1.4 黒猫は月に焦がれる

 現時点でわかっている夢の事を書き留める。

 

・夢に出てくる人はこの先の運命の分岐点となる人。つまり雪の存在の事である。

・その人は運命の日の時間をループしている。この場合雪は八月三十一日の踏切に居続けることになっている。

・夢を見る時期は人それぞれ、思春期に多い。

・未来を生きる人は過去の人に運命の分岐点となる場面を伝えることができる。雪の場合は俺に結衣さんが巻き込まれる事故を伝えることができた。

・運命の分岐点以外の事象は変わらない。つまり自分の時間軸の雪が告白なりアプローチなりしたとしても付き合えることはないという事である。

 なので運命はその一つしか変えられないという事だ。

・運命の日を超えるか、未来のまたは過去の人のどちらかが亡くなる場合、夢は二度と見れなくなる。つまり八月三十一日までしか夢で未来の雪に会えず、それまでの間で、俺と雪がそれぞれの世界で死んでしまうことがあってしまった場合は夢は二度と見れなくなる。



 ここまで書き、俺は結衣さんが言っていた教団について思い出す。


「私の両親が信じてるのは、過去に失くなったカルト教団の後継団体って言われているところなんだけど。世間一般的にいうヤバい宗教ってやつ。私は本当に興味が無いし信仰もしてないけど、幼い頃にそういう集会とか親から言い聞かせられた話に似てる事柄があるんだよね。

 元々この団体は夢を失った者や夢が現れない者に救済を与えるみたいなコンセプトがあって、そこでの働き次第、というか信仰次第で夢を見ることができたり他の夢に介入したりすることができるらしい」

 そう言って、結衣さんは俺の方を見る。

「私は信仰していないのだけれど、どうやら何かの手違いで君と雪との夢に介入してしまったらしい。そして今私の知る限りの夢の事について話したから、君と彼女の二人の時間を邪魔したのはチャラで良いだろう。どうだ?有益な情報は得られたか」

「はい、本当にありがとうございます。思いにも寄らぬ収穫でした」


 そう、本当に思いによらなかった。結衣さんとの接触が良い方向に転がった。結果的に彼女に未来の出来事を伝えることなく、夢の情報を得られた。


 彼女は外を見る。

「私は雨上がりの匂いが好きでね、雲の切れ目から太陽が覗き始めて、地面に残っている水分がどんどん乾いていくその過程はいつも私の心を燻らせるんだ」

 突然話し出す彼女に俺はついていけず黙ってしまう。

「太陽は、私にとって遠く及ばないけれど、雨雲から刺すその光と共に漂う匂いが、私は好きだ」

 その匂いを気にしたことはないが、それはきっと幸福を感じることができるのだろう。俺は言葉にはせず、黙って彼女を見つめていた。


「帰ろう。そして、夜の準備をしておかないとだね」

 そう言って結衣は立ち上がった。




「ただいま」

 そう俺が言っても大抵その返事は帰ってこない。しかし今日は違った。居間へ歩くとソファーにはこちらを向いて座っている父の姿があった。

「いつもこの時間に帰ってくるのか」

 父の目は据わっていて、いつ見てもその視線をまともに捉えることはできていなかった。

 

 俺が俯いてしばらく黙っていると、やがてはぁ...とため息が聞こえ、座っていた父が立ち上がりこちらへ向かっていく。

 床の軋む音とだんだんと荒立っていく息遣いに恐怖を感じ、後ろに下がろうとするも体が動かない。とうとう自分の目の前に来た父は勢いよく俺の肩を掴む。


 俺の反応など気にする素振りも見せず彼は言った。

「頼むから、お前だけはいなくならないでくれ。何のために、お前の学費と生活費を払ってやってると思ってんだ?」

 反応しない俺に肩を掴む力は強くなる。

「そんなのなぁ、夕海ゆみ夏希なつきが帰って来た時のために決まっているだろう。あいつは、夕海はお前と夏希が大好きなんだ。俺はお前を託されたんだ。本当にどこか行かないでくれ、頼むから、じゃないと夕海が、夕海が...」

