1.1 ひぐらしが鳴くように

 鳴り続ける踏切をよそに、同じ制服を着た男や、女性が今年できた横の地下の連絡通路に吸い込まれていく。

 俺はその流れの外れで、一人踏切が開くのを待つ。それが日課だ。


 毎日その踏切が開く時間は変わる。パターンは決められた通りしかないのだろうが、それをわざわざ調べてしまったらつまらない。今日はこのパターンで、このパターンが起こったのは何回目だとか、俺からしたらそんな狂気染みたことをしたいわけではない。簡潔に言えばまるで意思を持ったような踏切が好きなんだ。多分他の人に言ったら、それこそ狂気染みてると言われるのだろうか。怖くてそんなことは聞けない。


 右から来る電車を二本見送った後、やっとのことで踏切が開く。二本と言うのは、俺が待ち始めて数本通った後にようやく開きそうな予感がしてからの二本だ。

 周りを見渡しても自分の様な年頃の人はすでにいない。開いた踏切を渡る時は大抵少ないもので、いつもの顔ぶれというのは、赤を基調としたチェック柄のシルバーカーを押して歩く老婆と、踏切のそばで煙草を吸っている男。向かい側からは数人の若者と、ジャック・スパロウの様な服装の工事作業員(違うかもしれないが、装飾品や持っているもので勝手に工事作業員ではないのかと推測している)が歩いている。


 手元の時計を見ると始業開始時刻十分前となっている。間に合うかどうかは五分五分といったところだろうか。普段なら少し速足で向かうところだが、今日は何故か足が重い。

 理由はきっと眠りが浅かったのだ、体がだるい。


 時計を見ると、もう間に合いそうにない時間になってしまっている。体感時間と、それに合わせた歩幅がいつもより相当遅かったことに気づくが、その速度を上げるつもりはさらさらなかった。


 担任から少し強めの口調で注意された俺は自分の席へ戻ると、そこにはすでに凛が座っていた。

 凛は、幼馴染兼もう一人の幼馴染である準の恋人の立場であった。

 

 昔から三人でつるんでいたのだが、俺が学校を欠席していた少しの期間で、二人の関係が進んでいたのだ。ということを頭の中で反芻する。この事実が受け入れられないわけではない。ただ、一応確認の確認をしているだけだ。


 その原因もあってかそうでないかわからないが、奇妙な夢を見ることになったのだ。現実だったのか?意識のある夢、明晰夢と言ったか。そういうものだろうか。しかしその内容を、あまり覚えていない。踏切にいたこと、誰かと話したこと、その時放課後に図書室でと言われたこと。


 そして、俺は夢の最後に死んだ気がする。


「ねー、なにしてんのー?そんなに説教怖かったん?」

 突然声をかけられるまで、ずっと立ちすくんでいたからか、少し心配そうにこちらを眺める。


「いや、んーまぁ怖くはないけど」

「体調悪いなら早退しなよ、あーでも馬鹿正直に言っちゃったんでしょ。道草食ってたとか」

「正に、その通りなんだけどね。俺は嘘がつけないから」

 そう言うと彼女は肩をすくめて、どうだかと言った表情をする。


 俺の席から立ちあがり、俺はその席に座る。彼女はと言うと俺の机に当然の様に座っていた。

「それで、今日は部活できるの?」

「うん、出ようと思う。大会近いし、もしかしたらユニフォームもらえるかもだから。」


 自分が入っているバレーボール部に、マネージャーとして凜が入っている。

 部自体は、6月末にある大きい大会に控え、メンバー争いが激化している。自分のポジションであるセッターは高校2年の先輩が2人、高校1年は自分1人で、通常だと年功序列で先輩の2人がメンバー入りだが、経験者で技術も伴っていることから俺が選ばれるかもしれないと部内で囁かれいるような状態だ。


「でもさ、最近先輩達が夏向かなたのこと嫌ってるって。」

 それは俺も心のどこかで感じていたことだった。なにかと雑用を任せられたり、練習もなかなか参加させてもらえない。元々そういうような部活であるというのは知っている。ある程度勝ち上がれるようなチームだが、顧問はあまり生徒と関わらず、メンバー同士で話し合って練習を行い、それを見てうえでの実力で順番を決めるようなチームである。先輩も仲間意識を持って頑張ってきたのに、急に1年が割り込むのは嫌だろう。


