踏切にて【2】雪

 隣に座る青年、夏向かなたは時々私に目を配りながら、慎重に言葉を選んで話し続けている。まどろっこしい言葉はなく、ややこしい比喩もない。ただただ、起きた出来事をそっくりそのまま言葉に表しているようだった。


 そうして話し始めること数分もしないうちに、彼がここに来た理由であろうものはすぐに判明する。

「つまり、幼い頃からずっと一緒だった2人が付き合い始めて、向こうには夏向にいて欲しいとは言われてるけど、やっぱり少し気が引けて...っていう感じ?」

 そんな感じだと夏向は言う。


「最近付き合い始めたんだ、俺が気づかないうちに。2か月前くらいに病気にかかって、2週間弱ぐらい2人とは会ってなくて、その間に友達以上の感情が芽生えただとかなんとか。2人は未だに一緒に帰ろうと言ってくれたり、3人で帰っているときも今まで通り友達同士な雰囲気を作ってくれてる。でもたまに2人きりで話してる時を見かけたり、なにかの拍子でお互いの目が合ったりすると、それはもうある一定のラインを超えたような、そんななにかがひしひしと感じてきて...」


 話を聞いている限り、夏向の立場はとても辛いだろうと思う。

 多分友達として夏向に接していることは確かだろうけど、無意識か或いはそうではないかもしれないが、恋人と二人でいたいという気持ちも伝わってっしまうのだろう。無理もない事なのかもしれない。


「なるほど、、ところで君はその二人以外に友達は作っていないのかい?」

 図星なのか、彼は少し唇を噛み目を逸らす。

「そう...だな。高校入学して作らなければと思っていたんだけど」

「2人がいるのに、他の友達を作る必要もなかったってことだよね」


 小さく頷く彼は、さっきまでの雰囲気と打って変わってとても沈んでいるように見えた。正直な話、これは彼の責任ではないし、だからといって2人が付き合ったのことが悪いなんて言ったら夏向が怒るだろう。彼はきっと根から優しいのだろう。できれば付き合い続けてほしいけど、3人の関係が崩れてしまったことに付き合ってる2人以上に重く、そして辛く感じてしまっている、どうしようもうない時期。


「だから君はここに来たんだろうね」

 ここに来れる原理はわからないけどきっとそうなのだろう。私もそんな感じで来たわけだし。


 気まずい空気が辺りに漂う。

 できるなら、ここを彼の居場所にしたい。でもこのままだと二度と彼はここ来ないだろう。そんな気がする。一体どうすれば...。


「ごめん。俺が来たばっかりに、帰るよ。ユイさんも早く家に帰らないとだよ。それじゃ...」

 彼が立ち上がって背を向ける。声色は明るかったものの、後ろ姿でもわかるほどその背中は丸まっている。まるで、この世界に自分の居場所を探し続けているような。

 それじゃいけない、私が変えないと。彼を私のようにしてはいけないんだ。


「待って!」

 私は腕を掴む。

 できるもの全て試してみよう、君を今の状態から解放させる方法。

「少し、向こうまで歩かない?」



「向こうって、あの踏切の方に?」

「そう!私も行ったことないけど!」


 自分たちがいる踏切の名前は『第一晴々谷踏切だいいいちひばりがやふみきり』。そこから目の届く範囲にある『第二晴々谷踏切』は間に島のような出っ張りによって、それぞれが分かれている奇妙な踏切である。その立地の要因というものはいたって簡単だ。


「つまり第一は二つの路線を跨いでて、第二はその二つが別々の方向に向かう分岐点の様なところを繋いでるからああいう感じになってるってことでしょ」

 私の説明に割り込んで夏向が結論を言ってしまう。


「むむ、まぁ地元民は知ってるよね.....ってわっ!」

 自分の視界が一気に地面に近づく。終わった.....っと思った瞬間、自分の体が突然浮いたような錯覚に囚われ、自分の体重が誰かに委ねられていることが分かる。

「だ、大丈夫だから.....は、はやく起き上がって.....」

 後ろを振り向くと腕一本で私を支えている夏向が見えた。


 多少苦戦しながらも彼の補助のおかげで体を起こすことに成功した。

「あ、ありがとう。線路歩いたことなかったから油断してたわ.....ところで」

 私の睨みが効いたのか、夏向がひぇっと後ずさる。

「私、、そんなに重かった?」

「い、いや違う!俺が全然筋肉ないだけなので。こう見えて運動系じゃないんで」

「へぇ意外、勝手に運動できると思っていたよ」

「まぁ一応バレー部だけど」

「運動してるやんけ!」

 軽くチョップを入れたところで、我に返った私はそんなところではないと頭を振る。少し考え、ふとある疑問が浮かぶ。


 解決する上でわからない事は消化せねば。

「んーと、つまり友達の二人も同じ部活だったり?」

 話を戻すことに少し心配はあったが、夏向はさほど嫌な顔はせずこちらを向いている。どうやら場所を変える作戦は成功なのかもしれない。


「男の方、準はバスケ部でその彼女の凛がバレー部の女マネなんだ。いつも体育館の半面同士でやってて、中学の時からそんな感じだったんだ。ちなみに俺は打つ人じゃなくてセッターっていう打つ球をあげる人の方をやってる人なんで、ほら、背低いし筋肉質でもないんだよ」

