王国の受難

第26話「行商人ラルフ」

 ラルフは、辺境の村ハガーから王都までの間にある各村や街を回り、商品を売り買いすることを生業としている行商である。

 この日ラルフは、ハガーの村で売るための物資を用意するためハガーから最も近い大都市、フォールドに立ち寄った。


 フォールドからハガーまでは馬で一日、馬車なら二日、牛車か徒歩なら四日といったところである。ハガーの村から買い出しに来ることも可能なため、フォールドの街で買えるものをハガーへ持っていったところで大した儲けになるわけではない。

 にも拘らずラルフがハガーに行商に行くのは、ハガーの村に対するささやかな支援のようなものだった。いくら「その気になれば街まで買い出しに来られる」と言っても、すべての村人にそれが可能なわけではない。怪我をしていたり病気にかかっていたり、老いて足腰が弱くなっていたりすれば当然そんなことはできない。幼い子供もそうだろう。そういう人々が買い物を楽しもうとすれば、村に来た行商から買うしかない。開拓の途上であるハガーには、まだ専業で商店を営む人間は居ないからだ。


 ひととおりの在庫を補充した後、ラルフはふと、ハガーで買い取った魔族の奴隷のことを思い出した。

 いや彼が本当に魔族だったのかどうかはわからないが、村から高く買い取り、そして奴隷商へ高く売れたので問題はない。真実になど興味はなかった。

 ただこの日はたまたま時間があったので、せっかく思い出したことであるし奴隷商館へ様子を見に行ってみることにした。あれだけの高額で買い取った以上、それなりに躾はするだろうし、すぐに買い手が付くものでもないだろう。もしかしたらまだ売れずに残っているかもしれない。

 怖いもの見たさに近い感覚だと自覚はしていたが、あのヒトに似ていながらヒトとは違う、本能的に不気味に感じる顔立ちをもう一度見てみたくなった。


 ラルフは日用品を売っている街区から奴隷商館のある街区へ向かい歩いていく。

 この街は辺境伯が自ら治める、辺境最大の街だ。

 人口もかなりのものであり、様々な人が暮らしているため、それぞれの立場や生活に応じて自然と住み分けのようなものがされている。日用品を買い求める層と奴隷を買い求める層では生活圏が違うからだ。

 奴隷商館があるのは奴隷を求められるだけの富裕層が住んでいる場所の近く、それでいて万が一奴隷が逃げ出したとしても被害が少なく済むよう、街の外へ通じる門のすぐ近くだ。これは他の街でも概ね同様の立地になっている。


 馴染みの奴隷商館に近づくと、ラルフは違和感を覚えた。

 その違和感が何なのか、最初は分かっていなかったが、建物の眼の前まで来て気がついた。


「……もう日が高いというのに……店が開いてない?」


 今日は安息日ではない。その証拠に商店街区で日用品の買い込みは出来たし、ここに来るまでに見かけた店はちゃんと営業しているようだった。

 では奴隷商館だけが臨時の休業なのだろうか。ラルフの知る商館の主の性格からしてそれは考えにくい。彼は金に変えられるものなら何でも金に変えようという考えの人間だったはずだ。その行き着いた先が人間そのものを商品とするやり方だったのだが、彼が売るものの中には自分の時間も含まれている。休むくらいなら働いて金を稼ごうというのが彼の基本理念であり、事実これまで安息日以外で彼が休んだことはなかった。


「でも、なんだか人の気配というか、動いている感じはするな。話し声みたいなものも聞こえるし……。とりあえず裏口に回ってみようか。もし何か困りごとが起きているなら、手助け出来るかもしれないし」


 採算度外視で開拓村への行商を続けようというくらいには、ラルフは善性の人間だった。もちろんその善意の向け先は同じ国の同じ人種に限られているが。

 そんな彼は顔なじみへの親切心として、奴隷商館の中で起きているトラブルの力になれないかと考えたのだ。

 開店時間は過ぎているのに店が開いておらず、しかし建物の中から話し声がする。この時点で何らかのトラブルが起きているのは確実だった。


「ごめんくださーい。スミットさん、居ますかー? 行商のラルフですがー。スミットさーん? 入りますよー」


 裏口に鍵はかかっていなかった。呼びかけても誰も出てこないので、仕方なく入ってみることにした。

 扉を開け、さらに呼びかけると、外まで聞こえていた話し声が少し活発になったように思える。不法侵入したラルフに反応してのことだろうが、不思議と声量が上がった感じはしない。ただ口数が増えただけのようだ。

 そして中に入って気付いたが、この話し声はラルフも顔見知りの従業員のものだった。ところが妙なことに、会話の相手の声はまったく聞こえない。つまり一人で延々と喋っているのだ。


「……何だか、雰囲気がおかしいぞ。もしかしたら、僕が思っていたより厄介な問題が起きているのかも。……このまま奥に行くよりも、衛兵に通報したほうがいいかな? いや、間違いなくその方がいい。そうしよう」


 ラルフは善性の人間であるが、向こう見ずな馬鹿ではなかった。

 長く行商を続けてきた中で培った勘、あるいは生存本能とでも呼べるような何かに従い、速やかに奴隷商館から離れることにした。


 彼は最寄りの衛兵詰所に駆け込み、奴隷商館の異常を伝えた。

 その訴えは曖昧で何一つ具体的な情報はなかったものの、それでも衛兵たちは調査のためにチームを組んで奴隷商館に行くことになった。富裕層のための居住区が近いこの場所で、しかも奴隷商館で何か異常があったと通報があったにも拘らず、もし動かずにいて万が一問題が起きたとしたら、平民よりは多少マシという程度の衛兵の身分ではどんな罰を受けるかわかったものではないからだ。

 何もなければ通報者を少し厳しく叱ればいい。

 何かあってもどうせ奴隷が反抗的だとかその程度だろう。最悪は逃げ出したなんてこともあるかもしれないが、奴隷が一人二人逃げたところで大したことなど出来やしない。あくまで自分たちの失点にならないための保身の行動に過ぎない。

 衛兵たちは面倒だとは思いつつも、そんな気楽な調子で出動した。


 そして彼らは、現場の奴隷商館の中で、地獄を見た。


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