは違う。だから、私は君の考えを否定はしないが信じることはしないよ」

 そう私が言い切ると、彼女の表情が曇る。


「惜しいな。本当に惜しい。貴方ならきっと立派な羊飼いになれるというのに、貴方みたいな、『わかっている』人ほど、現実のこの世界で留まってはいけないと思うの」

 そう言って、彼女はコーヒーを飲み干す。

「あんまりこういうスピリチュアルの概念みたいな話はしたくないんだけど...仕方がないね。新しい入信者が来た時の様に話をするよ」

 まず前提として、彼女の考え方と私の考え方は違っているのだが、その事なんか気にせず彼女は話し出す。

 この世界に、個人的なスピリチュアルなど存在しない。彼女はそう切り出した。


「科学で物事を説明できると信じる人は、生まれること、死ぬことを説明できない。なぜ生まれてくるのか。なぜ死ぬのか。そして死んだらどうなるのか。その答えは考えなくてもわかるものなの。

 スピリチュアルは物事の真実であり、現実界を大きく包むもの。逆に言えば、現実界は小さな世界なんだよ。

 釈迦もキリストもムハンマドも、それを理解している。

 スピリチュアルが嘘の世界、眉唾の世界、幻想の世界、そのように考える人はイメージの限界が低いヒトで、結果的には羊で終わる人。

 羊ではなく羊飼いになる人は、外の世界が見えるから、彼らを導くけれど、羊には周囲の羊しか見えないから、ただ後ろをついていくだけ。羊は外の世界には気付きもしないから、それはそれで幸せなんでしょうね。

 実際に私も幼い時はそうだった。夜の星空を天井だと思い、自分の足で立っている地面は漠然とそれ以下はないと思っていた程だったわ。


 沼に浮く人は全部わかっているけれど、理解できない人は、どう説明しても理解できなくて、そんな盲目の羊を相手にするのはエネルギーに無駄なので、あえて「こうですよ」とは言わない。教えても理解できないからね。

 ところが浮く人同士では、そんなの「当たり前だよね」となるから、説明が要らないだけではなく、もっと高い次元へ互いを高め合って進むことができる。沈む人は、そこに居続け、ただ沈むだけの存在になってしまう。

 分かって無いなあ、と残念に思うけれど、常識という限られた範囲しか聞く耳を持たないので、羊は否定しまくってばっか。イメージの限界なんだろうね。見えないものを理解する能力の限界。

「あなたはなぜそこにいるのですか?」

「あなたはなぜ生きているのですか?」

 こんな簡単なことにも羊は答えられないの。

 沼に浮く人、つまり羊飼いはとてもラクチンな人生を送れる。心の迷いがないし、なんでも説明できる。そんなの簡単です、と説明できる。

  迷わないから無駄もない。エネルギーが集まってくる、というか自分の求めるものが向こうから近寄ってくるからやすやすと人生を泳いでいける。

 沈む人には、何となく感じるけれど、説明できないので沼に沈んでいってしまう。たまに浮く人に引っ張り上げてもらって沼に浮く人になる人もいるけどね

 さらに沈む人の外にいる羊には、この感覚を感じることができない、その感覚すら分からないみたい。目に見えるものしか信じないような人達だね。

 沼に浮く人が本物か否かは簡単に分かるわ。

 今のあなたは浮けると確信しているのに沼に飛び込まない人間なの」

 話の区切りがついたのか、彼女は黙って私の方を見続けている。


 私の方はというと途中から聞くのも嫌になってしまっていて、気づけば良かった姿勢も少し悪くなってしまっている。

 根本的に違う話をされても、ああそうですかとしか言いようがない。私を信じ込ませる事ができるとすれば、1回脳みそを抜かないと無理だろう。

 あまり良い反応が見れなかったからか、とうとう少女はむすっとしてしまう。夢だとかスピリチュアルとかなければ、さりげない仕草や声の抑揚はただただかわいい子なんだけどなと思った。もし近所にいたら妹の様にかわいがってあげたいのだけれど。


 あんまりにも沈黙が続いたからだろうか、少女は聞く。

「貴方は、分からない事を分からないで決めつける事ができるっていうの?テルミナスにはわからない事なんてない。みんなが沼の上に立ち、そんなの簡単さと語り合える。さらに言えばわかる事をさらに発展させる事だってできる。それは人類の進化でもあり、より平和で理想的な世界が構築されていくんだよ。

 貴方はそれを求めていないっていうの?」

 彼女は、姿勢を崩さなかったが、その言葉には気持ちがこもっていた。だからこそ、私はそれを否定する事はできないのだ。


「私は、誰かに飼われたりするのはごめんなんだ。だから羊にもなれないし、羊飼いにもなれない。だって羊飼いもまた、誰かに飼われてるようなものでしょ?目的のためにせっせと働かされてさ。それだと私の本望は叶わないのさ」

 理解ができていないのだろうか、彼女は相槌も打たずに私を見続けている

「私の精神哲学はね、わからない事がなかったらわかる事もできないっていう考え方なんだよね。よく雪からは結局わからないって言われる事が多いけれど、そのわかりそうでわからない事が人間を美しく見せると思うんだ。

 記憶の美化、延いては夢の望みは私だってする。もっとこうだったらああだったらとね。それが叶うのならとても嬉しい事かもね。


 でも、底なし沼の底には何があると思う?


 私の信じているものはその先にあるんだ。わからない、わかろうとしない、だから沈むんじゃない。君の様に言うなら、世界事沼に落ちればいいのさ」


 話す事がなくなり、私は彼女の言葉を待った。これで考え方を改めて貰うとか、そういうのは求めていない。だが、そういう考えも1つあるんだとわかって欲しかった。きっとそれも無理でしょうけど。


「私、貴方の事がわからないわ」

 予想通り、彼女は当然の様に言った。

「じゃあ一緒に沼に落ちよっか?」

 私のダメ元の誘いを、少女はアホらしとでもいう様な顔をして言う。

「そんな事、天地がひっくり返っても起きないからね。でも、テルミナスに辿り着いた時はきっと、貴方の事がわかるはずだから。その世界での麻月結衣とは親友になるから、気長に待っててね」

 次に瞬きすると、彼女の姿はいなくなっていた。


 どんなにおかしい事が起こっても、行き場のない疲れがどっと押し寄せてきていて、今はそれ所ではない。私はゆっくり息を吐いて目を瞑った。

 

 どうやら、私達は真逆の人間らしい。しかし、目指しているものは案外近いのかもしれない。

 そう言うときっと雪は、やっぱりわからないと言って笑うのだろう。


 最近睡眠の質が悪いなと、私は滑り落ちる自我の中、ふと思った。


 



 

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