踏切にて【4】結衣
冷ややかな空気を感じて目を開けると、私はその情景にほっと息を零す。
この踏切は、どうしてここまで美しく見えるのだろうか。それはまるで生き物の様であり、無機物を極限まで突き詰めた結果の産物の様でもある。背景も夜空も全てが1つの作品の様に見え、その中で1つの街灯に照らされて時を紡ぐ雪と夏向くんはあまりにも異質で不思議に感じた。
そしてこの光景が私は好きだった。まるで世界に人間が彼らしかおらず、この踏切でひっそりと暮らしているかのような。まぁそれにしては警報音がうるさいのだけれど。でもそのおかげで、彼らは外の様子を気にしなくて良い。きっと踏切の中は無音に等しいのだろう。
夢の事を踏切にいる雪に言うと言っていたが、果たしてどのような反応をするのか心配なところであった。様子を見るに、まだ話し始めていないのだろう。自然に零れだす雪の笑みが、少し心臓を締め付けている。
こつん、と1つ音が聞こえる。
「こんばんは。ここは良い星空ね」
ふいに、横から声が聞こえ私は驚いて飛び退く。というより実際には体が動かないからそのような事はできないけれど。
「あれ、驚かしたつもりなのに体はびくともしない。面白い...って思ったけど、動けないの?もしかして喋る事もできない?」
目の前に姿を現した女性は私の前で手を振っている。
白のワンピースに靴を履かず裸足のままでいる彼女は幼い少女にも見えたが、少し垢ぬけた顔と体つきや口調が大人っぽくも見えた。
「うーん、せっかくだっからお話ししたいし、動かしてあげる」
そう言った彼女は私の額に腕を伸ばして触れた。
その瞬間、私の体が自由になる。この空間で初めて動いた体はまだ正常に動かず、声を出そうにも喉がえずいて上手く話せない。
「そんなに焦らなくて良いよ。ゆっくり深呼吸して、心を落ち着かせて。貴方はあの2人のお知り合いなんでしょう?ぜひ2人について話を聞きたいんだ。まぁでもその前に軽く挨拶してくるね」
そう言いながら彼女は踏切の方へ歩いて、遮断機に手をかけようとする。
その時、私の足は動いていた。
「待って、くれ。そこには入らないでもらいたい。あそこは大事な空間だから」
なんとかして声を出すが、彼女は聞く耳を持たずその遮断機に手をかけた。しかしそこから一向に動かない。
やがて彼女は私の方に近づいていき、地面に手をついていた私に手を差し伸べる。
「やっぱり一筋縄にはいかないな。どうやらあの踏切は当分開けられないと思うし、今日は貴方と話す時間にしよ。ね、
確かに少女は私の名前を口にした。
しかし、状況が未だ理解しがたいこの状況で、私は彼女の言う通りにするしかなかった。
踏切を背にし、少女は歩きだす。
「この空間は踏切を中心としているからあんまり遠くには行けないけど、ある程度までの距離だったら夢の主に気づかずに拡張することはできる。今回の場合は橘夏向が主のパートナーだから、私の力を使う必要がないんだけどね」
そう言って、角を曲がり少し真っ直ぐ行くと右手に見える一軒家で彼女は立ち止まった。
「さ、入って入って」
さも当然の様にドアを開け、私を中へ促す。
今置かれている状況を少しずつ理解し始めた私は、彼女が教団の関係者である事はわかっていた。だからここで正直に行き過ぎると、どこかで取り返しがつかなくなるかもしれない。しかし、夏向くんのためにもここでさらに情報を得るのは得策だし、万が一何かあっても、ここが夢であり現実ではない。この事が少しばかりだが、私自身を安心させることができた。
家の中に入る直前、私は表札に目をやる。そこには『橘』と大理石の表札に黒く一文字書彫られていた。
「どうぞ」
そう言って、彼女はコーヒーを置く。
「モカだけど良い?ミルクか砂糖は」
「大丈夫だよ、ありがとう」
マグカップに広がる暗い闇から湯気が香り立つ。彼女はすでに1口目を啜っていて、うげぇと酸っぱい顔をしている。
「それで、どんな話をするんだい?」
「楽しい話だよ。そんなに心配しないで」
改めて私を見やった彼女は、少し微笑みながらそうつぶやく。
「麻月さん...きっと両親が参加されてるね。私は最近みんなと顔を合わせ始めたからまだ把握はできていないけれど、支部は
この手の話は、正直情報を掴むには色々吞むしかなできない。
コーヒーに手を付けていないのにも関わらず苦みに耐える様に表情が強張っているだろう自分が嫌だった。
私が頷くと彼女は「やっぱり」とつぶやいた。
「色々なところを回って、この支部が最後だったんだ。明日の集会でその人達に会うから思い出せなかったんだね。良かった良かった」
少女は胸を撫でおろし、ちらっとこちらに目を合わせた。
室内のせいで、いつ夜が明けるかわからなかった私は早めに本題を切り出す。
「なぜ君はあの踏切に入ろうとしたんだ。それに何故夏向くんの家なんだい?あの二人となんの関係があるんだ?」
そう問うと彼女は少しの間黙って、しばらくしてから答える。
「
その話を、私は上手く飲み込めなかった。如何せん夏向くんから内容を聞いていなかったが、少なくとも雪と教団は全く関係がない。一体未来の雪は何を望んでいるんだろうか。
「何故そうしなければならないんだ」
私が食い気味に、しかし風体は落ち着いた状態で聞いたが、彼女もその体勢を崩さない。
「それは取引を吞んでくれたのなら教えるよ」
「取引?それは」
私が聞く前に彼女は言った。
「明日の集会に参加する事。安心して。ただ参加してほしいの。そしたら教えてあげる」
その提案は、私にとって判断を下すまでもなかった。
情報を入手するためとはいえ、あの集会に参加することは今までの抵抗が無駄になってしまう。もし集会に行ったら両親は私が遂に入信したのだと勘違いするだろうし、そうなってしまうと日常生活にも支障がでてしまう。
どう考えても、その提案は受け入れるものではなかった。
「申し訳ないけど、それを受け入れられる事は出来ない。これ以上何もいう事がないのなら私は帰るよ」
そう言って私は立ち上がり、彼女に背を向けた。その時だった。
「じゃあ、雪を消すしかないかなぁ」
そのつぶやきを無視することは、私にはできない。
「どういう、事だ?」
振り返ると、まるで私が振り返るとわかっていたかの様に、目をこちらに向けている。
「君には関係のない事だよ。未来の雪を消すだけ。そうすればこの踏切は2度と現れなくなる。ただそれだけだよ」
あまりにも軽々しく言う少女に、私は拳を握りしめる。
私の選択はあってない様なものである。ここまで綺麗に引っくり返されてしまうと、私は私自身の心の弱さを感じる上に、私の中の雪がどれだけ大きい存在なのか思い知らされる事でもあった。
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