第15話「スミット奴隷商館」

 もう夜も更けつつあるというのに、奴隷商館には従業員が残っているようだった。もちろん一昨日まで自分が過ごしていた場所なのでそれはわかっている。ブラック職場だなと思いつつ、奴隷という生物を商品として取り扱っている以上は、勤務時間がどうとか言っていられない事情もあるので仕方がないことだ。いや「ブラック職場」という概念すら、まだこの世界にはないだろう。「差別」と同じである。

 いずれにしろ、黒狼には関係ないことだ。

 黒狼は奴隷商館の玄関に入った。




「これはこれは、ネグロス様。そろそろお見えになる頃かと思っておりました。いつも通り、失敗作の処分の件でよろしいですかな?」


 商館に入るなり黒狼に近寄ってきた奴隷商がそう言った。ネグロスというのは黒狼が着ている服の本来の持ち主の名前だろう。初めてゴシュジンサマの名前を知った。

 しかしこれだけ近づいても奴隷商が黒狼に気付かないのは少し面白かった。奴隷商は老魔術師ネグロスの顔など普段からろくに見てすらいないということだろう。金払いのいい上客だが深く付き合いたくはない、といったところか。

 黒狼はかつての引きこもりだったときの自分と重ね合わせ、顔を隠す布マスクの下で昏く嗤った。自分にあれだけ酷い仕打ちをした老魔術師が、誰からも好かれていない独居老人だったと分かって気分が良くなったからだ。人の事は全く言えないわけだが、少なくとも自分より幸せだったわけではない。ならそれでいい。


 それより、気にするべきは奴隷商の言葉の内容だ。失敗作の処分とは何の話なのか。

 奴隷商館。失敗作。そして、異端の魔術師と実験体。


(──まさか、これまでのクソジジイ魔術師の実験とやらの犠牲になってきた奴らのことか? 俺のときと同じようにこの奴隷商館で買われて、実験が失敗して、爆発だかなんだかして肉塊になっちまって、それで……この奴隷商館にまた持ち込まれて、それをこいつが処分してたってこと……か?)


 自分もそうなっていたかもしれない。この奴隷商の様子を見るに、その可能性は高かった。

 この男はそうと知っていて、あの老魔術師に黒狼を売り払ったのだ。そう考えると、目の前の奴隷商に対する怒りがさらに高まってくる。


「『てめえ……よくも俺を売りやがったな。死ぬと分かっていてよくも!』」


「ネグロス様? 今なんと──お、お前は……!?」


 黒狼の言葉がうまく聞き取れなかった奴隷商は、もう一度聞こうと近づいてきた。そして、ローブの中が自分の知る老魔術師ではないことに気がついた。

 普段、この奴隷商は死ぬと分かっていて売り払った奴隷の顔などよく覚えていない。

 有用、有益な奴隷たちは厚遇し、十分な教育を与え、身嗜みも整え、良い主人に売られていくまで傷一つつかぬよう大切に世話をする。その一方で、例えば心や体に何らかの障がいを持つ者や外国人など、世話を尽くしたところでまともな主人に売れそうにない奴隷は冷遇する。冷遇しつつも処分したりしないのは、まれにネグロスのような「人間でさえあれば何でもいい」と言う客が訪れるからだ。

 そういう客は少ないのだが、ネグロスはこの街のハズレに屋敷を構えていたため、この奴隷商にとっては定期的に不良品を買い上げてくれる上得意であった。

 仕入れ値に少々色を付けた程度の値段で売り払い、その数日後には処分をするような奴隷の顔など奴隷商はいちいち覚えない。ただでさえ客商売、覚えなければならない人の顔は膨大なのだ。余計なことに気を割いていられない。

 だがこの少年の顔だけは、見たこともないのっぺりしたものであったため、奴隷商の記憶にも残っていた。


「貴様! この間の魔族……! ネグロス様はどうした! なぜ貴様がネグロス様のローブを着ておる!」


 奴隷商は、ネグロスが黒狼に情けをかけローブを貸し与えた、という可能性は考えなかった。

 なぜならこのローブは、王国に認められた一級の魔術師にしか与えられない高貴なものだったからだ。

 この一級のローブを与えられた魔術師は、たとえ生まれが卑賤なものであったとしても、王国では子爵並の貴族の扱いを受けることに決まっていた。身分証を兼ねているのだ。そのような重要なものを、もし万が一ネグロスが黒狼を弟子と認めたのだとしても、易易と貸し与えるとは考えられない。


「ハハハ! アノ老イタ魔術師ナラ、死ンダゾ! 不幸ナ事故ダッタ」


 日本語で喚いたところで奴隷商には通じない。黒狼はここで叩き込まれた異世界語で事実を簡潔に伝えてやった。


「ふ、ふざけるなよ! 貴様がやったのだろう! 貴様のようなグズが、どうやって一級魔術師のネグロス様を! ……まさか、本当に魔族なのか!?」


 奴隷商は激昂し、黒狼の胸ぐらを掴んだ。そしてその直後、無性に恐ろしくなってその手を離し後じさった。

 あの恐ろしい魔術師が、つい先日まで言葉すら知らなかったような愚鈍な外国人にやられてしまうなど、彼には到底信じられなかった。いや、信じたくなかった。自分が恐れ、そして畏れ敬っていた人物が、自分が見下し、虐げ、売り払った奴隷に負けてしまうなど。

 もしそれを認めてしまえば、奴隷商がこれまで培ってきた価値観、人生観がすべて否定されてしまう。そこまではっきりとは言語化できないものの、奴隷商は無意識にそれを忌避した。認めるわけにはいかなかった。

 しかし、もしも本当に、この奴隷が地の底から這い出してきた魔族であるのなら。

 お伽噺に謳われる、恐ろしい魔族の一員であったとしたら、あの魔術師を下したというのも有り得ないではない、のかもしれない。

 奴隷商はそう考えたのだ。

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