 確かに運動系だとは思ったけど、見た目でわかるほどの体格ではない。


 スタイルが良いからか背の高さは気にしていなかったが、思っていたより高くはない。おそらく170前後、いや170いっていないのかもしれない。どちらにせよ私より10センチは高いということに変わりはないけど。

 顔も整っていて、今まで会ってきた中で似ている人がいるかと言われればいないかもしれない。でも、どこかで見たことがあるかもしれないという、ありきたりじゃない異様な雰囲気を彷彿とさせている。どこかで、本当にどこかで見たことがあるのかもしれない。


「ねぇ」

 第二晴々谷踏切に着いたところで第一との違いに気ずく。


「踏切が、鳴ってないね」

「だな..これって外に出れるってことなのか」


 私たちは踏切を分ける出っ張りに足を踏み入れる。そこから両側の出口を見てみるが、普段とは違う不気味さを覚えた。

 必ず人は来ないという絶対的な何かが私の体を身震いさせる。そして、なんとなく体が重くなっているように感じた。それは上からの重みではなく、何かに引っ張られる、あるいは吸い寄せられる力を受ける。


「これ、第一の方に戻れって言ってない?」

 恐る恐る夏向に聞いてみる。横にいるはずの彼の気配がなくなったような気がして振り向こうとしたが、その前に彼が言葉を発した。


「あぁ、そんな気がする。よく周りを見たら街灯がついてるだけでどこの家も、向こうのマンションも明かり一つないんだよ。ここは明らかに人間のいて良いところじゃない」

 そう言って、少しの沈黙も許さず砂利を踏むような音が聞こえる。きっと彼が歩き出したんだろう。


「え、あ、待ってよ!」

 手招きしながら遠のいてく彼に、怖いもの全般が苦手な私は必死にあとを追った。



「ちょっと、女の子を置いてけぼりにするなんて最低だよ!」

 戻ってきた踏切はやはり心地の良いもので、恐怖と緊張が解けた今残っていたのは彼の言動に対する抗議だけであった。


「ごめん、怖くて」

 目が虚ろで心ここにあらずの様な状態だったので、私はそれ以上の抗議は続けず、むしろ年上として...って。

「私年上だよね?」

 そういうと彼は魂が戻ってきたかのように気を取り戻し、じっと私の胸元を見た。  


 急な彼の行動に驚き慌てて胸元を腕で覆う。しかしそんな私の行為をスルーして首を傾げ空を見上げた後、なにかを思い出したのか、私の質問に答える。

「多分。制服も同じだけどそのリボンの色もと違うし、今年入ったばっかですし、やっぱり敬語のほうが良いですかねユイ先輩」

「.........普通にタメでいいよ」

 急に礼儀正しくなる彼がらしくなさ過ぎたのか、よっぽど引いたのだろう。夏向が少しむっとしている。

 彼が年下だということはわかっていたが、ここではそういう年の差とか感じてほしくない。実際こう、良い感じの関係を築けそうなわけだし。


 話を変えるために、私は切り出す。こういうのは関係ない事と交互に出すヒットアンドアウェイ戦術が刺さりそうな気がした。

「なるほどー、つまり新しい校長になったばっかか。去年までの校長先生話短くて良かったんだけどね。今年はほら、めっちゃ長いじゃん?終業式とか体育館でやって欲しいよね。ってまぁそんなのどうでもいいんだけどね」


 そう言うと辺りを見渡していた彼の動きが止まり、すかさず私の方を見る。

彼の動きは明らかにおかしかった。


「......ユイ、だ?」


 何かがおかしい。

 彼と出会ってから、いや異様なのはこの踏切に来てからも同じか。ここは現実の物事が通じない。超常現象が起こる、と言うほどまででは無いが、その変化のなさがさらに私の不安を促進させる。

今は夏、それは見上げた夜空の月、星とそれらが紡ぐ星座によってわかりきっていた事だ。

だけど、私はこの夜空以外の夜空を見たことがない。

 

 つまり、この空間はずっと同じ日なのではなだろうか。


 それは夢と言って良いほどだった。いやむしろこれは夢であると片付けたほうが都合が良かった。

 でも、これは普通の夢ではない事は確かだった。こんなにはっきりとした自我で...何より私はこの踏切を永遠と繰り返していた。

 踏切に入ったあの日以来、いつも気が付いたらここにいて、夜空を眺めたり、遠くのビルや、白く異様な塔をぼーっと見ていた。


 でも、彼が来たことによってその習慣が壊れた気がした。

 悪い意味ではない。むしろ誰かが気づかせてくれなかったら私はこのまま何も考えずこのループを繰り返していただろう。

 そう考えると、これは悪夢なのだと感じる様になってくる。それと同時に、ここで待っていれば彼女が来ると、そう信じ切る要素にもなっていった。


 夏向が心配そうにこちらを見るのがわかる。そりゃそうだ、急に黙り込むんだから仕方がない。なにか言おう。どうやってはぐらかそうか...