「俺は気にしないよ、プレーでわからせれば良いんだ。」

 少しかっこつけて言ったつもりだったかが、凜の方はむすーっとした顔でこちらを見ているだけであった。


 やはり、年上とか目上の人との人間関係は慣れないなって思うときがある。今いるチームはチームと言っても、対等に語り合えて苦しさも楽しさも分かち合える仲間ではない。はっきりとした上下関係が生まれている集団ということだ。

 そして、そういう組織で下の者が上の者を蹴落として上るというのは様々な感情と変化を呼び寄せる。昼頃は凛にかっこつけたが、正直怖くてたまらない。もらった12番と表されているユニフォームと、それを受け取るはずだった1人の目線が、俺に重くのしかかった。


「良かったじゃん。メンバー入りおめでとう」

 練習終わり、水を飲む俺に凜が駆け寄る。


「良かったは良かったけど、大丈夫かな。いじめとかされたら困る」

「ほら、やっぱり弱腰。なにがプレーでわからせるだ」

 図星を突かれ、咄嗟に目を逸らすとさらに笑い声が増す。


「あ、そういや」

 視線を戻すと、凜が向こうのコートを見ている。その先にはバスケ部が未だに練習をしている最中だった。


「準が、大会近いから練習長引くみたいだし先帰っててだってさ。いいよね?」

 凛に見つめられ、俺は頷くしかなかった。


 俺は凜と何気ない会話を数回かわしながら、心のどこかで準と凜との関係を考える。

 バスケの方が大会が早いのはわかっていたが先に帰ってていいのか、凜を待たせても良いんじゃないかと思ったり。まぁ、準が良いと言うなら良いのだろう。凜もそれに対して何も思っていなさそうだし。


 俺は自分の荷物と、明日の遠征のために先輩から持たされたボールバックを持って校門を出ようとした時、忘れかけていたことを思い出す。

 思い出すと言っても、あくまで夢の中の出来事なので、俺はあくまで確認のために行こうと思った。


「そうだった、ごめん。ちょっと待ってて。すぐ戻るから」

 そう言って、持っていた荷物を置いて校舎の方に戻る。

 後ろから、はよしろよ~と声が聞こえた。



 図書室は、相変わらずわかりずらい場所にある。中から見えないこの部屋は使われてないようにも思える。

 そっと、俺は扉を開ける。中を覗くとカウンターに1人の頭が見えた。他に人はいない。

 

 扉の音はやけにうるさかったが、その頭は動く気配がない。何故か、足音を立てずに俺は歩き、そのカウンターの前に立つ。

「あの」

「なに?返す本ならそこに積んどいて。」

 顔も上げない彼女は、とても不愛想な声でそう言い捨てる。でも、なにか違和感が残る。この声をどこかで聞いた気がする。


「俺、どこかであなたに会った気がします。確か、えっと、あ。」

 ユイ。


「ユイ。貴方はユイさんですか?」


 そう零した俺の声と同時に、本が落ちる。正確には彼女が足元で読んでいた本が落ちた。

 そしてゆっくりと顔を上げた彼女に、俺は妙な親近感を感じた。でも、もっと顔が明るかった気がする。眼鏡もないし、髪ももっと綺麗だった。と思う。あくまで、そんな気がしただけだ。もしかしたらそっちの方がかわいいと咄嗟に感じてしまったのか。


 そんなことは良いとして、上げた彼女の顔は相当あっけらかんとしていて、それがなんだか予想外でこちらも声が出なくなる。


 傾いた黒縁の眼鏡を慌てて戻し、彼女は何故か手で髪を解く。

「や、やっぱり私、結衣に似てるのかなっ」

 そう言って、足元と俺の方に目を行き来している。

 

 何故か彼女は喜んでいる。わかったことは、俺が名前を間違えたことだ。

 俺の記憶としては、この女性はユイだと思っていた。何故だろう。


 とりあえず俺は話を合わせようと声を出そうとする。しかし、それよりも先に後ろからドアが開く音がする。振り返った俺は、またも声が出せなくなっていた。


「ユキ、もう下校の時間だよ。愁斗しゅうとは大会近いから帰るの遅いって」

 そう言う彼女の容姿は、俺が考えていたユイという人物の特徴を捉えていた。

 

