踏切にて【3】雪
それは、私にとって必然としか言いようがない恋だった。
それがなにかもわからず、突然空に光り始めた一番星を目指して歩き出す羊飼いのように。
年数も環境も距離も、それは人を勘違いさせてもおかしくない。そうでないと私が恋に落ちるその時まで、私がそういうことに疎かったことが否定されてしまう。
思い返せば、私が恋を知る前までの彼との日々は、なんと理想的で心地が良かったのかと思い知らされる。恋を知った今は、安心よりも緊張や恥ずかしさが先走ってしまい、抑えられない衝動は何をするにしても先立ってしまうばかりだ。
彼もきっと、ほんの少しは私に気があったんじゃないかって、いつも布団の中で考える時がある。願わくは今も、恋人とキスをする最中で心のどこか片隅に私がいるんじゃないかって。なんて頭の中で幾万もの想像をして、全てが尽きた後に私は一つ、空の溜息を吐き出している。
色んなことが、本当に色んなことがあった。ここでは言い切れないくらいたくさんのことがあった。
「それでも貴方は、貴方にとってあり得なかった恋なのだろうか」と私は彼の背中にぶつける。
そんな事、私から持ち掛けないといけない時点でわかっていたって、そう言い逃れする。
言葉を伝えることなんてどちらからでも構わないのに、私は、私ではない人と笑い合う彼のせいにした。
怖かった、あの子が私と彼が一緒に居た時間をこれからの時間でゆっくりと追いつき、誰にも気づかれずに追い抜かされることが。
だから私は、貴方の乗る電車の一本後の電車に乗った。乗るはずだった車両が目の前で過ぎる。
遅れて伸ばす手は、空を切った。
次に来た電車に彼女はいる。結衣は言った。
「この恋を忘れて次に行こうなんて言わない。思い出にして次に生かそうなんてことも言わないよ。ただ、私に付き合ってほしいの。友達のお誘いってやつ。
...友達じゃない、か。じゃあ今から友達になってよ。私の残り少ない時間に巻き込まれて、お願い」
「結衣は、どうして私と友達になったの?どうして私を、あなたの最後に付き合わせたの?」
私は遮断器越しの、君の影に問いかける。
前回の、そう、彼がここにやってきてから現れるようになった結衣に似たその影。その影は言葉を発さず、ただ口を動かしている様にも見えた。私はその言葉を読み取ることはできないけれど、結衣の癖や仕草は他の人よりも知っている。だから、私の問いかけに結衣はきっと「私にはなくて、貴方にだけのものがあるからかな」などと言っている気がした。
それは相変わらず呑気な言いぐさで、結局は確信を突いていないものだった。
「そこに誰かいるのか」
後ろから、しかも意外と至近距離で彼の声が聞こえる。
そしてその声の主はまだ一日しか、しかも一時間かそこらしか関わっていないはずだった。しかし何故か、どこか懐かしさを感じるほど、その声は私の耳に染みついていた。
目の前に影はいなくなっている。だんだんと踏切の音が戻っていき、この場所は私と
「どう?私と会えた?」
いつもの定位置に腰を掛け、彼もその隣に座らせる
「会えたよ、やけに今の雰囲気と違うユイと、やけに今の雰囲気に似ている人にね」
やっぱり、私の読みは合っていたようだった。
「あーうん、もう私のことは雪でいいよ。ややこしいしね。結衣は結ぶ衣で結衣。私の友達だよ」
「なるほど」
と、言ったきり彼は静かになる。その間、私も静かにしていた。
なにか明るい事を話して場を明るくする場面でもないし、もう彼はここから去ろうなんて考えてないような気がした。
正直このキャラは私に合っていないと思う節があった。
結衣の真似をしようにも、シリアス感より不思議っ子感が出てしまっているような気がする。いや、それも違う気がする。どんなに頑張っても真面目な反応は抜けないし、気の利くツッコミもしてしまう。
とにかく、元々彼が来る前は一言も喋らずにいたわけだし、夏向がいることが普通になりかけているこの空気が嫌かと言われたら、むしろ楽に感じる程である。
「聞きたいことがあるんだけど」
夏向が今までになく小さい声をこぼす。私は沈黙を通して、了承の合図をする。
「雪は、叶えたい夢ってある?」
思っていたのと違う質問に、私は少し固まってしまう。想定していた質問の答えばかり考えていた頭はそんなすぐに答えを見つけることはできなかった。
「叶えたい夢.....かぁ。」
私は後ろにある月まで体を仰け反らせて伸びをする。
そして、その月の横にあるちっちゃくて、それでいて真っ赤な星に焦点をあわせた。
「昔一つあったよ。今はない。多分、これは叶えたいわけじゃないから」
夏向は顔一つこちらに寄こさず、星座の一つも作れない都会の星空を眺めている。
ややあって彼は少し俯き言う。
「
私はその名前を聞いても、動揺することなく真っ赤な星を見続けることができた。
その事実が少し寂しいと思う反面、安心することができた。
「図書館の受付に、雪は座ってたよ。雰囲気は物静かで容姿もおとなしそうだし、結衣と間違えたら何故か照れてた。俺の事も知らなそうだったから、すぐに踏切にいる雪とは違うと思ったよ。なんならその後来た結衣の方がそれっぽかった」
結衣にあった上に、似ていると言われて照れている自分を想像して、それには耐えきれず私は思わず顔を手で覆う。
昨日電車に轢かれる前に、図書館で私に会う時はユキと呼んでって言ったつもりだったけれど、伝わっていなかったようだった。
