1.2 ただそれだけの関係 前編
「橘夏向くん、だっけ」
窓は外の雨で遠くまで見通せない。うちつける水の音が、どうしてか俺の心を落ち着かせていた。
状況が未だに掴めていない。学校終わり、唯一部活がない今日は、例の如く準と凜と共に帰るはずだったのだが。
「悪かったね。友達と帰るところを邪魔して、さらにお茶のお誘いまでしてしまった。今回は私が君の分まで払おう」
そう、向かいの席で話す結衣さんは、ファミレスの紙ナプキンで折り紙をして遊んでいる。
二回目の夢によって初めて会った夜を思い出し、踏切での夢が完全に現実とリンクした今、彼女から設けられた場が今後の展開に関して言えばこちらとしても好都合だった。もとよりこういう如何にも作戦みたいな雰囲気は好きだった。
だが、それと共に他人の事情に足を突っ込むというのもなと少し躊躇う自分もいた。少なからず、子供が憧れるようなヒーローにはなれないなと準から言われたことを思い出す。
「雪から聞いたよ。私と彼女が似てるってね」
一つ一つの言葉から圧が感じられ、背筋がスッと伸びる。
「ああ、別に怒ってるわけじゃないよ。良く言われる、なんなら言われなくても感じる。私を知ってる人は自ずと距離を取りたがるからね」
その言葉に俺はすかさず反応しようと思った。けれどここで俺が事情を知っているというのも不思議な感じだし、どうしようかと迷っていると、彼女は笑みを零す。
「君が事情を知ってるとか知らないとか、正直そこはどうでも良い。私が聞きたいことは一つ。どういう用件で雪に近づいたかっていうこと」
彼女の視線がこちらに向き、重かった雰囲気がさらに追い打ちをかけてくる。
「この前の、図書室の事ですか」
俺はこの圧に耐えながら言葉を絞り出す。
結衣さんは一体、なにを考えているのだろうか。もし、俺が雪を狙っていたとしたらと仮定したとき、きっと結衣さんは雪をシュウトとくっつけさせるために行動しているだろうから俺が邪魔者になる。確か雪は、自分でも私意外とモテてたからとか言ってたけれど(初対面で)。もしかすると本当にあり得るのではないのだろうか。
「えっと、俺は決して彼女を狙ってるとかじゃないですよ」
「知ってる」
なんだ、違ったのか。これでは俺が恥ずかしいだけじゃないか。
「じゃあ、逆に結衣さんは俺がなんで俺がゆき...雪さんに近づいたと思うんですか」
そういうと彼女は、一層不機嫌な表情になる。
「へぇ、君は質問を質問で返すタイプか。悪くないと思うよ。...じゃあ私からの考えを述べるとしようか」
彼女は紙ナプキンで折った鶴を端に置く。
「私はね、君が何か特別な意味を持って図書室に来たんじゃないかって思うんだ。例えば、雪がフラれる前提で行動してるとか。もしくは雪に近づいているのはブラフで、実は私に用があるとか」
やはり、彼女の洞察力はとても優れている。おおよその見解が当たっている以上、俺は動揺を隠せずにいた。
俺の様子から何か感じ取ったのだろうか。彼女は納得のいくような表情で頷く。
「やっぱりか。君はわかりやすくて助かるよ。正直ね、私もこんなにあの子に肩入れするつもりはなかったんだよ。ただなんとなく、純粋無垢に好きな人を追い続ける彼女がかわいくてね。きっと雪に対して、何とかしてあげないと!って思わせるようなホルモンが出るようになってるんだよ。人を引きつけるとは違う気もするけど、君もそう思わない?」
確かに、結衣さんの言わんとしていることは共感出来た。こうして実際、彼女の代わりに任務を受け負ってるわけだし。普段の自分なら面倒くさがるようなものでも、彼女が言えばすぐに解決してしまうような気さえしていた。(それとは裏腹に要件は重いものなのだが)
しかし、何でもかんでも受け入れる訳にはいかない。夢で会った雪は、少なくともこの現実にいる雪とは別人であること。さらに未来の事も知っていた。しかも、結衣がある事情で周りから遠ざけられていることは夢で会った彼女の言っていることと合致していた。
つまり、あれは夢っていうよりかはお告げ的な何かなのだろうか。
冷静に考えてみればおかしいことだらけである。
ただ俺の許容範囲と好奇心が状況を肯定しているだけであって、 この世界は今のところ、魔法も異能力も有り得ないと定義つけられているのだ。
「ええ、思いますよ」
俺が答えると、彼女は少し笑みを見せた。
「どうして君が近づいたかを聞こうと思っていたんだけど、先に私から話した方が速いかもしれない。今から話すことで心当たりがないのならば、今日君を誘ったのは意味がなかったということにあるのだけれど、不思議とそうはならない気がするんだ。
そうだね、簡潔に言うのなら夜の踏切に住まう白雪姫とその王子ってところかな」
その例えを当然のように真顔で言い放つ彼女と対照的に、俺は驚きを隠せずにいた。
例えは到底受け付け難いが、その内容を示しているものは、きっと共通したことだと思う。いや、そうに違いないと確信する。
「あなたも、夢であの踏切に...」
俺の対応で感じ取ったのだろうか、彼女は今までに増して興味深い表情へと変わった。
「やっぱり、あの踏切にいたのは君だったのか」
そう、雪さんは身を乗り出して言う。抑え切れなかった声がファミレスに響く。
「なんとなく、そんな感じがしたんだ。うーんと、これは事情を追って説明した方がいいな」
雪さんは改めて椅子に座り直し、グラスに少し残ったメロンソーダを飲み干した。
「私が気がついた時、まるで現実のような、いや現実よりも視界が狭くはっきりとしていたから確実に夢であろう世界にいた。ただ、普通と違うのは自我があったことだ。その自我というのは、その夢で完結するようなものじゃない。朝目が覚めた後も、その自我が継続している。言うなれば夢は夢だが、脳みそは現実のものであった、という事になるだろう」