「え...?」


 顔を上げて彼と目を合わせようとする前に、その奥の遮断機の向こうに誰かがいることに気づく。細身で、髪はまっすぐ。スタイルが私より良いのにも関わらず、その人は猫背であった。暗くて細部まではわからないが間違いない。私の待ってた....

「         」

 口が動く。そして彼女は、「結衣」は 指を指した。その先には...。


「ユ、ユイ!電車が!」

 今正に私達が立っている線路にヘッドライトを光らせた電車が来る。運転席もその先の乗車も電気はついてない。はっと思い視線を戻すが、そこに彼女はいなかった。


 頭が真っ白になりそうな状況をどうにか耐えて、肩を揺さぶっても反応しなかった私は意表を突くかのように彼に抱きついた。急なことで体が強ばった彼に私は耳元で叫ぶ。

「話し足りないから明日の放課後図書室に来て!その時私にユ」



 伝わったか。最後に私の名前を言えたかは心配だけど、きっと彼なら大丈夫な気がする。こんな事になってしまったのも、君がこの踏切に歩いて来る時からこの事が決まっていたような、そんな気もする。


 それでも、やっぱり私は愚かだ。この選択が少なからず彼を救うかもしれない。そうだとしても結局は私のために彼を使ってしまった。私のくだらない物語に足を踏み入れさせてしまうかもしれない。彼の性格上きっとそうなるだろう。そう考えると申し訳ない気持ちになる。

 

 いや、申し訳なさ?


 全部夢なんだから、そんな思いをしなくてもいいんじゃないのか。

 夢であろう世界にいるにも関わらず踏切から出られない私に変わって、彼がもう1人の、あったかもしれない私の人生を変えてくれる。

 それはまるで結衣と近い事をしているが、こういう判断をしたことで少しだけでも彼女の気持ちがわかったかもしれない。現に彼女は現れた。それがなにを表しているかはわからないけれど。


 身体と意識が解離し、踏切の音も遠ざかっていく。いつもそう、あの電車は昇ってくる朝日から逃げるよう迫ってくる。ありんこみたいな私なんか気にも留めないで。

 そして同時に感じる強い衝撃は、私を現実へと連れ戻した。




 目を開けると、私は部屋にいた。

 部屋はただの部屋だ。雨風をしのぎ、窓から暖かい日光を注いでくれる。ひとつの机にひとつの椅子、それと床に積んである本達。今の私がこの部屋を説明するならこうなってしまう、それ以外何も興味が無いから。


 私はもう一度目を瞑る。革靴のつぶれる音、年下なのに最初からタメ口で話してくる彼の声。だからといって頼りがいがある訳じゃなさそうな言動。

 それでも、なにか安心出来るところはあった。夢の中の、ほんの少しの間なのに私は彼のことが気に入ってしまったらしい。


 同時に夢というものは恐ろしいと感じる。

 至極当然のように夜の踏切で結衣を待つ私。今までそれを当然の様に振舞っていたことを客観的に見てみると、なんだか恥ずかしい気持ちにもなる。

 

 それはそれで置いておいて、あの夢を冷静に考えてみる。

 あの踏切の世界は、夏向が今の校長を知らない事と、踏切の横に地下道があったことを考えると、時間軸は一年前。夜空を見てもそれが何月かはわからないが、手の届きそうな空と少しの肌寒さとほんのりとした暖かさが混じっているあの空間はきっと夏だろうと思う。

 

 一年前の夏、やはりあの時彼に言っておいて良かった。

 私の勘が正しければ、あの空間の日付はおおよそ予想がつく。こう考えていると、ここ最近感じられなかったわくわく感が溢れてくる。

 それと同時に、もうどうにもならない現実にいる自分を思えば思うほど、その空っぽは一層深くなるばかりだった。


 やっぱり、私は彼に託してよかった。

 きっと、夢で会った彼はそこでの世界の私と会って、最初は上手くいかないかもしれないだろうけどだんだん打ち解けていくんだろう。そうすれば、私は救われていくはずだ。何故かそうなる自信しかない。何故だろう。夢だから、私の望む世界になると、そう確信しているからだろうか。

 

 ただこれだけは言える。

 なんの道標もない、行く宛てもない、誰にも気づかれずいつか野垂れ死ぬ私に光が、あの夏めく夜空の一番星のような彼がきっと。

 きっともう1人の私に希望をもたらしてくれるんだ。それってすごく、すごく...


「羨ましいなぁ」


 私はもう一度横になって目を瞑るが、眠りにつくことはできない。

 

 朝日が昇ったあの踏切に、私は行けない。


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