 そう言いながら泣き崩れる父を俺はただ茫然と見ることしかできなかった。


 父が落ち着いて俺に一言謝った後、リビングをあとにした。

 ドアを閉める時、彼は呟いた。

「本当は、お前なんて」


 夕海は俺の母親の事で、夏希は俺の妹である。

 そして俺が小学校4年の時、二人は行方不明になった。

 今は父と俺の二人暮らしだが、母と妹がいなくなって以来、父はいつも夜中遅くに帰ってくるので実質家事も自分一人がやっている。父の分も請け負っているわけではないから実質一人暮らしのようなものだった。

 

 自分の部屋に戻り、棚に置いてある写真立てをなぞる。

 俺と凜と夏希、幼い頃は三人で毎日のように遊んでいた。晴れの日は外で泥だらけになるぐらいに遊んで、雨の日には家でゲームをした。長い休みには少し遠いところに出かけたり、山でキャンプをすることもあった。何もかもが楽しい毎日だった。

 こんな日がいつまでも続くと、純粋にそう思っていたのだ。



 その日は偶然凛がいなかった。本当にたまたまだ。彼女が1年に1回程しかかからない風邪の、ちょうどその日だった。

 凛のお見舞いに夏希と2人で行った帰りの途中、その当時少しだけ仲が良かった人達が公園でサッカーをしていた。その時の俺は、友達とサッカーがしたいという気持ちと共に夏希に上手いところを見せたいと思ったのだ。

「夏希!ちょっと待ってて!」

 そう言って俺は駆け出した。きっと夏希は何か言ったはずだ。でも、俺はその言葉を覚えていない。

 夏希が俺に言ったであろう最期の言葉を、俺は聞いていない。

 何分経ったか、少なくともすぐではない。遊具の影は、そこまで伸びていなかった。


 俺は目を離して友達と遊んでいた。言い訳なんか一つも浮かばない。兄として、一人の親しい人として最低な事をしたと思っている。

 そう凜に言うと、沈黙の暇も与えずビンタをされる。

 その時の彼女の表情を忘れたことはない。



 妹がいなくなって、凜とも少し距離を保ったままの生活が続いていた時に準は転校して来る。

 初めてかけられた言葉を今でも忘れることはできなかった。


「ねぇ、ネコジャンプって見たことある?」

 準は表情の一つも変えず言い放った。

「ネコジャンプって...猫が塀を飛んでるところなら見たことはあるけど...」

「やっぱりか、みんなそう言う。僕が聞いてるのは空へ飛んでいく猫の事だよ」

 やけに他の人達が彼に関わらないのはこういう事なのかと思い、俺も何か理由をつけて離れようとしたが、切り出そうにも彼が話を続ける。

「最近、猫と会ったんだ。この学校の屋上で。おかしいよね。今日来たばかりなのに、当然の様に僕はそこに立っている。そこにいた黒猫は僕の事なんか見向きもせずに毛づくろいしてるんだ。黒猫の下に紙が挟まってて、そこには『この子を助けてあげて』って書いてあってね。

 その猫は最後に奥のまんまるな月にめがけて飛んで行ったんだ。

 だからその猫を探している。全身真っ黒で、ブルーの目の」

 そう言った彼を、俺は胡散臭いような眼で見ることができなかった。



『そういえば、あの時の黒猫って見つかったの?』

 俺はメッセージを送信して、ベッドに寝っ転がった。


 きっと、凜はあの時から許していない。「夏向が悪いんだよ」という言葉には、そういう意味が含まれているのだろう。しかし、まだ彼女に対しては理解が及ばない所は多くあった。俺が疎いのか、多分準の方が彼女のことをわかっている。だから二人は付き合ったのだろう。

 

 なら、何故中学三年の終わりに、凜は俺に告白をしたのだろうか。


 月まで飛ぶことができるという特技を一つ持っている猫の方が、ずっと俺よりまともだと思う。

 非現実的なことを夢見がちと言うような人になった覚えはないが、いつからか夏の雨上がりの空を見上げなくなってしまっていたのかもしれない。


 とりあえず、今日は寝よう。まだそんな時間じゃないが俺は早くあの踏切に行きたかった。

 そのくらい今日は、頭を使ったんだ。

 

 現実から逃げる様に、俺は遮断機をくぐる。


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