その感覚はまるで自分が踏切にいる時と同じような感覚だった。
彼女は続ける。
「初めてその現象に遭ったのはつい最近だ。なんならまだ二回しか体験していない。始めはなにかの冗談だろうと思ったさ。なんせ彼女が、雪が踏切で誰かと話していたんだ。それも誰もいないはずの空間に。
話に行こうと思っても体は言う事を聞いてくれない。私はただ踏切の遮断機の外側で、誰かと笑顔で話す雪を見ることしかできなかった。向こうから私が見えているのか、どうにかしてこの体をうごかせないだろうかとか、答えの見つからない問いを考え続けていたらいつの間にか雪はいなくなっていて、そこから何分だろう...時計もないし見ることができない世界で、私はずっと唯一動かせる脳を回転させて色んな事を考えたよ。
雪の見た目が変わっていた事、夢なのに飛び飛びだったり関係ないものが含まれているものはない上、時間も見た限り普段と変わらずに流れていた事。それとあの都会に近いところにある白い塔がやけに目に入ったな。踏切の音も、普段と違っていた。なんというか普段使わないような感覚器官が刺激されて良い体験になったよ。
そんな感じで思ったより有意義に時間は過ぎていって、星の数を数えている間に雪は帰って来ていた。始めから彼女の声は聞こえなかったけれど、帰ってきた彼女は怒っているような雰囲気だった。もちろん彼女を怒らす事は許せないんだけれど、それよりもあんなに表情に色がある雪は初めてだった。それが嬉しいと共に、私は彼女を変えることができるのかと考えてしまうと、少し心が乱されてしまったよ」
そこまで言うと結衣はグラスを手に取り、口に近づけるが中身がない事に気づく。やれやれと言って席を立とうとした彼女を俺は止めた。
思ったより力強く手首を掴んでしまい、俺は慌てて離す。それほどまでに俺は焦っていたのだろう。
「雪さんを、真の意味で立ち直らせるのは貴方しかいません。俺は確かに結衣さんの言う通り、あの踏切で雪さんと会っています。自分があそこで、雪さんと話す事で少し救われました。でも彼女は、俺だけでは心の全てが埋まらないはずです。結衣さんがこの世界で雪さんと...んぐっ!?」
溢れ出る感情のままに話していた俺を、彼女は片手で頬を掴んで抑えられる。はっとして視線を戻すと結衣さんの目は冷たく鋭いものになっていた。
「君が何を知っているのか、私には知らない。ただその言い草は納得いかないな。果たして君は、この世界と何か別の世界を混合させているのではないのか?
ちなみに言うと、今のところ雪は立ち直らすほど失意のどん底には落ちていないのだけれど」
そうだ、雪はまだ愁斗にフラれてはいない。俺としたことが、いつかはバレるだろうと思っていたが自分からボロを吐いてしまった。
「私も踏切にいた雪は少し違うような気がしたんだ。ちょうど良い、私にその事情を説明してはくれないか。
安心してくれ。私はオカルトを信じたくはないが、この夢については心当たりがある。君が今背負っている事情を説明する代わりに、私がその夢について知っている限りのことを伝えよう」
そう言って俺から手を離すと笑みを浮かべながら、少し考えておいてくれと言って飲み物を取りに行った。
正直、この取引は悩みどころだった。
そもそも俺は結衣さんが死なないために行動しているはずなんだが、その結衣さんに事の経緯を伝えるのは違う気がした。夏休みの終わりにあなたは死にますなんて誰も信じないだろう。しかし、結衣さんはこの夢をのことを知っているかもしれない。ああいう言い回しをするという事は少なからずあの夢は普通の夢ではないと言っているようなものだ。
この事を踏まえると、もしかしたら彼女はこの夢の原理、未来の人と今生きる俺たちの繋がりというのが実際に有り得ることを信じるかもしれない(なんなら俺以上の事を知っている可能性の方が高い)。
そう俺は考えを巡らし、彼女が帰って来る短い間で出た結論は、大事なカードを残す事だった。
「つまり、君は夜あの踏切で未来の雪と会い、過去に取り返しのつかなかった運命を君に変えてもらおうとしている。って事かな」
「はい、そうです。信じてくれるかわかりませんが、本当にそうなんです」
学校で変人と噂される未来が頭をよぎり、体が震える。
「もちろん信じるさ。私もその夢を見たわけだし、今更変な人なんて思わないさ。それに、私はこの夢に近いものを知っている。まぁ実際私が体験してなかったら有り得ないって思ってたんだけど」
そこまで言って、彼女は静かになる。
「それで、その雪から請け負ってる任務とはなに?それを答えてくれたら、私も夢について話してあげよう」
やはりそう上手くは行かないかと俺は喉を鳴らす。
ここで正直に言うのはだめな選択肢だ。言った瞬間ゲームオーバーになるぐらいいけない予感がする。
それに考えすぎる時間が長すぎるのもだめだ。言えないって事は、自分の事なんじゃないかと思うだろう。なんならもう遅いかもしれない。
俺があまりに焦った様子を見せていると、結衣さんはその姿を見てにやにやしている。
「どうせ言えない事なんて知ってたさ。君は口が堅い人だろうし、秘密主義なのも悪くない」
そう言って結衣さんはメロンソーダを一口飲んだ。
「だから、その代わり」
間を置いて彼女は言った。
「私に協力してくれないかな、夏向くん」
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