第13話「さらばフレイムジン」

 見た目だけは人間のままだが、実質的には人間をやめつつあることに暗澹たる気分になりつつ、黒狼は地下の実験室から地上へ上がった。

 老魔術師の屋敷を探索し、まずは衣服を手に入れる。老魔術師の寝室らしき部屋に大量にあったので、それを身に着けた。

 老人の着古した下着を穿くのは抵抗があったが、フルチンよりはマシだ。

 黒狼を行商に売り飛ばした村の様子や、売り飛ばされた奴隷商館での生活、そしてこの屋敷の内装から推察するに、この世界は地球で言うところの中世くらいの文明レベルだと思われた。そのくらいの時代なら衣服は貴族や富裕層以外は中古が基本だっただろうし、ここで老人の中古下着を嫌がったところで、自分の身体に合った新品が手に入る保証はない。

 老魔術師はポンと奴隷を実験体──つまり使い捨て──扱いで買える財力を持っていただけあって、それなりに生活水準が高いようだった。寝室の替えの衣類も全て洗濯済みだったようだし、変な中古屋で誰が着たかもわからないものを入手するよりは遥かにマシだろう。

 衣服を身に着けたあとは、クローゼットの奥に大事そうに仕舞われていた物々しいローブを羽織る。派手ではないが、なんとなく高そうなローブだ。似たデザインのものを老魔術師も白衣の下に着ていたが、見るからに格が違う。一張羅というやつだろう。持ち主はもういないので黒狼が有効活用してやることにした。


「『……見た目はもうまんま、異端魔術師の助手って感じになっちまったな。同じ服着てるから当たり前だけど』」


 身なりが整ったら、次は食事である。

 一階へ戻り、厨房を探す。

 厨房を探った結果、見つけたのは硬くて黒いパンと少し濁った水の入った樽だけだった。他の食品は都度買いに出かけているか、食べに出かけているかしているのだろう。老人の一人暮らしなどそんなものなのかもしれない。

 地下には魔獣や黒狼のパーツを保管するための冷凍庫らしきものがあったはずだが、あれはあくまで実験用の設備であって生活に利用するためのものではない、ということなのだろうか。イカれた実験よりも先にまずは食を安定させろよと思わないでもないが、この世界がそういう価値観だということは覚えておいたほうがいいかもしれない。


 硬いパンを汚い水──すこし酒臭かったので、濁っているのは純度の低い酒が入っているせいかもしれない──でふやかして食べ、何とか腹を満たした黒狼は、これからの事を考えた。

 衣、食とひとまず間に合わせたら、次は住だろうか。と言っても、このままこの屋敷に住み続けるわけにはいかない。

 街外れではあるが、屋敷の主人がいなくなったら気にする住民もいるだろう。屋敷へ連れてこられるまで黒狼は街の住民たちにも見られている。黒髪黒目が珍しい、というわけではないものの、アジア人特有の平たい顔立ちは明らかにこの街の住民とは違う。街の住民には老魔術師が外国人の奴隷を買ったと思われているはずだ。

 その状況で、主人が消えた屋敷に住み続けるのはどう考えてもリスクしかない。奴隷が反抗し、主人を殺害したと思われるのがオチだ。この国の法律は知らないが、奴隷というシステムが運用されている社会で、それが犯罪行為にならないはずがない。


「『とりあえず逃げるか。クソッタレな奴隷商のおかげで言葉はわかるようになったし、この街さえ離れられれば、外国からの旅人みたいな仕草で何とか乗り切っていけるだろ』」


 そうと決まれば、黒狼は旅をするための荷物を纏めることにした。

 もちろん自分の荷物など何一つ持っていない。纏めるのは老魔術師の屋敷のものだ。

 屋敷中をひっくり返し、まずは通貨を探す。おそらく金銀銅と思われる数種類の硬貨を見つけ出し、全てを財布代わりの麻袋に入れる。それから、かさばらなくてかつ価値がありそうな宝石類。これは別の袋にいれた。替えの衣類や野営のための毛布も必要だ。それらをいくつかの背嚢に分け、背負えるようにした。