 髪は前髪が少し長く、真っ直ぐ綺麗で(髪型は後ろで結っている状態だったが)整った顔をしている。ただ、彼女はユイではないと思った。少し猫背だから?話し方が違うから?俺は考えを巡らせたが、答えが出るはずがない。

 その夢というものは今もだんだんと忘れていってる状態だからだ。


「いや、待つよ。結衣も一緒に待つ?」

 ユイ、確かにそう言った。俺がユイだと思った人はユキで、ユイじゃないと思った人がユイだった。なんだか名前が似ていてこんがらがってしまいそうだ。


 ユキがそう言うとユイは少し考えてから言う。

「ううん、私は帰るよ。早く帰らないと。ところで、君は?」


 自分より少し身長が高い彼女が、俺に目を向ける。

「あ、ほ、本を返しに来ただけなので!それでは!」

 凜も待たせてるし今日はこのくらいにして帰ろうと思った。俺はそそくさと忍び足でユイさんの横をすり抜けて図書室のドアを開けようとする。

 

 その時。

「君!名前、教えてくれない?」

 ユイ、、いやユキの声が聞こえる。俺は振り返って、少し考えて、いや、考えたふりをしてから言った。

「橘夏向です、花の橘に夏の向こう。それじゃあ.....」

 体を前に向けようとしている、その途中視線の端で捉えたユキが手を振っている。俺はつられて手を上げて、図書室を後にする。扉の閉まる最後、彼女の声が聞こえた。


「またね、橘君」


 その声は小さくかすれてて、それなのによく聞き取れた声だった。


 それと、ユキとユイの容姿はとても似ていた。だからといって、双子というには少し違うような気もした。


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「本、誰も借りてないでしょ。今」

「だね、橘君はなにしに来たんだろうね」

「さぁ」

「もしかして、私を助けに?」

「助け?なんで。なに言ってるの?」

「.....確かに。何言ってるんだろうね。私」

「.........きっと、神社でひぐらしが鳴くように、踏切にまたがる線路も音を立て始めたんじゃない?」

「何言ってるのかさっぱり分からないよ。結衣」

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「遅い」

 校門の端でしゃがみ込む凜がそう言う。


「5分も経ってない。許せ」

 そう言って俺は凜に手を差し伸べ、それを躊躇うことなく掴んで彼女は立つ。少しは相手のことを考えてほしいのだが。


「よし、じゃあ帰ろう!」

 許してくれたのだろうか。笑って俺の前を歩き始める。その姿と沈む夕日が重なって少しまぶしく、俺は手で陽光を遮った。

 


 いつも通り過ぎるはずの公園の中に入っていた彼女について行くと、凜はおもむろに俺の肩に下げていたボールバックを開けて一つボールを出す。


「パスしない?」

 返答も待たずに投げてくるボールを、俺は丁寧に返す。綺麗におでこの上に返ったボールを凛は俺と同じようなフォームで返してくる。ただ、そのボールは回転をかけながら真上に上がってそのまま彼女の頭に返る。何度か繰り返したが、そう早く上手くなることはない。


「やっぱりむずいね」

 凜はつぶやきながら、バスケのシュートをするみたいにボールを俺の方に放る。それは綺麗な回転と放物線を描いて俺の胸元に届く。彼女は元々バスケをしていたのだ。


「なぁ、なんで凜は女バスに入らなかったんだ?入らないとしてもバレー部のマネージャーはないだろ、なんでバスケの、準の方に行かなかったんだ」

 俺は受け取った胸元からそのままチェストパスをする。そのパスは回転はあまりかからず、鋭くもない。彼女はそれを受け取ってすぐ、俺にチェストパスで返してくる。

 もちろん、その返球は一定の回転数で真っ直ぐ来る。反射的に後ずさりながら、飛んでくるボールをキャッチする。

 すると彼女がくすっとはにかんだ。


「やっぱり夏向は、私と準の関係が気になる?」

 その言葉に、自然と指に力が入る。


 今まで触れてこなかった話をこうも簡単に持ち掛けられると、少し複雑な気持ちになる。

 ずっと守り続けたかった関係はあっという間に変わってしまって、どんなに気を使ってもどうにもならない関係がもどかしく、どうしようって、ずっと思っているというのに。なんで凜はそんな軽そうに言うのだろうか。


