第一章 「夢を見せて」と君は言う

踏切にて【1】夏向

 踏切が鳴っていた。それもまた真夜中に。


 始めは幻聴か、誰かがスマホを使って大音量で音を流しているのかと思っていた。

 しかし等間隔に淡々と、そして寡黙なまでに辛抱強く鳴り続けるその機械音が、本物の踏切から発せられているものなのだろういうことが確信へと導く。


 朝に良く聞く、気だるげで今にも自分の認知から外れていくようなそんなものではない。踏切という存在を、これまでもかというくらい一生懸命に音を響かせ、それなのに俺の耳に入っていくその音は、うっとりとしてしまうほど美しく、惹かれてしまうものがあった。


 それをもっと近くで聞きたいと思った俺は、その音の主がいるであろう方向に曲がり角から頭一つ出して覗いてみる。


 丸い型取りからはみ出る淡い赤が俺の存在なんか気にせず、音のリズムに合わせて左右交互に光を放っている。

 遮断機に垂れ下がる短冊状のひらひらとしたものは、儚い風に吹かれてゆっくりと手招くようにここに来る者全てを誘っているようだった。


 俺は少し体を前に出し、なんと言えばいいのか。手を振りながら相手を呼ぶにはほんの少し遠すぎる程度、あるいは相手の顔のパーツがほんの少しだけ霞むぐらいの距離感に居る踏切を呆然と立って見る。

 辺りの街灯が体感薄暗くなるのを感じ、余計踏切の姿が目立つようになる。


 そして俺は意を決して速足で踏切へと進む。最初は緊張で強張っていた体も、踏切に近づくに連れて頭がぼーっとし、引き込まれるように持っていかれる。


 新しく買った革靴の、ぎゅっぎゅっという音も聞こえないほど夢中に。


 やがて踏切の前に辿り着くとき、俺はめいいっぱい鳴いている踏切の奥に一人の女性が座り込んでいることに気が付く。この踏切に気持ちを持ってかれていて気付くことができなかったのだ。


 そして遅れて、彼女が俺に視線を向けていることに気が付く。多分俺が踏切を見た時から彼女は俺を見ていたのかもしれない。普段だったら恐怖を感じる状況だが、どこか落ち着いている自分がいる。少なくとも彼女は幽霊ではないような気がした。そもそも幽霊を信じるような性格ではないのだけれど。


 彼女は、とても綺麗な人だと思った。そしてそれよりも感じることがある。

 言葉に表すのが難しいが、ジグゾーパズルの最後の1ピースをはめた時ぐらいにすんなりと、いや〝すとん〟と落ちるように俺の心に刻まれたような気がした。


「どうしたの?入らないの?」

 彼女はさも当然のように俺を遮断機の下がった踏切の中へと誘う。

「いや、踏切鳴ってるし......それに今は夜中だ。女性が一人でこんなところにいちゃだめだよ。」

「それは男女関係なくお互い様でしょ。そんなことより、こっち来なよ。電車来ないから。君も誘われたんでしょ?」



 未だ遮断機の中には入りたくないのだが、誘われたという言葉にはとても納得している自分がいた。

 小思案の末に、ここまで来たからにはと渋々俺は膝を折り曲げかがみこんで、遮断機に腕を添わせながら中に入る。


 その途端、違和感が俺の全てを奪い去られてしまう。


 踏切の中の空間はやけに異様だった。

 踏みしめる足の感覚はどこか雲の上のように感じ、まだらな雲に反射して煌々と光っている都会の光は、一駅分程度の距離のはずなのにどこか遠くに見えた。

 そして、いつもなら見逃しているあの白い塔がやけに俺の頭から離れなかった。あれはなんのためにあるのか。そして、あの塔はあんなに高かっただろうか。普段ただのオブジェクトとしてしかいをとらえていたそれが、俺の脳内にこべりついて離れなくなってしまっている。


 彼女が、明後日のほうを向いて呆然としている俺を見てクスっと笑ったのだろう。

「うん、そうなる気持ち、私にはわかるよ。普段通ってるはずの道がこんなにも違うように見えるんだもんね。私も最初、ここに入った時は驚いちゃって。金ぴかの雲の向こうに月があったんだよ?なんか神様が来た!って感じ。あ、そうそうできれば君の名前を教えてほしいんだけど、だめかな?」

 緊張しているのだろうか、どこか掴みどころがなく話の脈略が見えない人だった。  


 しかし何故だかおかしい人には思えなかったので、少し渋りながらも俺は彼女の問い掛けに答える。

橘夏向たちばな かなた。花の橘に、夏の向こうでカナタだ。」

 夏の向こう.........カナタ......と左の手のひらに文字をなぞっていると何か思い立ったのだろうか急に顔を上げると、まじまじと俺の顔を見つめて言う。

「めっちゃ良い名前だね。確かにカナタ!って顔してる。」

 俺は素っ気なくありがとうと言う。


 そんなことより。

「俺は名前を言ったんだ。君も言うべきじゃないのか?」

「あぁ、そうだね。うーん、私のことはユイって呼んで。」

 彼女は自分の名前を言ってすんとなる。

 その様子でこれ以上名前についての話をしないのだと確信する。


「いや、俺は本名言ったんだけど......」

「私は名前を教えてほしいって言っただけなんだけどなー?」

「それでも俺がちゃんと......まぁ確かにそうだよな。これは俺が悪いのか。」

 冷静に考えたら今目の前にいるのは何故か夜中に鳴っている踏切の、その中にいる制服姿の女子なのだ。無論、彼女から見たら、俺だってまだ何をされるかわからない男な訳であって、本名を言った俺がおかしいのだ。