「それでも、結衣と雪は違うと思ったよ。容姿が違おうが口調が違おうが、雪は雪だ」
そしてその言葉をどう捉えればいいのか、私にはわからなかった。
昔から結衣と雪は似ていると言われ続けていた。それに結衣は家庭の事情でクラスの人達からも遠ざけられていて、そんな彼女と私が似ているという事が、少し嫌だった。でも彼女が私の恋を手助けするようになり、やがて友達になったその時には、そんな感情なんか一切なかった。
人柄が、考え方が、いつしか私の憧れであり理想になった。
彼女のようになりたいと思った。そして彼女がいなくなったその時程、私を捨てて結衣になろうと思ったことはなかった。
今、目の前にいる人は私が結衣とは違うと言い切った。きっと悪意はないし、むしろ良い意味で言っていることはわかっている。それでも。
「私と結衣は何が違うの。たった一瞬だけしか見てないのに、なんでそこまで言い切れるの」
少し強く言ってしまい、しまったと思う。彼の善意を無下にするつもりはなかった。慌てて訂正しようとすると、彼は私よりも先に答えを言い放った。
「結衣にはなくて、雪にしかないものがあったからかな」
その言葉を聞いて、心臓がきゅっと締まるのが自分でもわかった。それは確信についていないし、まったく理屈も、その先に何かがあるわあけでもない。
ただ、彼は私だけを見てくれている。それだけはわかった気がした。
「...やっぱり、君を巻き込んで良かったよ」
夏向は疑問の一つもないような表情を浮かべ、星座の一つも作れない都会の空に向かって笑っていた。
彼に夢での日にちを聞き、それに向けての計画を立てる。
「三日後に、私は失恋する」
「愁斗にフラれるのか」
「いちいち言わんでいいわ」
私は軽くチョップを入れる。
「それで?俺は雪と愁斗をくっつけるために頑張らなきゃいけないのか」
「それをしてくれるなら、まぁ当時の私にとっては嬉しいだろうけど君がそれを成し遂げるのは無理があると思うよ」
「だから、そんな無理がある頼みだったら断るってことを」
「結衣を助けてほしいの」
私は遮るように言う。
私の目的は、私が失恋して、結衣と友達になったあと。私の犯した罪。
「彼女は親の都合と私のせいで死んだの」
夏向は少しの間姿勢を変えずにいたが、言葉の意味がわかったのかどういうことだと私に近づく。
「彼女の、結衣の親はあるところの信者らしくて、彼女は全然信じてなかったんだけど、事情を知っている人は二世って感じで思われてて。それで、夏休みの終わり、八月三十一日にその宗教の儀式みたいなものに巻き込まれて...ニュースにもなったよ。廃ビルで集団自殺って」
その言葉を聞いて、彼が今までになく衝撃的を受けていることがわかる程頬が引きつっていた。「そんなことが、あっていいのか」と彼はつぶやく。
「逃げられないって諦めていた彼女を連れて、どこか遠くに行くなんて勇気が、私にはなかった。怖かった。あまりにも私では背負いきれるものじゃなかった。でも、それでも私は結衣にできることがもっとあったって、もらったものの分を、まだ返しきれてないの。これが私の罪。親の都合とか、儀式とか、そういうの関係なくて、私が悪いの。」
いつもより冷たい風が私達の肌を刺激する。
無理を承知で、私は彼に言った。
「お願い夏向。私と力を合わせて結衣を助けて欲しい」
正直断られて当然の頼みだ。自分が逆の立場だったら、仲良くなり始めてすぐに人の命がかかってる頼みごとをされたら断るに決まっている。しかも向こうから見れば、未来の事を予言しているおかしな人だ。彼がただの夢だと判断すれば、真に受けることはないだろう。
ただ、これは私の夢だ。
もちろん、彼は頼み事を淡白に断る人ではないと知っている。でも、それさえも私が妄想した理想の人格によって形成された人だったとしたら、それはとても寂しい。夏向は少なからず現実にいてほしいと思った。本当におかしな事しか言っていないと自分でもわかっているのだけれど。
ややあって、俯き加減だった彼が顔を上げる。
そして私の方を見ると、何かを決心したのか一つ息をつく。
「俺は、結構君に助けられているんだよ。俺がこの場所にいてくれることを許してくれたことがなによりも嬉しかった。居場所は一つじゃなくていいって、教えてくれた。...きっと準が、凜が結衣と同じ末路を辿るなら、きっと俺は雪に頼んでいると思う。だから、少しでも役に立てるならできるだけのことをしようと思うよ。俺を頼ってくれて本当に嬉しいよ」
その声はやっぱり、どこか懐かしさを含んでいて、この空間にぴったりと寄り添うような優しくて必要不可欠なものだった。
それと同時に、まるでゲームの様に思うように進むこの世界がほんの少しだけ怖かった。
そしてその恐怖は彼の存在によって薄らいでいる。本当に矛盾した話だ。
私たちは言葉を交わさず、固い握手をする。温もりを肌で感じ取って、その夜は終わった。
目が覚めた私は、机になにか置いてあることに気づく。
「封筒?」
そこで私は、私がこの世界で声を発したことに気づく。昨日に続けて、二回目だ。
何かが変わり始めていることに、少し肌が震える。
少し厚みがある封筒には、二重鍵括弧でおさめられた題名が書いてある。
『君が、朝日の昇り切った踏切を見るまでの物語』
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