 俺が、なにか言いたげな顔をしているのが伝わったのだろうか、彼女は少し俯いてから視線をこちらに向け、手招きをする。

 何をしていいのかわからず、俺は持っていたボールを緩く投げて渡す。

 受け取った彼女はそのボールで何かするわけでもなく、俺の目をまじまじと覗く。


 俺に察してほしかったのだろうけど、あえて余計なことは言わない。それは、出会ってから今に至るまでいつもそうだった。


 彼女はよく、間を作る。本人にその間は?と聞いても、それこそまた黙ってしまい、いつの間にか別の話題になってしまう。

 だから俺は彼女が黙る時は一緒に黙ることにした。すぐに彼女が折れる時もあれば、永遠にそれが続いていつの間にか会話が終わっていたりとか、様々なパターンがある。その雰囲気も全て準が壊してくれるからどうてことないのだが。


 そしてもう一つ。凜は大事なことに限って素直じゃない、捻った言い方をする。


「夏向が悪いんだよ」

 その声は今までにないほど落ち着いていて、それでいてやはり少し捻った言い方をする。


 でも今日は、それだけでは終わらなかった。

「私、まだ」


 その先を言う前に、彼女の目線が少しずれる。向こうから聞こえてくる足音は、すぐに準のものだとわかった。

「間に合った!...ってなにしてんだお前ら、もしかして俺ん事待っててくれたんか?」

 息を切らしながら準が言う。時計を見ると学校を出てから三十分以上経っていた。


「ありゃ、思ったより長居しちゃったみたいだね。夏向とパスしてたんだよー」

 向き直ると凜は、さっきまでのシリアスな雰囲気を感じさせないほど通常の彼女に戻っている。


 ほれ、と凜は準にやや強めのボールを投げる。

「ちょっ」

 焦りながら準は肩に下げてたバックを落としてレシーブをする。その形は不格好だが、ボールはしっかりと上がる。


 準は準で、こういう奴だった。

 自分もそこまで運動神経が悪いわけではないし、頭も悪いわけではない。しかし準は運動神経や体幹、それに地頭も良く、どんな教科や種目も俺の一歩前に行く存在だった。

 俺が努力して得られるものをなんとなくで簡単にゲットしちゃうような。それを自分は憎んだりすることはないが羨ましいなと思うことは多々ある。

 

 本来であれば、こういう人は陽キャでクラスの中心的立ち位置にいるはずなのだが、何故か幼馴染と言う理由で俺とつるみたがる。

 なんで俺といたがるの?と聞くと決まって彼は「俺になくて、お前にしか持てないものを持ってるから」と言う。

 そんな彼に恋人ができるのは当然だ。それでも、俺は凛と準が付き合うのにはまぁまぁ驚いた。


 それと同時に彼女の行動に少し引っ掛かりを覚えた。そしてつい先程の発言で、彼女のしていることがほんの少しだけわかった気がする。

 しかしこれをわかったと言って良いのかわからない。友達と言えど、いや、だからこそ相手のことを全てを知っているわけではない。

 むしろ、全てを知る必要のない人こそが友達と呼べる関係だろうと俺は思う。


 とりあえず今わかることは、本当に俺のせいでこうなってしまったかもしれないという事だ。



「んじゃ、またな橘!」

 準はそう言って背を向ける。小学校の時からずっとこのT字路で別れていた。

 右が俺で、左に凜と準。


 昔から、2人の後ろ姿を見てきた。幼い頃はずっと一緒に居たくて、お互いが見える範囲まで後ろを向きながら手を振って帰っていた。成長するにつれて、自然に、潔く別れるようになる。それでも俺は1回、後ろを振り向く。いつ来るかわからない本当の別れを恐れて、今日もその後姿を目に焼き付ける。変わったところと言えば、手を繋いでいることぐらいだった。


 前に向き直り一番最初の角を曲がると、俺を置いていく様に沈んでいる太陽が、手前の雲を掻き分けながら淡い夕色を放っていた。そこから少し視線を落とすと、建物で重なる地平の少し上にはっきりと月が見えた。


 それは三日月だった。

 本当に、新月から3日しか経っていない三日月だった。まだ橙色が残る空の中、月の傍に寄り添っている一番星が輝いている。


 ぽつり、と手に何かが落ちる。

 上を見上げると、今度は真っ黒い雲が日の入りを追うように伸びていた。

 早く帰らないと。俺はそう思い、このモヤモヤとした気持ちとそれに乗って包まれるどんよりとした空気に負けじと、軽快なステップでアスファルトを蹴った。





 

 

 

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