 そんなこんなで素直になった俺を見て、少しの間を置いてふつふつと、しまいに彼女は腹を抱えて笑った。何秒笑っていたのだろうか。荒れていた呼吸をゆっくりと整えて彼女は言った。

「まったく、夏向は面白いね。良かったよ。悪い人じゃなくて。」


 そうして俺と彼女は少しばかり他愛のない話をした。(どんな話をしたかは、言葉に表す程でもない本当にどうでも良い話だった。それを出会ってすぐの2人がするのもだから、俺たちは素で相性が良かったのかもしれない。) 


 また一つ、微かな笑いが起こった後、突然彼女はすん、と静かになり、どこかを見据えて立ち上がる。


 俺は彼女と出会ってから彼女はずっと座っていたもので、この人って立てるんだと訳の分からない感嘆を抱いた。そして少しの間黙る彼女に気づき、俺はその異様さに怖じけつく訳でもなく、じっとその先を待った。

 今度はしんみりとした雰囲気が辺りを漂わす。そしてこの空間も、それに合わせて吹く風を弱め、より彼女を際立たせる。


 ややあってユイは手を後ろに組みんだ状態でくるりとこちらに向き、口を開く。

「ねぇ、なんで君はここに来てしまったの?」


 その問いに、俺は情けなく笑ってしまう。

 聞いても良かったのかと心配している彼女を他所に。俺はなにか言おうとした彼女を手で制して、大丈夫、話せるよという念を送った。それが伝わったのだろうか、彼女は微かに首を上下に動かした。

 じっと音が消えた空間で喋るのは少し気が引けるが、ゆっくりと言葉を手繰り寄せるように、俺は話し始める。




 俺は夜と無縁であるはずだった。

 今の今ままで、自分は夜更かしをすることがなかったのだ。ゲームの新作を買った日、定期テストの前日、コーヒーを飲みすぎて脳が活発な状態の時でさえも。仰向けになって深呼吸をし気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと目を瞑れば、数を数えるまでもなくすぅっと体が浮き始める。それからの記憶は、少なくとも現実を生きている自分は意識ごと空想の世界へ放り出されることとなるのだろう。


 しかし今日は違かったのだ。


 心臓の鼓動がやけに早く、目を瞑ってもその奥に映る景色はいつもの様な壮大で果てしないものではない。


 布団から上半身を起こす。そして、まるで深海のように前すら見えない暗い部屋を、窓から注ぐ仄明かり一つを頼りにして手探りで歩いた。蛇口に反射するわずかな手掛かりでそれを捻り、乾いた眼を、まだ冷たくなっていないぬるい水でゆすぐ。すると頭が少しずつ冴えてきて、今度は喉の渇きをおぼえる。自分のコップを使ってうがいをすると、自分が少し汗をかいていることが分かる。この部屋は湿度と温度が異様に夏だった。まだ初夏にもなっていないというのに。

 そして俺は外の方が涼しいのではないかと思う。思い立った俺は、すぐに行動に移す。棚の手前にあったアンクルパンツと少しハイネックになっているパーカーを手に取り、生地が擦れる音を最小限にしながら着て、そっと扉を開ける。この瞬間が一番悪いことをしている気持ちになる。その感情は、高揚と焦燥感をたっぷりと含んでいた。

 なにもかもが成功したと思ったのも束の間、ぎゅっという音と共に俺の視界は足元へと移った。


 そんなことはどうでも良いんだ。どうして俺は踏切に誘われたのか、それはつまりどうして眠ることができなかったのか。きっと、この胸の鼓動は今日のうちに起ったこというほど、単純なものではないと自分も薄ら薄らわかっていた。記憶と辿った先に、彼の声が聞こえてくる。


「実は夏向に言っておかなきゃなってことがあってさ。俺たち、付き合うことになったんだ。でも今まで通りそんな変わる事ないし。お前が良ければさ、これからも一緒に帰ろーぜ?」

 遡ること、多分1か月前ぐらい。春を感じる桜が少し遅れて咲いていた頃だ。



 ユイはまっすぐ俺を見つめている。

「面白い話ではなさそう...だね。まぁここに来るってことはそういう因果もあるもんなのかもね。まぁでも大丈夫。君が心に留めておいたもの、私に聞かせてよ。大丈夫だから。」

 そう言う彼女を見て、どこか安心する自分がいる。なにが大丈夫なのかとか、今の時間にそういうものはいらないと思った。

 そうして俺は迷うことなく、口から零れ落ちるそれを我慢せずに、その続きを話し始めるのだ。




 君と、ユイと出会って1日目。それは依然薄着では寒いこの夜と裏腹に、自分の心にほんの少しのろうそくが灯ったような、ほんのりと暖かくなる兆しがした。

 そんな、初夏を待つ今日この頃であった。






 

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