 パンや水などの食糧は、迷った結果持っていかないことにした。

 落ち着いて考えてみたところ、クリーチャーカードが使えるのなら他のアイテムカードやマジックカードも使えるのではないか、との結論にいたったからだ。

 実験をしてみたら、これは実際可能だった。

 ただし喚び出せたのは、火属性のマナをコストとするものだけだった。ギリギリ食べられそうなアイテムとして【超絶激辛カレー】と【わさびソーダ】のカードを発動することができた。

【超絶激辛カレー】は設置型アイテムカードで、プレイヤーのライフを300ポイント回復する代わりにそれ以降自分のターンの開始時に50ポイントずつダメージを受ける、という効果を持つアイテムである。ライフ回復やダメージはともかく、食べ物ではあるので普通に食べることができた。名前の通りめちゃくちゃ辛いが、黒狼は比較的激辛耐性があるので悶絶する程度で済んだ。餓死よりはマシである。また毎ターンのダメージだが、黒狼は当たり前のコンボとして用が済んだ超絶激辛カレーをフレイムジンに破壊させた。

【わさびソーダ】は対象に50のダメージを与えるアイテムカードで、普通は相手プレイヤーか相手クリーチャーに使用するものだ。自分にも使えるが、特別な理由がなければ普通は使わない。この程度のダメージは黒狼の自然回復力からすると気にするほどのものではないので、喉の乾きを潤すためだけに使うことにした。あまりのからさに鼻が麻痺し涙が止まらなくなるが、我慢するしかない。


 そうして準備を整えた黒狼は、夜を待って出立した。

 フレイムジンは屋敷の地下に置いてきた。目立つからだ。

 アイテムカードを無駄に使いながら数えていた限りでは、屋敷の地下牢に放置してある【火のマナ結晶】からはおおよそ10分で1マナが発生しているようだった。あれは1ターンに1マナを発生させる効果なので、1ターンは10分なのだと考えていいだろう。紙の方のカードゲーム大会には時間制限があり、1マッチで60分と定められているが、その中でも1ターンで使える最大時間は10分までと制限されているイベントが多かったように思う。おそらく1ターンが10分というのはそこから来ていると思われる。


「『……あ、もしかして火属性のアイテムしか召喚できなかったのは【火のマナ結晶】しか出してなかったからか。考えてみりゃ当たり前だな。素人みてえなミスしちまったわ……』」


 使いたいカードに必要なマナを用意するのを失念するというのは、最初の最初にガチの初心者がやりがちなミスである。何ならそもそもデッキにマナ結晶が入ってないことさえある。そしてその後、使いたいカードの属性のマナ結晶を入れてシッチャカメッチャカになって破綻するまでがテンプレ。カードの属性の種類が増えるほど属性マナなどの前提条件も増えるので、使用属性はひとつかふたつに限定しておくのがデッキ構築のコツだ。

 最近は召喚に複数属性が必要なクリーチャーだの、そういうカードのサポートのため複数属性を一度に発生させるカードだの、一ターンにいくつものマナを発生させるぶっ壊れカードだのが登場したせいで、多属性使いは以前ほどの禁忌でもなくなってきたのだが。


「『つっても腹は膨れちまったし、今回はもういいか』」


 ともかく、マナの発生とターンあたりの時間を考えると、フレイムジン程度ならいつでも召喚が可能ということになる。必要になればまた召喚すればいい。幸いフレイムジンは『【ネームド】クリーチャー』ではないため、複数体召喚することも出来る。『カテゴリ』に【ネームド】とあるカードは、ルール上、敵味方合わせて1枚までしか場に出せないという制約があるのだ。

 偶然とは言え最初に召喚した彼には愛着がないでもないが、同時に自分にとって何より許し難い仇である老魔術師を訳もわからないうちに殺してしまった存在でもある。あれだけのことをされたのだ。自分の手で復讐してやりたかった気持ちも、今となっては無いではない。もちろん、心に余裕が出来たがゆえの我儘であることは理解しているが。

 そういうモヤモヤとしたものをうまく処理できず、黒狼は状況から逃げるように「あとは好きに生きろ」と伝えて返事も聞かずに屋敷を出たのだった。


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